HOBBY

私の出会った愛すべき人々
私は人を人間を観察するのがとても好きです。面白い人、やばい人、怖い人、狂ってる人、良い人。
考えてみると、私の出会って来た人々の中にも相当楽しい人達がいました。その人達を語ることは、おのれの人生を語るに等しいわけです。人生を振り返ってみようかと、思う次第であります。


I氏の青春
I氏と出会ったのは高校時代。田舎なので数少ない進学校、私のごときレベルもいれば彼のような相当賢い生徒もいた。
彼の風貌は誰が見ても「ちょいとおかしい」そう思わずにはいられない、どこか間の抜けた感じであった。おまけに慢性鼻炎で蓄膿症も患っていたと思う。高校生というのにしばしば鼻を垂らしたりしていた。
得意の数学の時間、教科書のはしを破りそれで鼻水を拭き、机に肘を付きながら「先生、それ違ってますよー。」と黒板の数式の違いを指摘してた姿は、今でも印象に残っている。
彼はウェートリフティング部に所属し、確か県大会でも上位へ行く程で小さな体とはうらはらに、フィジカルな面でもそれなりに優れていた。

I氏は大学卒業後、念願かない中学校教師となる。そして私は彼としばしば居酒屋や友人の寿司店で顔を合わせるようになった。相変わらずの鼻声だったが以前より明るくなった印象を受けた。ポロシャツにジャージそして革靴という妙なカッコに「いかにも教師ファッションやね。」と私はよくからかった。

その頃そのよく行ってた居酒屋に、とある大手スーパーに勤める女の子達もちょくちょく来てて、I氏はその中の一人を好きになってしう。彼は女性と付き合ったことがなく、女性との接し方がイマイチ分からなかったのでしょう。ほとんどストーカー状態になってしまって、毎日毎日何かを購入して、その子のレジへ行っては支払いをしてニッコリ微笑んで来るというのを繰り返していた。当然のように「Iさん、気持ち悪〜い。」なんて言われれてしまって、ふられてしまったんですね。
悪友S氏、K氏が「お前女知ってるか?えっ、まだ?そりゃダメだよ、よしソープへ行こう!」と彼を慰めるためにソープへ連れて行くことに。童貞だと上手く女性と付き合えないという、彼らの論理も乱暴であるが、まぁ彼ららしいのである。
ソープへ行ったとの話しを聞いた後、私がI氏に「どうだった?」と聞くと、「緊張してダメだった。」とのこと。大いに笑わして頂いたのである。
しかし女性への免疫が無かった彼を風俗の虜にするには、十分なきっかけとなったのである。そして毎週のように風俗に通い、ボッタクリ店でボッタクられ、借金までし、とうとうりっぱなろくでなしになられました。

それでも学校では熱意だけは有った模様で、でものんびり見える風貌では、その熱血先生ぶりは生徒には伝わらなかったのでしょう。確かに当時相当イライラしてた様子だったのだが、言うことを聞かないある生徒を殴ってしまい、暴力教師のレッテルを貼られ校内に居場所を無くし、それが原因でノイローゼになってしまった。
精神病院に入退院を繰り返し、久しぶりに顔を合わせると薬の副作用か随分太ってしまって、顔はフーセンのように不自然に脹れてしまっていた。私は「たまには一緒にまた飲もうよ。」としか言えなかった。
 
後、自殺。

H氏の青春
H氏はサッカー部に所属しゴールキーパーをつとめ、国体選手に選抜された程の名キーパーであったし、優しげな顔で高校当時からモテる要素は十二分だった。
国体を、受験優先を理由に辞退するも肝心の受験に失敗。一浪する。浪人時代、運動を止めたためか食生活の乱れか、急激に太る。もはやスポーツマンではなくなった。
一浪後、無事大学に入学、卒業するも就職浪人。つくづく浪人が好きな奴である。

就職浪人中、高校時代にホレられてた女の子と再会。盛り上がる。いや、彼は普段から気持ちが表に出ないタイプ、おまけに無口。盛り上がったのは彼女の方だけだったのかもしれない。
それでもデートをして、やることはすっかりヤッテしまう。20代半ばにして彼女は処女を失う。彼女にしてみれば、そこがベッドの上でなく外でおまけにアスファルトで背中をすりむこうとも、高校の頃から好きだった相手に処女を捧げ幸せだったことだろう。
その後彼は就職が決まり東京へ。その女の事は一回ヤッタだけでスッカリ頭から消える。きっと彼女は絶望したことだろう、しかし彼はその辺りのことは全然分からないのである。何せ悪気がまるで無いのである。
彼女は40過ぎた今も独身と聞く。
無口で自分から女性を積極的にくどくタイプではない彼だが、友人の妹も喰ってしまったり、サラリと悪魔の所行をする。もちろん一回でその子のことも頭から消える。女性をダマそうとか、とにかくヤッテやろうとか一切考えてないのであるが、何も考えずにやるからこそ余計タチが悪いのである。

