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平成17年10月29日発行 <<No45>> <共栄区史編纂委員会> 編纂委員募集中、証言者大歓迎 |
大正10年です。戸数も10戸となり、人口も40人程になりました。 ◆古野治太郎さんの家は10人になりました。川口直七とその奥さん、その下に治太郎さんと奥さんのみつよさん。子どもは古野駿一、たずえ、のぶじ、たね、治一、ひろえさん。 ◆鈴木克一さんも、多三郎さんも現在地に家をトタン葺きの屋根で作り、西山の伊藤静さんと結婚しました。 ◆若森丈右門さんの息子・畳助さんの奥さんはぬいさんで、子どもは、なかさん、あさよさん、よしのさんでした。根尾の河原に住んでいたというおきぬさんを引き取って世話をしていました。◆若森多三郎さんの母親はきせさんです。多三郎さんの姉は肺結核でしばらく小屋で住んでいました。◆古屋敷さんは、奥さんのみやさんとの間にすずえさんという子どもが生まれました。大正6年のことです。◆穂波さんは、清見村の付近の六厩から移ってきた。 |