共栄物語
 

平成16年8月24日発行
<<No27>>
 <共栄区史編纂委員会>
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栗苗の販売
上は栗苗の出荷風景である。飛び上がっているのは足立東一さんである。東一さんが馬車で運んだ。場所は、今の市民病院の病棟付近である。ここに栗苗の畑があった。面積は、成苗4反、実生2反で、実生の木に接ぎ木をして出荷していた。林与八、田口時爾さんが中心になって行っていた。
 栗苗の販売先は、能登、京都、埼玉で朝鮮にも売った。1梱包100本〜120本であった。アメリカにも輸出したがまあまあもうかったと林与八さんは言っていた。
 他の人がやっても売れなかった。林与八さんの宣伝が上手で信用があったからである。苗の値段は、30銭〜40銭であった。当時の人の日当は120銭であった。
 右は林与八さんが開発した新品種林1号の登録証であった。これは好品種として大きな反響を呼び、飛ぶように売れた。
 ところが昭和30年頃、中国よりクリタマバチが入り、林一号も含めて従来の品種はほぼ全滅してしまった。