高校を卒業してしばらくのこと、お正月に彼ら同級生としこたま酒を飲み、みんなして私の家に泊まっていった晩。我が家のお客様用布団に寝かせてやったところ、事も有ろうか彼はそこに夢精をなせれていった。おまけに汁を付けたまま知らんぷりして行きやがられたのである。そして今も「あれが最初で最後の夢精だな〜。」と感慨深げに話すのである。

ある日のこと、彼の元に遊びに行くと、仕事を辞め28歳にもなるのに親からの仕送りで暮らしていた。またも浪人生活。
根っからの、のんびり屋さんなのかアルバイトもせず、コピーライター養成講座なる通信教育を受けてる。バブルの名残があった時代、カタカナ職業がまだまだもてはやされてた。私は内心「金をドブに捨てるようなもんだ。」と確信した。
ところが、私が釣具店を創業するさい彼に広告を作成してもらったところ、ことのほか出来が良く、その広告を持って就職試験に臨んだところ、それを認められ都内広告代理店に就職。大手フライ、ルアーメーカーのカタログ作成の仕事に就く。

彼が里帰りして来たある日のこと「今晩、女の子と出会うことになってるから一緒に飲みに行こう」と誘われる。前回里帰りした時に知り合ったのだという。それから電話で話はしてたものの、顔も覚えて無く心配だとのこと。
一緒に飲んだはいいけれど彼は無口だし、まだ子供のような女の子もいっこうに盛り上がらないので、私が何とか場を盛り上げようと孤軍奮闘する。内心「こりゃ、こいつらダメだ。」と確信する。
ところが、「俺、彼女送ってくから。」と二人で消える。東京でコピーライターをやってるというだけでウブな田舎女を落とすには十分だったのである。バカなのは私一人であった。
ここでもまたすっかり処女を頂く。処女はギラギラしてない方がお好きらしい。
後、その子と結婚。故郷にUターンし薄給ながらも幸せな家庭を築いている。妙にほのぼのとした「何とかの川釣り」とかいうHPも持っている。

S氏の青春
S氏(I氏の青春にてI氏をソープへ連れ行った。)は小学校の頃から親分肌と言うか、いわゆる番長のような子であった。「今日の放課後大事な話があるから、みんな帰るな!」って、同級生を残し、「丸くなって正座しろ!みんなー、女のアソコはどうなってるか知ってるか?いいか、アソコは・・・」と、訳の分かんないことまで仕切ってる子だった。

確か小4だったか、「俺、昨日スッゴイ必殺技を考えたから誰か受けてくれ!」と。もちろん、みんな痛い目に遭うのは嫌だから知らん顔をしてたのだけど、相手にしてくれないもんだから彼はとても悲しそうにいてたので、私が「俺が受けてやるよ。」と名乗り出た。その技はウルトラタイガードロップをただ反対にしただけの、誰にでも考えられる情けない技だった。
技を見事に受けきった私は、額にこぶを作り出血した。彼は心底心配をしてくれ「保健室までおぶってやるよ。」って「いいから、大丈夫だから。」と断る私をそれでもおぶろうとした。ただの乱暴者では無く、なかなか良いところも有ったのだ。

高校卒業後、家業の寿司屋を継ぐため東京に修行に出た。修行先は有名な新宿2丁目に有った。最初、彼は新宿2丁目がどんな所か知らなかったと思われる。
ある日先輩に連れられ、とあるバーへ。綺麗なオネーさんが大勢いる、それは華やかな所だった。すでに相当酔っていた彼の判断力は鈍っていたこは想像にたやすい。何故かそこのママさんに気に入られ、一緒に飲みに行きすっかり泥酔した彼は、ママさんのマンションに泊まった。
翌朝、彼が目覚めると横には美しい女性が寝てるわけだ。おまけに下着を付けてない胸元が乱れていた、とも聞いた。ヤリたい盛り、したい盛りの10代の男だ、当然の様に彼女に襲いかかった。組んずほぐれつしてる間に彼は気づく、そう、ご想像の通り彼女は男であったわけだ。しかし彼はすでに臨戦態勢と言うか、治まらないわけで・・・・いたしてしまった。
誰が責めよう、そうさ誰も責められないさ。その場になればノンケといえどどうなるかは、分からないのである。

修行を終え、地元に帰って来た彼は寿司屋の板前としてりっぱにやっていた。そして、彼は一人前になった姿を見てくれとばかり、高校時代からホレていた同級生の美人に告白・・・・あえなく撃沈。
傷心の彼は、その日お腹の具合が悪かったにもかかわらず、大酒を飲んだ。泥酔したためであろう下痢をもらしてしまう。あろうことか涙を流し便をチビリ、飲んだくれてる姿を友人Kに目撃され、大笑いされてしまう。
当然のようにすぐさま、その様子は友人中に知れ渡る。

