共栄物語
 

平成15年10月24日発行
<<No9>>
 <共栄区史編纂委員会>
編纂委員募集中、証言者大歓迎



 無人の野から出発し、大正末期には8軒、昭和10年には11軒と入植者が増えていき、道路建設等地域作りのための話し合いが必要になってきた。寄り合いである。当初は、それぞれの家を順番に回って寄り合いを開いていた。やがて寄り合い所建設の話が持ち上がってきた。

<初代クラブ> 昭和10年頃〜
 横道の古屋敷さんの向かいの辺りにあった。これは荻野俊さんの馬小屋を買って作った。そのクラブの間取り、思い出、様子、写真はあるかもしれないが聞き逃しているので分からないが証言者を求めている。
<第二代クラブ> 昭和22、23年頃〜
 初代クラブの老朽化だろうか、古野周一さんが常会長の時の新しいクラブができた。当時農産物の供出という制度があり、この地域から大豆を供出することになったがせっかく集めたのに「大豆はいらない。」と言われた。そこでその大豆を売り払って新しいクラブを作ることになった。伊藤文四郎さんの横に佐藤房江さん(大脇さんの奥さんのお母さん)の家を買い取ってクラブを作った。位置的に言うと、市民病院の玄関付近になるだろうか。50歳代の者もかろうじて覚えているが定かでない。どこかに写真でも残っていないだろうか。
<第三代クラブ>昭和40年頃〜
 これは最近である。唐木さんが会計をやっていた頃のことである。中核工業団地から農業センターに使っていた古材を持ってきて作った。これは、記録がちゃんと残っているので明らかにしておきたい。

 たしか農産物の選果場のような場所もあったし、麹もろとして使う施設もあったようであるが、どのような経過で建てられたのか、どんなエピソードがあるのか、写真のような物はないのか新たの証言者が求められている。