平成17年5月28日発行
<<No38>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎

<星見ガ岩公園を守った大野やすえ様>
 70歳以上の人なら誰もが知っている一大風流人であったやすえ様のお話である。
@オチン
 星見ガ岩の所に休憩所が整備された。昔を知っている人は「オチン」に似ていると言う。オチンとは、服部医者の所にあったオチンという茶室に似ていることから言っている。この茶室を建てた人が大野やすえ様である。昭和5,6年のことである。
A大地主の息子・大野やすえ様
 大野やすえ様は、この地域の大地主の長男である。駒場一帯の米の供出もやすべえ様の蔵に一旦集め、町に供出した。結婚せず、家督も相続しなかったので、お金に不自由することなく自由気ままに生活をしていたらしい。夏も冬もマントのような物を着てあちらこちらを訪問していたらしい。子どもが鼻をたらしていると拭いてやることが誰もの思い出ととして語られている。鼻をかんでやった紙が4区にいっぱいあったそうである。やすえ様の姪に当たる人が、幼稚園の園長をやっていた佐藤いなみさんである。現在も生家は立派な門構え、蔵と共に残っている。
B尼寺建立に力注いだやすえ様
 昭和9年の頃、だいかんさんとふしきさんという二人の尼さんを呼んで尼寺を建立した。大工は原浅エ門さんである。木組みが分からなくて4日ぐらい研究し、見事建設したことで名をあげた。近在の信者も出来て人が集まってきた。だいかんさんは高齢になり体が不自由になったら、年下のふしきさんが熱心に世話をしたが、ふしきさんが高齢になって不自由になっても世話する人なく広済寮に入りなくなった。
C星見ガ岩公園を守ったやすえ様
 この地域は駒場の財産区であったが、花崗岩が豊富であったところを目をつけ、町の許可を得て石の切り出しを始める人が出てきた。やすえ様は、星見が岩の中の「妙見様」、舟岩の「不動明王」、御岳様の入口の所にある「石地蔵」、「三十三間堂」を見つけ出し、この地域一帯の信仰と景観を守るよう各方面に熱心に働きかけた。石地蔵の首がとれて落ちたことが2回ほどあったがやすえ様が世話して引き上げコンクリートで固めた。昭和9年の頃である。その頃から物見の松の所で、踊り(雨降りお月さん)や相撲大会が始まった。やすえ様が金を出してくれた。