ショックのためかその後、とんでもない年上のおばさんとデキてしまう。H氏(前出H氏の青春)とある焼肉屋さんへ行き夜中まで飲んでいた。突然彼が「おいH、お前帰れ。」とH氏を無理矢理帰そうとする。あまりに強く言うもんだからH氏も仕方なしに帰る。
H氏はS氏の理不尽な行動を私に話した。「H知らなかったの?Sはあのおばさんとデキてるのよ。」って教えて上げると、心底驚き「だってあの人、本当におばさんだよ。」って。熟女の色香に惑わされたのかただ乱心してたのか、その事については、いまだに彼も多くは語らない。

その後、結婚。結婚10年を過ぎやっと子供に恵まれ、家業の寿司店も順調。大酒のみは相変わらず。

O氏の青春
o氏は高校時代から、単車のこと車のことマンガのことカメラのことSF小説のこと、10代の男なら誰もが興味を持つ全てのことに精通し、実際私も彼からの影響は非常に大きかった。
決して裕福とは言えなかった彼の家庭、彼は卒業後進学せず、海上自衛隊員になる。
彼は実習でアメリカへ行く、その時足を骨折し、1ヶ月ほどアメリカの病院に入院することに、その時の経験が後の彼の人生に大きな影響を与えたと確信する。「アメリカの病院は凄いぜ。病室で大麻やって、ロックをガンガン鳴らして。」と入院時の事を嬉々として話してくれた。

自衛隊を除隊後、定職にも就かずブラブラしてた時彼はある人と出会う。その人は長良川の河原にマジックマッシュルームが生えてるって聞いたから探してる、っていう今で言うところのBURST(タトゥーやピアッシングやら不良の本)な人だった。私が見ても「男前やなー。」と見とれるほどの二枚目でポルシェやらマゼラティーやらに乗ってて、この人いったい何者やねんって感じで。何だか悪さして東京にいられなくなり、岐阜に来てた模様。
綺麗なおねーさんと一緒にいたのだけれど、なんとソープ嬢のヒモをしてたのである。車も買ってもらった物だったんですね。(岐阜といえばソープと言う人も少なくないでしょ。)
彼はその人にすっかり影響されてしまう。危険な遊びを随分教えられた模様。

まるでモテなかった彼だが、その人の影響か見た目もサッパリし女性のあつかいにも慣れ、中学校時代に好きだった子と付き合うことになる。当時彼は結婚式でVTRを撮る仕事をしてた。
ある日、いつものようにデートをしてた時、突然彼女に別れを告げられる。結婚するというのである。まさに晴天のへきれき。そして運命のいたずらと言いましょうか、仕事でVTRを撮りに行くと、そうその彼女の結婚式だった。
彼は笑いながらそのVTRを私に見せてくれた。未練は微塵も無い様子だったが、その心中を察するに相当辛かったと思う。それが有ったからか、ヒモの人の影響かその後の彼の女性観は変わったと思う。
付き合った女の子からお金をもらったり、一度など人妻と付き合って車を買ってもらったり、私は「そういうのは止めとけ。」と随分釘を刺したのだが・・・やっぱあの時はすさんでいたように思う。
例のヒモの人が東京へ帰り、彼もその人と共に東京へ。東京では何をやってるやらサッパリ分からなかったのであるが、随分して会った時「インドへ中古車持って行って、売って来たよ。毎日◯◯◯やって、儲けた金全部使っちゃったし、もう帰れないかと思ったよ。」なんて言ってた。彼が危ない生活してるのは想像出来た。彼は楽しかったこと、面白かったことを私に話すのだが、私は慎重に行動するよう諭していた。
当時お堅いサラリーマンだった私は彼の生き方がうらやましいと、正直感じたことも事実だったのだが。

そうそう、こんな事が有ったな。彼がハーレーを買ったんですよ、ボロボロのやつだったんだけど。彼は自慢げに私に見せてくれたのだが、エンジンがかからなくなって「押してくれ。」と。ハーレーの押しがけは辛かったなー。
彼は古いVWビートルを買ったこともあった。やっぱりエンジンがかからなくなって「押してくれー。」と。とにかくよく押しがけ手伝わされたもんです。
でも楽しかったな、彼と彼のボロの車いじったりしてた時は。
彼ともよくS氏の寿司店にも行ったのだけど、彼は必ず玉子を注文した。「通は玉から。」なんて言って。でもオーダーはそれだけ、そう生ものは食えないのに、カッコつけたりして。

彼が帰って来なくなった。
友人BBB氏に聞くと、「長野で一緒にいたが彼は東京へ行ったはずだ。」と。例のヒモの人に聞くと「随分前に出て言ったよ。」とのこと。
「東京湾に沈められてるんじゃあないの。」なんて最初は冗談を言っていた。だって、ひょっこり帰って来ると思ってたから。ところがマジに行方が知れなくなった。
「又インドに行ってるんじゃないの。」だの「なんか知り合った金持ちの外人に、太平洋横断の誘いをうけてたよ。」等々話しが出てたのだが、それもだんだんとね。淋しいことだが、時間が経つ程に話題に上がらなくなる。

