共栄物語
 

平成16年8月24日発行
<<No24>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎

 桑・養蚕の盛んな頃
 当初は、大根、野菜等を作っていたが、昭和7,8年は絹が高く売れるので桑の栽培、養蚕が盛んになってきた。林さんは、桑こきと言って、桑の葉だけをすっこいてとって、組合製糸に納めた。
 若森、古野、原、吉田、鈴木さんはお蚕を飼っていた。お蚕を飼う時は、寝るところ以外の畳は全部あげて飼った。雨が降ると桑の葉をふいて食べさせなければならず、小さい子も一生懸命だった。昭和12年頃になると値が不安定になり、安い時はダムへお蚕を捨てに行った。その後桑を作る人、お蚕を飼う人は少なくなった。

陸稲を作った
 横道は水田で米を栽培したが、上の平らでは水田は出来ず陸稲を栽培した。1反に2俵程の収穫であったが、味はよいとは言えず、日照りになると収穫は少なかった。畑餅という品種もあり、バサバサしていたが好きという人もいて栽培が続けられた。

栗栽培
   昭和16年〜昭和20年
 林さん、田口さんが中心になり栗の出荷が行われた。写真は共同出荷の様子である。1箱7貫目(約26kg)で、箱のレッテルを貼って出した。1箱が米1俵(60kg)の値段(13円〜16円)で売れた。