雪の中山道

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2001/01/27

 1月25日、勤務校がある恵北(恵那郡北部)の学校の教員が集う「研究部会」があった。僕の所属する「国語部会」では、「地域ゆかりの文学を探る」というのが今回のテーマであった。

 先週末に降った雪で、訪ねようとする「馬籠」への道路状況が心配であったし、また当日の天候自体も冷たい雨が降り、大丈夫かなという思いを持たせるものであった。坂下中学校に集合し、資料を使ってゆかりある文学者を確認した。

 松尾芭蕉・正岡子規・島崎藤村・山頭火・十遍舎一九・吉田兼好などなど、中山道を木曽路を歩いた文人は数々存在する。そんな中で、上記の文人は中学校の教科書に登場する人たちだ。生徒たちの1000年前の人間に対する学習が教師の一言で、一挙に身近なものになることもある。そんなことを考えての今回の探訪だ。

 天候不順の中を決行を決めた国語部会の面々、計9名はまず馬籠峠を目指すため国道19号を妻籠へと向かった。

 妻籠から中山道に入る。一日4本程度の定期バスが通る道ではあるが、先週末の雪はまだ道路にも残っている。こんなところで定期バスに出会いたくないと思いながら、登っていく。後ろに続く8台の部会の仲間の車を従えながら。
 途中、フロントガラスに当たる雨がみぞれになるところがあった。「引き返すのも勇気だ」なぞと、大げさなことを考えながら、後ろの車の様子も見ながら登っていく。
 ここらに、吉川英治の宮本武蔵に登場する「男滝、女滝」があったはずだ、もうここを一度訪ねて20年以上になるんだな、そんなことも頭に浮かんだ。あのころ、宮本武蔵のことなんか知らずに訪ねていたんだっけ。それとも滝の説明にはそのことが書いてあったんだろうか。

 登るにつれて雪の白が世界全体を包み込んでいく。それでも幸い、フロントガラスのみぞれは雨に戻っている。

 馬籠峠に着く。標高801メートルとある。写真の右側に旧中山道が通る。昔、こんな冬にここに登る人は、もちろんいたのだろう。雪をかき分け生きるためにここを登る。そんな中に途中で亡くなる人もいたに違いない。
 「春立てる霞の空に、白川の関越えんと…」と書いた芭蕉の気持ちも分かる、そんな気がする。芭蕉はこの雪解けを待っていたんだ。春になったら早速江戸を立ち、寒くなるまでには帰ってこなければならない。半年近くかかるだろう奥の細道の旅にもきっとそんな自然条件が関わっていたに違いない。

 この馬籠峠には、峠の茶屋が建ち、その建物の峠側に正岡子規の句碑がたっている。

    白雲や 青葉若葉の三十里  子規

 馬籠峠という表示の下にこの句が書かれているのだが、今日はその下の方が雪に埋もれていた。

 子規は、帰郷するときわざわざこの中山道を選び、芭蕉の更級紀行を振り返ってみたという。それが「かけはしの記」に収められているのだそうだ。(歴史の道 楽学楽遊倶楽部 百選ガイドブック 街道と文学より)
 芭蕉は、李白や杜甫、西行そして宗祇などを尊敬し、その人たちに学んだという。そして、子規はその芭蕉を…。個人が歩んだ道を自分も歩いてみる。そんなことをできること、それがとってもうれしい、そんなことを思ってしまう。

 馬籠峠をあとにして、馬籠に向かった。今度は先ほどと違い下りになる。雪はここでも多く残っている。少しスリルを味わいながら、進む。

 馬籠では、パンフレットを見ながら次の目的地を吟味する。時間も結構たってしまった。次は新茶屋を訪ねることにした。

 新茶屋は、馬籠宿を下ったところにある。落合宿からの一里塚であろうか、一里塚が立つ。ここには、藤村の筆になる

 是より北 木曽路

の碑が立つ。そして、芭蕉が「更級紀行」に立つときに作った句

 送られつ送りつ果ては木曽の秋

の句碑も立つ。

 先ほど引用した、楽学楽遊倶楽部のガイドブックには、

 美濃と信濃の国境には、立場茶屋があった。ここからが木曽路である。藤村翁の筆になる「是より北木曽路」の碑が立つ、昭和31年11月の建立である。
 碑近くに、大黒屋金兵衛によって建てられた、芭蕉の句碑がある。「送られつ 送りつ果ては 木曽の秋」。
 「でも、この秋という字が、わたしにはすこし気にいらん。禾へんが崩して書いてあって、それにつくりが亀でしょう」「こうゆう書き方もありますサ」「どうもこれは木曽の蠅としか読めない。」(夜明け前より)
 碑は芭蕉の百五十回忌にあたる、天保13年(1842)馬籠宿大黒屋大脇信親(俳号古狂)によって建立された。

 とある。

 われわれが今このとき生きている、それと同じく芭蕉も藤村も生きていた。知らずにすませばそれまでの事実だけれど、この事実を知ったお陰で自分の中の何かに変化がある。そんな気がしてならない。
 同じ道を歩き、同じ山を見る。そこで受けた思いは違うかもしれない。ただ表現方法が異なるだけかもしれない。どちらにしても同じ人間として生きたという事実に変わりがない。

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