O氏未だ行方不明。

BBB氏の青春
BBB氏がとある高校に入学すると、そこには我が町でも1番って言っていい程の不良が。その高校は市外に在って私達の市から通う生徒は少なかったので、それもあるのでしょう、いきなりパシリにされてしまう。
それが嫌だったのでしょうか、わずか1ヶ月程で高校を中退してしまう。
とりあえず、ちゃんと高校へ行っていた私には「今日は競馬に行って儲けたよ。」等と中退後ブラブラしてた彼が大人に見えた。「競馬?スゴイな。」って思ったりしてね。いかにも弱々しい貧乏臭い情けないカッコの彼だったのだがね。

その後BBB氏はレストランのウェイター等の職に就くも、持ち前の飽きっぽさでどこも長続きせず。しかし、何故か人に取り入るのが上手く、それなりの人脈を築き色んな職に就いたりもした。
レンタルビデオ店等を幅広くやってる社長に気に入られレンタルビデオ店の店長に抜擢される。1番長く続いたのかな。ほとんどAVのレンタル屋だったのだけれど。
一時、「俺はパチプロになる。」とパチプロ宣言。元々パチンコの腕前には自信が有ったよう。数ヶ月後「パチプロって大変よ。規則正しい生活しなければならない、朝9時には起きなきゃならないのよ。」って。朝9時起きが辛くパチプロ業断念。パチプロで規則正しい生活なんですから、根っからのダメ人間ぶりであります。

古着屋を開業したことも有った。危ない香りのする人脈を活かし、もう末期ではあったが当時人気の「おにゃん子クラブ」がCDジャケットの撮影に着てたという衣装を仕入れて売ったりもしてた。
大したもんだよと思っていたが、半年もすると「夏は売る物が無いんだよね。」なんて言いつつ、店をたたむ。辛抱とか気長とかつくづく縁の無い人間である。
Jリーグ発足時、ブームになったミサンガ、覚えてますか?あれをバリに行ってメチャメチャ安く仕入れて、大量に売りさばき大儲け。いい気になって「まだイケルだろ。」って仕入れて、ブームの終わりと共に大量の在庫を抱えて部屋中がダンボールの山に。考えが浅はかなんです。
次はアンティークのビーズやらシルバーを仕入れてアクセサリーを作って売る、と。アイディアは間違いなくOKだった。でも、そう根っからのダメ人間、こつこつアクセサリーを作る何てのが出来るはずもなく、それもダメ。

「観光客相手の土産物が一番儲かるよね。」とか言って、一時働いた事のある白樺湖へ。やっぱり商売は上手く行くはずも無かったが、物怖じしない性格なのか、やはり取り入るのが上手いのでしょう。何故かテキ屋の親分と仲良くなって、観光客の団体写真撮る仕事をもらったり、焼きトウモロコシの屋台で働いたりして食いつなぐ。
少々前まで親分の作ったキャンプ場、コテージ等の管理人という重要なポストに就くも、もちろんもう止めた。
最近では各地で行われるレイブパーティーがお気に入りの様子。

43歳、未だ定職持たず。当然独身。

Sちやん氏の青春
Sちゃん氏とは中学校時代に会ったのであるが、彼は中学校のスターであった。顔はジャニーズがごとき二枚目で明るい性格でスポーツ万能、おまけに野球部で4番。モテてあたりまえ。
彼が歩けばあっちからこっちから女の子の歓声が飛ぶほどだった。
私はといえば剣道部というマイナーな部に所属し、ごくごく普通の中学生。クラスも一緒になったこと無かったし、話しかけることも出来なかった。私にとって彼は手の届くような存在では無かったのである。

彼との付き合いが始まったのが20代の中頃か。彼は毎日のようにジムに通い筋肉モリモリ状態になってた。と言うか筋肉バカになってた。
Sちゃん氏は父親の後を継ぐべく司法書士を目指していたが、そうは簡単に合格するはずもなかった。脳に行く血液より筋肉へ行く血液が多いのである。

彼ほどの二枚目ならば女は入れ食いのハズなんだけれど、面倒なのかモテすぎて自分から口説くことを知らないのか、いずれ結婚することになる彼女一人とずーと付き合ってた。妙に堅いと言おうか男気が有ると言おうか、変に真面目な性格なわけだ。もちろんそれが悪いと言うことは決して無い。
司法書士にめでたく合格後これまためでたく結婚の予定だったが、やっぱ、なかなか受かんないわけですよ。これ以上彼女を年寄りにしたらいかんでしょって結婚。

