共栄物語
 

平成16年8月24日発行
<<No29>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎

林進さんの話                  駒場物語より
<井 戸>
 ここで井戸を掘った、十六間ちや三十mぐらいかな、夫婦で来て掘らした。深うなると小さい石や土の塊でも、勢いがついて落ちて来て危ないもんで、頭に座布団をしばり付けてやりょうらした、てって言よった。水は冬になって神谷池に水がつくと出る。一番ほしい夏は、神谷池の水を田んぼに使って水位が下がるので出ん。そいで井戸は掘っただけで殆ど使えなんだのやないかな。俺の覚えがあるようになってからは、井戸の中へ瀬戸物やガラスのかけらなんか、ほうりこみよった。今は埋めて中途に横穴を掘って、さつまいもの貯蔵庫にしとる。水は屋根の水をためて天水を使った。天水のタソクは三つあった。深さは三m位やったかな。そいで水は大事に大事に使よった。風呂でも二度も三度も同じ水でたき返す、今使ようる十分の一も使わん位やら。水質の方は保健所でみてもらったら可やった、今なら酸性雨なんぞで、どうやら?
 林三代子さんの話 『私が嫁入りして来たのは昭和二十五年、大きいバケツを逆しまにがばっと落いて、水を汲みょった。つるべやない、綱を付けたバケツでじかに揚げよった。風呂水を汲む時やなんか、本当にえらかった。おじいさんのみえる頃は何にもしなんだけど、市の方で浄水器をくれて浄化せよと言われた。又タンクも月に一遍ずつ掃除、梯子をかけて中へ入って行って、新しい箒やたわしでタンクの壁を綺麗にして、あと動力ポンプで水を全部汲み出す。タンクは三つあるもんで順にやりよつた。このタンクは中が六畳位あるてって言ようらした。まんだ埋めてない、水のたまったまんま。』
 十日も二十日も雨が降らにゃ水は余計大事に使う。うちはもらったことはなかったけど、水が無うなっちまって、区長から消防署へ頼んでもらって、給水してもらった家もあった。十何年前かな、水道が来た、黙っとるけど、わしんたから見ると本当に勿体のうてかなわん。お袋は名は、はるの、坂本北原の可児からおいでた、戦死した兄貴、うん紀ちゃんの父親、が大正四年生れやで、大正三年位においでたことになるねえ。俺んた兄弟は八人、−人小さい時亡くなった。昭和十−年一番下の彰の生れた時、産後が悪て亡くならした。