平成16年12月24日発行
<<No32>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎

◆歌子さんは、木綿の布を広げて見せてくれながら次のような話をして下さいました。「戦争中の物不足は綿にまで及んだ。木綿の布をほどいて糸を作り、それを利用しなくてはならなくなった。これは大切だと思って今でもとってある。結婚するのに糸もなかった。」
 それにしても歌子さんの物持ちのいいのには驚かされます。

◆俺が満州に行くまで知らなかったから、時期的に言うなら、昭和17年以降から昭和21年頃のことだと思う。満州から帰ると、綿の実をとる機械がどこの家にもあった。うどんを作るような物だった(林進さん)
◆綿の花は芙蓉の花のようできれいだった。綿の実はいっぺんにならないので面倒な仕事であったので、子どもの仕事だった。(歌子さん)
◆オクラの花にまったくよく似ていた。(正敏さん)
◆一反ぐらい作っていた。布団を作ってみどりさんに持たせてあげた。(玉枝さん)
◆綿を袋に入れ、杉乃町の綿屋(安江)へ持って行くと、実と綿を分けてくれた。昔の洗濯機のルーラーのようなものだった。
◆綿に真綿を混ぜると粘りが出たので混ぜた。
◆綿から糸にする人は吉田一夫さんの家のおかとさん、若森継男さんのお母さんがやっていた。
◆木綿の布を織っていた人は、古屋敷みや、古野みつ、古野つたえさんでチャンカラチャンカラしていて見ていて面白かった。(玉枝さん)
<編集後記>
会議に持ってきた綿の種をみんなで分けました。きれいな花と白い綿が楽しみです。