彼はしょっちゅう「俺のアレは二握り半も有る。みんな今でも朝立ちする?俺なんか毎日よ。もう痛い程にね。」ってデカイ事、絶倫である事を自慢をする。
でも使ってないんです。かみさんとも1年に1度有るか無しかとのこと。私が「そんなにしないと誘い方も分からなくなるでしょ。」って言うと「確かに照れちゃうよね。」と彼。私は「Sちゃん、結婚して10年も経つのに、かみさんと手を握るとこからやり直しかい。」って笑って上げるわけだ。
彼の場合そうすると例の「俺のはデカイ。」自慢なんだよね。こっちも悔しいから「使わなきゃ。どんな名刀だって鞘から抜かなきゃ意味無いよ。錆び付くよ。」って言ってやるわけです。「大丈夫、俺には恋人が沢山いるから。」とか彼は言うのだけれど、情けないかなAV女優なんだな、これが。40歳過ぎて結婚してて恋人がAV女優、アダルトビデオってのも哀愁もんだ。
小金貯めて風俗行くのが今や彼の密かな楽しみ。

普通、風俗とかではあまり自分の事など正直には語らないですよね、彼は違う。子供の事から、家庭の事、一緒に行ったメンバーの事を、事細かに風俗嬢に話すのである。それでもって「何だか、話しすぎてしまってイマイチHな気分になれなかったなー。」とかいつも言ってるわけだ、「おいおい、自慢の二握り半は今日も不発かい?用の無い時ばっか硬くしてるからだよ。」って私達。おまけに一度風俗に行くと1年はその話しで盛り上がって酒を飲んでるてんだから、安い物だ。

毎日ジム通いの運動オタク。未だ目指せ司法書士。

今回はほのぼのしたな。

T氏の青春
T氏は非常に物静かでおとなしい人間であった。ただ単車が好きで、それだけのことで彼の友人はどちらかと言うと真面目か方々ではなかった。彼本人は決して不良では無かった。
高校2年の体育祭、男子は組み立て体操を披露したのだけれど、その練習中のことだった。彼らのクラスはとても高い塔を作ったのだが、彼が上から落ちたのか、それとも落ちてきた人が当たったのか記憶は定かでは無いが、彼は頭部を痛打し怪我をした。
本当にそれが原因かどうか、はっきりした事は私には分からない。でも我々友人の間ではこの頭を打ったことが原因だとされていた。
その頃から彼は狂った。

いつものように私達は、溜まり場である友人の家に集まっていた。一人の友人がタバコに火を付けた時、あのおとなしい、いるかいないか分からない様なT氏が「タバコ吸うな!」と一喝し、タバコを付けた友人に殴りかかったのだ。突然の事に私達は呆然とした。人にケンカを売るような人間では絶対なかったのだ。
ロック好きだった彼だったが、授業中レッドツェペリンの本を読んでて先生に注意される。すると「俺とお前は住んでる次元が違うんだ!」と叫んだ。本当におとなしかった彼、教師もまさか彼が反抗的な態度をとるとは考えられず驚き次の言葉が出なかった。
いつもの溜まり場での事、壁を見つめていた彼が「悪魔が悪魔がー。」と絞り出すような声でつぶやいた。聞いた我々は彼がおかしくなった事をこれで確信した。

中には「悪魔に取り憑かれたんだ。」とか言って近くのお稲荷さんに油揚げを持ってお参りに行った奴もいた。(コックリさんの影響です。私達は「後ろの百太郎」の年代なんです。)高校の頃は今や唯物論派の私も「もしかしてそうかも。」って本気で思ったりもした。
さすがに家族も気がついたのでしょう。入院することに。

その時は治療が上手くいったのでしょう。それから高校を卒業するまでは問題なく、「あの時、おかしかったんだよ。色んな音が聞こえたり、見えない物が見えたり。」って笑いながら言ってた。

卒業後、単車をいじる事が好きだった彼は自動車修理工場に勤める。彼にはピッタリと思っていたが、ある日彼が購入した初代セリカ1600GTVを運転させてもらうと、いかにも走らない。「おいT、これおかしいよ、1気筒死んでるんじゃないの?」って私が言うと、「そうかな〜。」って。
しばらくして、「2気筒死んでた。」って彼から聞いた時こいつはダメだ、て思ったよ正直言って。その後やっぱ仕事を辞めた。

友人の一人、K介が岐阜市に住んでたのだけれど、高校時代パッとしなかったそいつは何を思ったか、髪を金色に染め車を紫に全塗装しシャコタンにしてたところ、女の子に妙にモテはじめた。K介のアパートはリトルハーレムと化していた。やっぱり金髪の少女達が週末になるとワンサカ集まっていた。そういう需要って間違いなく有るんだなと、妙に確信したもんだ。
T氏はそいつの所に遊びにしばしば行っていた。いつも女の子がいたからね。友人達は結構美味しい思いをしてたが、おとなしい彼はヤンキーな女の子にはなかなか相手にされなかった。それでも心優しい一人の子にお願いして童貞を捨てる。あのTが、ってみんなして喜んで上げたもんだ。

