自己紹介

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なかなか書けなかった自分のことを、少し紹介しておこうと思います。

氏名  原 和行wpe1.jpg (10512 バイト)

生年月日  昭和30年3月15日

中津川市駒場上宿在住

mailto:kazu_hr@takenet.or.jp

こんな顔をしています。この絵は、それなりにがんばって描いたものです。(ザウルスを使いました)似ている似ていないについては責任を持てません。どこかでお会いしたときお叱りにならないで下さい。 下の絵はイラストレータで作成しました。雰囲気は出てるかな。



コンピュータに初めて触れてから、もうかれこれ22年。先端技術の22年というのは長い長い年月です。
MELCOM70 縦2m、横1m程のその大きさは、ディスプレーもなくただ前面に数個のLEDが輝いていました。マシン語の学習でこのLEDの下についているレバーを上げ下げして、数字を入力し足し算や引き算をやらせたことを思い出します。
この機械にはTYPEWRITERがつながっていました。これが入出力機械でした。タイプした命令の結果をコンピュータがタイプして返す。そんなゆったりした物でした。OSを読み込ませた穴のあいた紙テープも思い出します。

自分で手にした最初のパソコンは、SHARPのX1というパソコンテレビと銘打って売り出された8ビット機でした。
カセットテープを「2400bpsという超スピード」で読み込むという優れものでした。待つ時間が楽しかった。
これに少しずつ出始めたフロッピーディスクを取り付けたり、8ドットのプリンターを購入したり住所録等にBASICでプログラムを作って楽しんでました。これは、もらったのや買ったのを合わせて全部で3台もっていました。

そのあと、X68000という、これまた、SHARPのパソコンで遊びました。「電脳倶楽部」という5インチフロッピーディスクでの雑誌も懐かしいです。BASICで作ったプログラムをコンパイルして遊びました。「百人一首」というプログラムを投稿して2,000円ほどだったかの図書券をもらいました。(コンピュータで稼いだ最初で最後のことです)
SX−WINDOWやKO−WINDOWというWINDOW SYSYTEMが標準の状態で稼働しました。(結構重たい処理でしたが10MHzの機械であれだけのことができたのはすごい) MS−WINDOWSのファイル操作やダブルクリックになれたのはこいつのおかげでした。
今も現役でゲーム用に活躍しています。 (娘が時々、シューティングゲームの STAR WARS なんかをやっているのを見かけます。)

仕事に使えるパソコンをということで購入したのがPC−9800SX/Eでした。ノートパソコンです。画面の大きさはもちろん640×400ドット。モノクロ液晶です。3ヶ月間岐阜大学のカリキュラム開発センターに行かせてもらったとき、LP−3000というレーザープリンタを購入し、一太郎4を使ってレポートをまとめました。カリキュラム開発センターにあったパソコンはFMTOWNS。これもおもしろい機械だと思いました。
 NECのPC9821Neを利用していましたが、1996年12月、新しいのを買いました。
再びSHARPです。メビウスMN−7350です。詳しくは、ここを見て下さい。

〔以下1999年5月30日記載〕
 そして、1998年11月DOS/V機のデスクトップを購入。多くの苦い?経験を経ながら、パソコンショップブランドVIPのPentium2 450MHz機にしました。その後もコンピュータはどんどん進歩。Pentium3の時代に入ってきましたが、まずまず満足して使っています。

 コンピュータを何にどう使うかが、はっきりしていれば自然に最適機種が決まってくるもんだと、達観しております。

[以下2000年5月5日記載]
 メビウスの故障のため、愛機をGateway solo 9300 に変更です。メビウスもよかったけど、9300もいい。こちらをご覧下さい。

[以下2004年1月1日記載]
 9300もまだまだ現役。だけど8mmビデオの映像をデジタル化するためにVAIOを購入。テレビ録画に活躍中。8mmビデオのデジタル化も進みました。
 PDAは、palm m505を3年ほど使ってます。それ以前はVisorを使ってましたが、ちょっと大きさが…。m505の薄さがいい。CLIEにしようとは今のところ思いません。Outlookとデータを同期しながら使ってます。