共栄物語
 

平成15年11月24日発行
<<No12>>
 <共栄区史編纂委員会>
  毎月24日、参加者大歓迎

  の話
 「うまいまずいは関係ない。だしなんか入っていなかった。味噌と野菜だけ」(鈴木正敏さん)「大勢の家族がいるのでボケボケしとると食べられてしまう」(大山歌子さん)という食生活ではあったが、どうしても必要なものは味噌だった。
 昭和10年に共栄区のこうじもろを作った大工さんは原浅エ門さん、今のこうじもろは洞田さんだそうである。今のこうじもろは、70万円でつくった。
 今のこうじもろの入口に、小木曽杉男さんが、「ガス中毒に気をつけよ」と書いた。これは、こうじもろで死んだ人がいるからである。
 こうじもろの中は、こうじ菌の増殖により二酸化炭素が充満している。加えて、温度調整のために入れた練炭から一酸化炭素も出る。密閉したこうじもろの中に入り、作業をしていた手賀野の川上しょうへいさんがガス中毒で亡くなってしまった。穂波吉松さんがむろの中で倒れて大騒動をしたこともあった。それで、「もろを閉めるな」「泊る時は二人一緒」ということをやかましく言われた。(大山歌子さん)
<<子どもの楽しみ>>
  大豆をつぶすためにミキサーをぐるぐるまわすことを手伝わせてもらうことは子どもの楽しみの一つであった。また、煮立ての大豆を食べることだった。みんなでつまむほどおいしいといって「食べれ、食べれ」と言われたそうである。
<<甘酒作り>>
 甘酒は、もち米のおかゆに米こうじを混ぜ、37度に2晩保つと、甘酒が出来る。温度管理が難しく、おかゆをわらでつくったおひつ(くるみ)に入れ、温度が下がらないようにするのだそうである。(細野照夫さんの話)
<<たまり作り>>                    
 いった小麦を石臼でひくことから始まる。味噌と同じように大豆に菌をつけ桶に入れる。大事なことは毎日混ぜることだが、労多くしてとれるのが非常に少ない。最初にとれるたまりは1番たまりといって味ご飯等につかう。しぼった後にまた水を混ぜてたまりをとるがそれはまずく2番たまりと言われていた。2番たまりをとったあとは牛のえさに混ぜて食べさせる。(大山歌子、林進、小木曽玉枝さんの話)