はやりと言うか、春先になると彼はおかしくなってしまい、二十歳過ぎから毎年のように入退院を繰り返す。私はどうしても付き合いが遠のいたのだが、ある日のこと、またバンドをやろうと突然彼から誘いがかかる。高校時代も一緒にバンドやってたんです。
練習場も押さえて有ると言うし、メンバーも決まってると、ドラムは元プロだって言うじゃない。私も仲間に入ることにした。
彼は高校の時はベースをやってたのだが、このバンドではリードギターをやると言う、もう一人いた同級生は私が入ったことでギターからベースに降格。まずは一曲やってみようとみんな知ってる「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」を。
この曲はボーカルもT氏が取ると言う。彼はそんな風に主張する人間では無かったので驚いた。今回は彼が集めたバンドだ最初から文句は言うまい、と私。間奏は「アドリブでやる。」と彼。ちょっと困ったリフだった。て言うか相当困った。
歌うって言ったから歌詞を知ってるかと思ったらまるで歌えない。サビの部分も「ジァピジャン ジャンフラッシュ ゲ ゲ ゲー」とか歌うわけだ。
「T君次回までに歌詞覚えて来てよ。」ってドラムの人が、でもきっとあの人も「こりゃダメだ。」って思ったと思います。やっぱ次に集まった時も「ジァピジャン ジャンフラッシュ ゲ ゲ ゲー」だった。鬼太郎かちゅうの。おまけにベースはもう来なかったし。結局2回の練習でTバンドは終わった。
今思うとあの時のT氏は抗うつ剤をやってたと思う。そうでもないと奴があれほど明るくてハイになってるハズが無い。本当にテンション高かったから。

それからも彼は精神病院へ入退院を繰り返した。ある日の事、友人K介がTを見たと言う。彼と分からない程に太っていたとのこと。私はI氏(前出I氏の青春)の事を思い出した。薬の副作用だろうと想像出来た。

K介が見かけたその後すぐT氏が死んだ。内臓疾患とのこと。30代半ば過ぎのことだった。

MT氏の青春
MT氏との出合いは小学校の5年の時、お互いホームズだのルパンだのの小説が好きで魚釣りが好きで仲良くなって、6年生の夏休みなどは毎日一緒にいたような気がする。
MT氏は小学校時代からリーダー的存在でいわゆる仕切り屋であった。色んな遊びに精通しており同級生から慕われてもいた。
中学は違ったものの高校ではまた一緒になり映画にしろ小説にしろ音楽も、もちろん釣りも趣味が合い付き合いもさらに深くなった。

MT氏の家はちょっとした町工場をやっており、高度経済時代の波に乗り田舎の中ではそれなりにリッチであった。小学校時代の作文で「僕のお父さんは社長です。」とか書いていたのを覚えている。
その工場を継ぐべく高校卒業後、富山県に有る技術系の大学へ入学する。
学校は早月川と片貝川の間に在り釣りをする環境としては申し分ないものの、やっぱりその年代は他の遊びが多くなり、釣りはほとんどやって無かった。もっと釣りに行けば良かったと今では大いに後悔している彼である。当時の富山だったら釣り天国であったろうことは想像にたやすい。

彼は留年するも無事卒業し地元に帰り、兄と共に家業を一所懸命やって経営者としてもいっぱしになって来た頃のこと。私とO氏(前出O氏の青春)が一緒に酒を飲んでたのであるが、O氏は酔いも手伝い高校時代ほれていた女の子にTELをした。要はデートに誘ったわけである。
その時、女の子は二人きりは嫌だけどグループでならOKと言ったそうで、O氏はその子と仲の良かった8ちゃんと、8ちゃんにほれてたMTを誘うと告げた。
そのことをMT氏にTELすると大喜びで当然OK!
つまんないのは私です。その場にいた私の名前を何故に出さなかったのかとO氏に詰め寄るも、「MTに言ちゃったから、奴は8ちゃんにほれてたから。」と。8ちゃんは結構かわいくて私もまんざら嫌いでは無かったので、少々嫉妬したのである。当時私は好きでもない女と付き合っていたし乗り換えるチャンスと思ったのである。
グループデートを順調に済まし、当の本人O氏はフラれてしまったにもかかわらず、MT氏は8ちゃんと付き合うことになり、順調に交際を深めて行った。

二人の間で結婚の意識も芽生え始めた頃、何故か8ちゃんの母君が二人の交際にNGを出す。理由を尋ねると町工場の経営者であることと兄とやってることが気に入らないとのこと、つぶれそうならともかく会社の経営状態も良く収入も多い彼にとっては非常に理不尽な理由であった。
私が思うに、8ちゃんのお母さん、そして8ちゃん本人も◯◯学会の信者であり、それで学会員でないMT氏との結婚を反対したのではないかと想像する。

とにかく大反対をされたわけである。そして・・・
そして二人は駆け落ちの約束をする。寝物語に熱く胸の内を語る。結婚を固く誓う。燃え上がる恋いであります。めくるめく青春であります。翌日落ち合う場所を決めて「明日必ず。」とその日は各々の家へ。

