作者プロフィール

作者プロフィール

加藤 浩二 (DAWN)  1960年〜

岐阜県中津川市出身 茄子川に在住
Webサイト:http://akebonosign.dawnairbrush.com/
連絡先 0573-68-5812

活動履歴
2002年よりエアーブラシ技法によるアート作品創作に取り組む
2008年 創作画人協会 第42回創展 入選  2009年 第43回創展 奨励賞
2011年 美術家集団G回路に参加 愛知県美術館にてグループ展に毎年出品
2013年 東京都美術館にて現創会 現創展に出品  
2013年 東京国立新美術館にてアジア創造美術展に出品 佳作賞
2014年 東京都美術館にて現創会 現創展第40回奨励賞
2014年 東京国立新美術館にてアジア創造美術展 優秀賞
2015年 東京国立新美術館にてアジア創造美術展 審査員特別賞
2015年 東京都美術館にて現創会 現創展 努力賞
2017年 東京都国立新美術館にて等迦展 入選

加藤浩二 (DAWN)
E-mail
akbns@takenet.or.jp



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作品名 「Neo-アプサラス (neo.Apsaras) 」


作品名 「Neo-アプサラス (neo.Apsaras) 」

作品名 「Neo-アプサラス (neo.Apsaras) vol.1〜7」製作継続中。

アプサラスとは、インド神話における天女の一族。
神々の接待役として踊りを見せることを仕事とする他、戦死者の魂を軍神インドラの元へ運ぶ役割もある。
その妖艶な美貌で修行中の人間を誘惑して堕落させることもあるという。

この作品は2016年から製作に取り掛かりました。最終的には横幅が6〜7mほどになる感じです。
バックや細部の描き込みはまだこれからで、完成するまで当分は楽しめそうです。
もうこれ以上描けないというところまで生涯いじり倒そうと考えてます。

誰に頼まれたわけでもない俺の妄想の具現化なのだ。

愛知県美術館G回路展にて部分的にこの作品を発表しております。

2016/6/14 G回路展 高さ2270mm


作品名 「Neo-ヴァジュラダラ 阿形・吽形

2015アジア創造美術展 2015G回路展   910×1820


金剛力士(こんごうりきし)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。
サンスクリットではVajradhara(ヴァジュラダラ)と言い、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」
を意味する。開口の"阿形" (あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。
一般には仁王(におう、二王)の名で親しまれている。
日本では寺院の入口の門の左右に仁王像が立っているのをしばしば見かける。
像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多い。
こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表している。

Wikipediaより抜粋


ZIGAZOU 1

1.ARUHI NO SOUCHOU, HIDOI FUTSUKAYOI DE TOTEMO FUKAI DATTA.
ORE WA OBOROGE NI SAKUBAN NO KOTO O OMOIDASHITEITA.SAKUBAN, TOUTOU NYOUBOU GA KONO IE KARA DETEITTA NO DATTA.
KANARI DOUYOU SHITEITA ORE WA ASAMESHI NI OKONOMIYAKI GA TABETAKU NATTA GA,
KONNA ASAPPARA KARA OKONOMIYAKIYA GA AITE IRU HAZUMONAKU, SHIKATANAKU JIBUN DE KONA O TOITE IRUUCHI NI
FUTO, KORE O ATAMA KARA KABUTTARA SUKOSHI WA KIBUN GA KAWARU KAMO SIRENAI TO OMOI, JIKKOU SHITA NO DATTA.
SHIKASHI ORE NO YUUUTSU NA KIBUN WA NAKANAKA HAREZU, SOREWA OKONOMIYAKI NI ARITSUKU MADE FUYUKAI NA MAMADE ATTA.

ZIGAZOU 2

2.SAIKIN ATAMA KARA MIZU O KABURU KOUI GA HAYATTE SUGU NI SUTARETA GA, ARE O MITEITE SUUNEN MAE O OMOIDASHI,
MATA ANO GUKOU O FUTATABI YATTE MITAI SHOUDOU NI KARARE, DARE NI SHIMEI SARETA WAKEDEMO NAIGA, JIKKOU SHITA.
SHIKASHI KEKKA WA SUKOSHI MO TANOSHIKU NAKU, DAREMO YOROKOBAZU, HITODASUKE NIMO NARANAI, TADA NO KIKOU NI
SUGINAI KOTO GA WAKATTA DAKEDE ATTA. TADA, FUTSUKAYOI GA JAKKAN KAIHOU NI MUKATTA NO O JIKAKU SHITA GA,
SOREWA KONOATO ABITA SHAWAA NO SEI DE ARUKOTO NI KIZUKI NATTOKU SHITA.
CHOSHI NI NOTTE NAMATAMAGO NANKA O SHIYOU SHINAIDE YOKATTA TO TSUKUZUKU OMOTTA.

