共栄物語
 

平成16年8月24日発行
<<No25>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎

栗栽培 昭和16年〜昭和20年
 写真は栗畑は今の市民病院前の道路である。後ろに根ノ上が見える。林さんの家では栗だけで7町歩(ヘクタール)あり、人夫を雇って栗の収穫をした。人夫賃は一日50銭程であった。


  共同出荷場は、今の林彰さんの家
の所にあり、共同出荷に参加する上宿、駒場の農家の栗面積は120町歩に及んだ。坂本は入ってなかった。栗は、特、松、竹、梅、花に等級を分けた。林さんが奇数日に集荷、その他の農家は偶数日の出荷と決められていた。当時の栗の品種は銀よせ(おいしい、おくて)、笠原早生(大きく高価であったがまずい)、シカノツメ(一番おいしい)等であった。
 吉田一夫さんが計算をした。
 戦後も鈴木、小木曽、石田、古野さん等が栗の共同出荷を行ったが、林さんは独自でやっていた。


栗と戦争
 戦争の激化した昭和19年、20年には栗の木を切った。栗は贅沢品として栽培が奨励されず、肥料がもらえなくなったからである。小木曽さんの家では栗を全部切った。