ところが、ところがどっこい、約束の場所へ8ちゃんは来なかったのだ。あれほど愛し合っていたと確かめ合ったのに、幸せになろうと誓い合ったのに、8ちゃんは土壇場になって怖じ気づいてしまったのだ。
「何故だー、8ちゃ〜ん!」とMTが叫んだだかどうか、それは定かではない。

彼女に裏切られていまったためなのか、女性との付き合いにお気軽さが無くなったように思う。私とは大違いである。それはそれで悪いことではないのだろうが。

MT氏40過ぎ未だ独身主義を貫く。

K介氏の青春
K氏との付き合いは小学校の3年の時から始まる。彼の家は昔は名家であったらしいのだが、当時からハッキリ言ってボロくてそれより何より汚かった。
お母さんは掃除が嫌いらしく家の中はゴミだらけホコリだらけ、K介氏の布団や枕にかかってるシーツはもう真っ黒であった。「お前これで寝てるの?」って思わず聞いたのを憶えてます。
家事は嫌いなお母さんであったが教育熱心で、当時私などにはまるで縁の無かった「ドリル」なるものがK介氏の勉強机に置いてあったのだが、私はドリルと言えば穴を開けるアレしか知らなかったものですから、「こんな物が有るのかい。」とその時始めて知ったのだ。
でもK介氏は「ドリル」でお勉強してるわりには、あまり成績は良かったとは思えなかった。

K介氏と私は同じ高校だったのだが、中学時代受験校を決める時、教師に「その高校は止めとけ、落ちるよ。」って言われてたらしいのだが、例の教育ママが無理矢理、私達の高校を受けさせた経緯が有ったとのこと。
奇跡的に合格はしたのであるが、当然りっぱな落ちこぼれであった。
彼は背も低く、顔も良いとは言えず、センス等と言う言葉にはほど遠く、さらに素晴らしい環境でお育ちになったものだから、清潔さに欠け、否、不潔で女の子にモテる要素はこれっぽちも無かった。卒業後の彼の姿を占える奴は、ハッキリ言って一人もいなかった。

さすがの教育ママも彼の大学進学はあきらめ、彼は就職する。
最初の頃は真面目に勤めていたのだが、基本的には小悪党な彼。大悪党達が集まって来る。高校時代も彼ん家が我々の溜まり場だったのだが、岐阜市で一人暮らしを始めても、そうなった。人は妙に綺麗な所より汚い所が落ち着くのやもしれん。
程なくして、彼は仕事を辞め眉毛を剃り落とし頭髪を金髪に染めた。今でこそ珍しくない金髪だが当時は相当ハデに見えた。そしてクルマを紫に塗り直し、シャコタンにした。
要は暴走族と申しましょうか、ヤンキーと申しましょうか。たまに暴走はしても族ではなかったな、なんせイイ年でデビューなんで。
すると、どうしたことでしょう女の子にやたらモテ始めるではありませんか。やっぱり金髪の子やら、学校を理由有ってお休みしてる子やら、ヤ◯ザの娘さんやらが週末ともなると彼のアパートにワンサカ押し寄せ、入り浸り、彼の部屋はそう、まるでハーレムと化したのである。(T氏の青春でも紹介。)

ある日の事、O氏とT氏(前出O氏の青春、T氏の青春)がK介氏のアパートへ遊びに行くと、K介氏は寝室のベッドの上でキンキラキンの髪のハデな子と真っ最中で居間のこたつには可愛い金髪の女の子が2人いた、と。当然くどきに入るO、一人無口でただ微笑んでいるT。O氏がくどいてる子はまんざらでも無かったとの事だが、もう1人が絶対Tはヤダって言ったらしい、あくまでO氏の話なので実際はO氏が嫌がられたのかもしれないが、とにかくそれでデキなかった、とのこと。
それはそれで良いのだが、K介氏が部屋を覗くとスッカリ寝てしまった女の子達、それをO氏がこたつに潜り女の子のスカートの中を覗きマスターベーションをなされてた、と。
もちろんK介氏、静かに戸を閉めて見ないことにしたらしい。節度ある大人の行為である。

またある日、彼は私に「今日は朝から3発もヤッちゃったよ。朝起きてまず2発。午後から違う子と1発。腰が痛いよ。」とか言うわけだ。思わずいじめちゃおうとも思ったけれど、私も「いや、俺も昨日の夜4発もヤッタよ。」って・・・・
見栄を張らなきゃイカン時もあるんです。

結局、彼はいたいけな女子高生をダマし、数年の付き合いの後、彼女と結婚。Uターンして来て喫茶店を開業するも数年で潰す。まぁ、やっぱり嫁さんも清潔好きでは無かったから、致し方なし。
今は普通のサラリーマン。まぁ、ちゃんとやってる。

MB氏の青春
MB氏が死んだって電話が入った。信じられなかった。信じなかった。私はかたっぱしから同級生に電話でたしかめた。

MB氏との出合いは中学校2年の時、彼は非常に明るくて楽しくて、彼の回りは笑いがいっぱいで、「僕は誰とでもすぐに友達になれます。」って自己紹介で言ってたけれど、事実誰からも好かれてた。

