平成17年6月25日発行
<<No40>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎

落花生の話(2)
<石ではなく塩で煎ればいい>
しかし、砂でいった落花生は、落花生の表皮の細かい穴に砂が入り込み、食べるときジャリッ、ジャリッとすることがありました。3回ほど市場に出しましたが、これでは商品として長続きしないだろうと思われました。そこで思いついたのは砂の代わりに塩を使うことでした。大きな鉄のなべに塩をたっぷり入れ、落花生を入れていってみました。パチッパチッという頃に落花生を取り出し、塩と落花生をふるいでわけました。これは、ジャリジャリしないばかり塩味もついていて、とてもおいしく仕上がりました。
 最初の出荷は、昭和29年の秋のことです。買った商人は、分け合って食べていて、これならやれると思ったそうです。塩味の落花生はとても評判がよく、自分の畑で生産しただけでは足りなくなってきました。翌年には、近くの農家を一軒一軒訪ね、落花生の種を渡して、生産を頼みました。「あそこは、作った落花生を買ってくれる家だ。」ということで、落花生を作ってくれる人も、持ってくる人も増えて来ました。翌年からは、自分で作る何倍もの落花生が集まりました。
 その頃、栄一の持っていた道具は、手回しの皮むき機、鉄の大鍋、自転車、リヤカーだけでした。朝から晩までいると、50kgぐらいの落花生ができます。しかし、胃潰瘍を患い、時々血を吐き、畑仕事をおばあちゃんい任せて寝込んでしまう栄一にとってはとても重労働でした。なんとかもっと楽に仕事をしたい、大量に落花生をいりたいと思った栄一は、落花生をいる機械を作ることを思うようになりました。自分で考案した『手回し式落花生煎機』を親しくしていた鉄工所で試作してもらいました。
実際に使って見ると、落花生がドラムと外壁の間に入り込み、ぽたぽたと火の上に落ち、火がついて煙が出て燃えてしまいました。原因は、鉄工所にはこうした物を作った経験がなく、栄一も安く作ろうとしたからでした。いい思いつきでしたが、結局実りませんでした。昭和30年の秋のことです

                        (林拓磨の聞き書きより)