共栄物語 

平成15年10月24日発行
<<No7>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎

 

 
 当時は、どこの家にもずいぶんたくさんの子どもがいました。
子ども達が産まれるときは、古野みつさんに頼んで取り上げてもらいました。みつさんは、助産婦の免許があるわけではなかったが、この人なしではお産はできなかった。報酬等は求めなく助け合いの心で行った。
 共栄区長老の林栄一さん等林一族、若森一族、古屋敷一族等は古野みつさんが誕生に立ち合い助産して下さったわけである。
昭和11年8月15日の林はるのさんがお産をする時は、大変困難で町の医者に頼んだが、かんし分娩に失敗し、出血がひどく8月17日には亡くなってしまった。残された家族の悲しさと悔しさは今でも生々しすぎて書けない。栄一さんは、その日の日記に、「(略)夜が明けても雲が濃く覆って夕闇迫るような気がする。鳥が鳴いて飛び去った。」と書いている。
 玉枝さんは、「みつさんとはるのさんは大変仲がよく、おはるさんを助けることが出来なかったとなげいていた。」と話して下さった。
 一歩間違うと命を失うお産である。共栄区の家族の命をあずけた古野みつさんのお人柄や当時の女性の苦労を掘り起こし、共栄区の歴史として語り継ぎたいものである。