平成17年12月27日発行
<<No50>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎

鈴木克一さんの入植物語(U)
<正敏さんの学校時代>
 何もないところから始めた開拓生活でした。忙しい生活が続き、子ども達は、運動会にも遠足にも行くことは出来ませんでした。参加することがない運動会の練習には本気になれませんでした。それでも、正敏さんが6年生になる頃には修学旅行に行かせてもらえるだけの余裕が出てきました。子どもも大切な労働力として当てにされ、鍛えられきたので、高等科の農業実習では「お前の仕事の仕方は違う」と褒められたそうです。
 2年間の高等科を卒業した後は、大半の青年がそうであったように5年間の青年学校に進学しました。日曜日は昼間で軍事教練が多くありました。平日は夕方の6時から9時までの3時間が授業です。読み書きソロバンが授業内容でした。青年学校の出席率は80%ぐらいだと思います。通常は自転車通学でしたが、寒いときは赤土がつくので徒歩でした。
<青年学校での軍事演習>
1年に1度軍事演習がありました。下野に集合、目的地は坂本の演習場(現在の坂本工業団地)です。20kgから30kgの砂袋を背負って鉄砲を持って三中隊に分かれての行軍です。背嚢を背負わせてもらえるのは、青年学校4年と研究科だけです。参加者は半分ぐらいだったと思います。日曜毎に軍事演習を出た者は、皆勤の印の赤印をもらえ、次に出席が良かった者は緑色でした。美栄橋辺りで炊飯をしたものです。中隊長は、軍人で、隊長は少尉でした。
<グライダーの練習>
 正敏さんは、青年学校3年の頃から、グライダーに乗るようになりました。間の根に練習場にはグライダーが2機ありました。渡辺甲先生(渡辺柏先生のお父さん)が教官でした。グライダーは今と違って、2本のゴムをつけ、それを20人程の者が引きました。ゴムは綱引きの綱よりは少し細いぐらいの太さでした。上昇気流に乗るほどの高さにはあがらず、高度3m、飛行時間は1分そこそこだと思います。
  グライダーに乗っていた経験もあり、軍隊の配属は航空隊になりました。