2014/11/26 第40回 現創展
サイズ 1300×910  アクリル、ウレタン、エアブラシ


作品「アチャラ・ナータ」

2014 第20回 G回路展
サイズ 2700×1500 アクリル、ウレタン、エアブラシ


不動明王 (ふどうみょうおう)、梵名アチャラ・ナータ
不動明王の起源は、ヒンドゥー教の最高神シヴァ神にあるとの説が有力である。
梵名のアチャラナータもヒンドゥー教ではシヴァ神の別名とされている。
密教がヒンドゥー教を取り込むために、シヴァ神を不動明王として大日如来の眷属とする一方で
降三世明王がシヴァ神を屈服させたとしたものと思われる。
梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味である。

「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」
大意:「激しい大いなる怒りの相(すがた)を示される不動明王よ。迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。
所願を成就せしめたまえ。カン マン。」

不動明王-Wikipediaより抜粋



作品「nest of hornets」


エアブラシ作品 「nest of hornets」

秋の巣離れの近い巨大なスズメバチの巣には絶対に近寄らないで下さい。
うかつに近寄ると何百匹・何千匹と襲ってきます。
刺されると死に至ることもあります。

わたしの地方では、ハチの幼虫は高級珍味とされ、好んで捕獲する人たちもいるようです。
一説にはそれが原因か、彼らの遺伝子には人間は「憎むべき敵」という情報が刷り込まれていると聞いたことがあります。
たとえ相手が圧倒的に強く大きい相手だろうと、彼らは(彼女らは)最後の一兵まで全滅覚悟で攻撃をします。
降伏などということは考えません。
自分たちの子孫を守るための、本能的な仕組みなのでしょう。

ところで、人類も戦争をします。
はたして、国家間や民族間の戦争は、昆虫らのそれと、いったいどういったところが違うのでしょう。
古くは古代中国、ヨーロッパ。かつての大戦。世界各地で起こるテロ。最近の東アジアの情勢。

そして太平洋戦争。無数の戦闘機と共にあの海に散るしかなかった命たち。

人類の遺伝子にも拭えない何かが刷り込まれているんでしょうか。


立秋もすぎ、異常に暑かった夏もそろそろ終焉が近いのか、
今年も家の周りに蜂が飛び交ってます。



Neo-阿修羅図

「阿修羅(あしゅら)」とは元はインドのバラモン教の神で、のち仏教に取り入れられ、仏法の守護神となったとされています。
その姿は三面六臂(顔が3面、腕が6本)の異形で、戦闘的な暴虐神であり、
海底の阿修羅宮に住み、帝釈天などと戦いを繰り広げていたというから、なかなかストーリー性がありますな。
仏教の守護神となってもどこかに邪悪さを宿している雰囲気があります。
仏像では、奈良の興福寺の国宝が有名です。

神なので、性別は本来あいまいなのですが、わたしは無謀にも女性の姿で描いてみました。
人間も二面、三面と、内面はいろいろあるのが当然です。
中でも凛とした表情がこの阿修羅にはふさわしく感じます。

作品 「而二不二」(ににふに)製作中

「而二不二」(ににふに)

「而二」とは、一つのものを二つの面から見ること。
「不二」とは、二つの面があっても、その本質は「一」である、ということ。

煩悩(迷い)と菩提(悟り)は「而二不二(ににふに)」である。

たとえば一枚の紙。
紙には表と裏という二つの面があり、その両方があるからこそ紙が存在しています。
表と裏のような、切っても切れない関係が「而二不二」です。

two sides of the same coin.
表裏一体

この作品はわたしの前作「涅槃那」の裏面として描きました。
悟りなどままならず瓦礫の底から身を擡げ憤怒するさまです。
人は心底怒った時、むしろ沈黙するものかもしれません。

2013/11/13