MB氏も釣りが大好きだったので私達はすぐに意気投合した。最も仲の良い友人となった。彼は私の知らない釣りを一杯知っていた。
ひょうたん、そうあのひょうたん湖です。での雷魚釣り、当時は生き餌でね。本格的なフナ釣り、鯉釣り。そしてルアー、フライフィッシング。
そう、彼との出合いが無ければ私はフライをやってなかったのかもしれない。一番多感な時期、彼との出合いが私の人生に大きな影響を与えたのは間違いが無い事実である。

ABUのカタログを学校に持って来て「これがルアーだよ。これがアンバサダーってリールだよ。」って教えてくれた。アンバサダーの例の神話、水の中に落っことして翌年拾い上げ、そのまま使うことの出来たって言うアレです。その神話を読んで「スッゴイなー。」って、アンバサダーを持つのが二人の夢だった。

当時、我が中津川市を二分するように流れてる中津川の中下流域には鱒釣り大会等の残り鱒が結構いたのだが、ルアーで釣れることが半信半疑だった私にMB氏は見事大きな虹鱒を釣って見せてくれた。
私は「こんな物で釣れるのか!」ってルアーに夢中になった。
また彼が開高健の「フィッシュオン」の存在を知り、購入し私にも読ませてくれた。私達は「フィシュオン」の世界に夢中になった。そうそう、当時は開高健のことを「かいたか けん」って言ってたっけ。

中学3年の頃、我が市には「中津川ルアー、フライアングラーズ」というクラブが有った。日本のルアー、フライの創世記の頃のことだ、よくぞこの田舎町にそんなのが有ったと感心する。
そのクラブが農業用ため池を借りて、そこに虹鱒を放流して釣って遊んでいた。MB氏はいち早くその情報を入手し「釣りに行こう。」と私を誘った。
私達のタックルはスイコミ(鯉、鮒を釣る、練り餌付ける渦巻き状の針金に針が付いた物)を投げる投げ竿に360円のリールだったのだが、そこで見た大人達のタックルはABUだったりして、私達も大いに影響されダイヤモンドのマイクロ7とか買いましたよ。みんな買ったなー。お年玉で。
MB氏は毎週日曜その池へ釣りに行ってた。私は受験生なので自粛してましたよ。もちろん彼も受験生だったのだけれど、お気楽と申しましょうか、要は無理のない学校を選んでた。いえね、私だって落ちっこ無いとは思ってましたが、基本的に小心者だったのと担任の教師と馬が合わなかったのですよ。宿題とか絶対やってかなかったですから、担任の授業は。「内申書、悪いよ。」何て言われてましたから。何せ受験間近それなりには勉強してましたから。
だから彼がうらやましかったな。「気楽な奴は良いよなー、釣り行けて。勉強出来なくてもへっちゃらな人間に生まれりゃ良かったなー。」と、彼には悪いけどそんなふうに思いました。高校へ行ったら本当にへっちゃらになっちまったんで大笑いですが。
その池でフライフィッシングてのも始めて見ました。「何やってるんだろう?どうやって釣るんだろう?」って友人みんなして話したものだ。あの頃は謎の釣りですよ。あの池が有ったこから今が有るんだろうなって、実際思います。

卒業してMB氏と別れるのがホント辛かった。でも家が遠いわけでないし、また一緒に釣りも出来ると思ってたが高校へ入学するとやっぱ疎遠になった。
随分してからのこと、ある日、高校入学以来始めて私は彼ん家へ遊びに行った。彼の兄の単車に乗って遊んだ。原付に二人乗りですよ。もちろん無免許。
乗り回している時、パトカーに見つかり路地に逃げ込んで、捕まらずに無事帰還した時はホッとして、二人して顔を見合わせて笑った。

突然、突然だった「MBが死んだかもしれない。」って電話が入った。
「だって俺、1週間前に会ったばっかだよ。久しぶりに会ったんだよ。どうして?何で?」私には到底信じられなかった。彼と同じ高校へ行った奴に電話をした。真相を確かめるべく、と言うか「そんな事はない。」て否定の言葉を聞くために。
一人の友人が驚いた様子も不思議がる様子も無く「最近、MB学校に来てなかったからなー。」て知ったこっちゃ無いって感じで答えたものだから、私は思いっきりに腹が立ったのが今も忘れられない。

オートバイでの事故だった。車と正面衝突したとのこと、頭蓋骨骨折で即死。悲しすぎて涙も出なかった。
高校1年、もうすぐ春そんな頃だった。

青春シリーズとりあえずおしまい。結構反響有ってうれしかったです。いやー、振り返ってみると私の友人って随分死んでます。人間っていつ死ぬか本当に分からんものです。私のお気楽人生も周辺はヘビーだったなーって、書いてて思いました。