共栄物語

平成16年8月24日発行
<<No28>>
 <共栄区史編纂委員会>
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イモ穴
  昭和20年の頃は盛んにサツマイモが栽培された。サツマイモの品種は沖縄100号というものでまずかった。栽培したサツマイモは供出した。
 林与八さんは、井戸を16間(29m)掘ったが白く濁った水がわずかにしみ出るぐらいしか出なかった。その井戸を途中まで埋めて、横穴を掘りサツマイモの穴にした。その結果大変貯蔵に調子が良く、他の人もイモ穴を掘った。
 右の写真は小木曽杉夫さんの家のイモ穴である。縦穴の底から3方向に横穴を掘り進み300貫(11,2トン)入る大きなイモ穴を掘り、現在も立派に機能している。

引っ張りだこだったサツマイモ
 戦中、戦後は食料が不足し、サツマイモがよく売れた。町中の人は着物、羽織、帯を持って来てクズのサツマイモと交換していった。 
 砂糖が不足していたのでサツマイモからイモアメを作って売った。イモアメはイモを煮て、麦芽を混ぜて適温に保つと麦芽の力により糖化が進んだ。小木曽俊二さんは、イモアメを黒川屋に持って行って売った。
 昭和27年4月に砂糖の統制がなくなり、サツマイモの飴は徐々に売れなくなって行った。
ジャガイモ一杯で結婚式の費用に
 鈴木正敏さんは、ジャガイモを馬車に一杯持って行って売って結婚式の費用にした。
 大山歌子さんは、サツマイモを持って行ってタンスを作ってもらった。