昭和三一年の冬のある日のことです。巡礼者が家の前に立ちました。杖の先端の鈴をジャラジャラとさせながら何やら経文を唱えながらしばらく立ち去ろうとしませんでした。栄一は、塩でいった落花生を両手ですくい巡礼姿の老人に手渡しました。その巡礼者は、家の中に一歩、また一歩と入ってきて、弱々しい声で、
「あなたは有望な仕事をしておられます。一度、千葉のやちまたへ行きなさい。落花生について色々なことが分かります。私は戦争のため妻子も財産もすべてなくなりました。海軍の主計兵でしたが、こんな姿になって皆様の情けで生きております。」
と言って、また南の方へ立ち去って行きました。栄一にとっては、その巡礼者の言葉は神様の教えとして今なお忘れることはないそうです。
その日から、栄一の千葉の『やちまた』探しが始まりました。中津の本屋では見つかりませんでした。二日後、名古屋まで出かけ、千葉県の地図を買ってきました。毎晩、千葉県の地図に定規をあて、くまなく『やちまた』を探しました。その結果、『八街』を見つけました。冬が去り、春暖かくなった頃、夕方の中津の駅から八街見学へ出発しました。翌朝には東京に着きました。秋葉原で乗り換え、千葉経由銚子行きの総武線に乗りました。汽車が千葉県に入る頃、車中で百姓ふうの老人を見つけました。さっそく近寄り、落花生の栽培や乾燥の方法、加工の方法などについて聞いてみると、喜んで教えてくれました。その老人が、
「あんたはどこから来たね。」
と聞くので、
「岐阜県から落花生の勉強に。」
と答えると、その人はあきれたような態度で、
「ふうん。」
と言ったのが何十年たっても忘れらない思い出だそうです。
秋葉原から二時間ぐらい経つと、汽車は八街に近づいてきました。汽車の窓から落花生の干しにごがあちらこちらに見えてきました。八街駅に降りてみて驚いたことは、落花生に関係した店の多さでした。落花生の脱粒機、落花生をいる機械などの製造販売する農具店が何軒も見つかりました。一軒一軒を手帳に書き留め、機械のカタログを集めました。栄一は、
(いつの日か必ずこの機械を手に入れたい。金を貯めたら八街に来てこの機械を買う。)
と心に誓ったそうです。

巡礼僧に教えられて八街へ