きみこいし
とある日曜日の午後のこと、台所をごそごそとあさる男あり。
「お母さーん、この土佐ジロー、早く食わんと、腐るんじゃないー?焼いてよー」
大丈夫、大丈夫、そんなにあわてなくったって、腐りはせぬ・・・・・
土佐ジローとは、土佐の地鶏と米国原産のロードアイランドレッドを掛け合わせた鶏のことだそうで、その卵を、土佐に住む主人の妹の家から送ってもらったのです。
殻の色はやや赤みがかっていて小粒、黄身は黄色というよりも、オレンジ色をしていて、そこに一点、ぽつんと針で刺したような模様があり、これが有精卵の証拠だそうです。
昨年のお正月高知の家に行った際、その鶏を見せてもらいました。畑にビニールハウスのようなものを建てて、地面の上を自由に歩きまわれるようにして飼っていましたが、三十羽ほどのメス鶏とニ羽のオス鶏で、広いハウスの中で、木の実や野菜を多く与えられ、養鶏場のおりの中で方向転換もできない境遇とは遥かに違い、いかにも健康そうでのびのびとしておりました。
そんな親鶏から産まれた卵、なかなかもったいなくって、卵焼きなんぞにできないよ・・・・・
その黄身のおいしさを存分に味わうため、毎朝一粒づつ白いごはんにかけて食べていたのですが、それを豪華に卵焼きにせよと言うは、言わずと知れた吉本龍司。
知らん振りしている私に、矢継ぎ早に言葉の機関銃をあびせる。
「やっぱさ、この特別な卵をあつあつに焼いていただくっちゅうのも、なかなかおつなものやない? 普通の卵と食べ比べてみると、益々その良さがわかるっていうもんやし・・・・
ぜひともここは、自分の舌で味わってみることが重要やね。両方焼いて、ね。土佐ジローと普通の卵と別々に焼いて・・・・・まぜたらあかん、ちゃんと違いがわかるように。何事も実験して確かめて見るということも、人生において大事なことやと思うら・・・本当にうまいかどうか、普通の卵とどこがどう違うのか、比べてみんと・・・・・・混ぜたらあかん、別々に、ね」
おねだりする時だけねぇねぇ言葉。
はいはい、もうこうなったら焼くまで止まらない龍司の演説。ご飯も食べたというのに、よくお腹のすくやつめ。しょうがない、おっしゃる通り両方焼いてみましょうと、取り出した卵、土佐ジローがニ個と普通のL玉一個がちょうどおなじくらいの分量。二つの鉢に割って入れて・・・・・・尚も続く龍司の弁舌。
「おっと、鉄人、容器を取り出しました。どうやら卵を割るもようです。そしてフライパンをあかめています。今、これは砂糖、砂糖ですねぇ、砂糖が入りました。次は醤油ですか、今混ぜてます、鉄人が混ぜてます。まずは普通の卵からとりかかります。フライパンに油が入りました。どうやら焼きにかかる模様ですねえ、まもなくです。焼いております。今、焼いております。
さあ、まずひとつ出来あがりました。次はいよいよ土佐ジロー、土佐ジローであります」
あきれてじっと顔を見れば、
「何、いかん?実況中継やに・・・・・なんか文句ある?」
もーう、嬉しそうな顔!
ひとつの皿にふたつ並んだ卵焼きを、あわてて抱えてこたつまで運び、この上ない幸せを食すかのような笑み。味はどう?と聞けば、口いっぱいにほうばって、ほっほと言いながら、
「やっぱ、土佐ジローのほうが、黄身が濃い!」
そんなこと、食べ比べなくったって始めからわかっとるわい!まんまと弁舌にのせられて餓鬼の空腹を満たす魂胆にはまってしまった、平和な日本の、テポドンも飛んでこないのどかな昼下がり。母はその横で遠慮しつつにこやかに見守る、一杯のかけそば的粗食の光景。
龍司よ、たかが卵ひとつとあなどるなかれ、今君が食さんとす、卵焼きの中には、その色にもまさる黄金が満ちている。これをもって地場産業としようという土佐ジロー生産振興組合の熱き志と、新鮮で美味しい卵をわざわざこの地まで送ってくれた叔母さんの思いやり、息子のわがままに耐えてにこやかに卵を焼く母の、黄身にもまさる濃厚な愛、そして何よりも、大地をかけずり青菜をついばみ、命を子孫に繋ぐべく一心に産み落とした生命のエネルギーが、その湯気と立ちのぼり、皿いっぱいに満ちている。
やがてそのエネルギーが龍司の体内で新たなる活力となり、脳のシナプスに働きかけてくれることを、ああ、母は望まずにいられようか。
針一点ほどの命の源、成長することなく口の中に消えたその命、けっして無駄にするなかれ、ああ土佐ジロー、土佐ジロー、そが上に熱き涙をしたたらせ・・・・今ここに苦もなくつつがなく一日を過ごせる幸いを思え・・・・・
これでどうだ!このぐらい言えば龍司の舌に対抗できるかな・・・・・料理の鉄人でもここまで大袈裟には語らない、一皿の卵焼き。ああ黄身濃いし、きみこいし、土佐ジロー!
. | ご意見御感想は、ryuuji@takenet.or.jpまで. Copyright 1997 RyuujiYosimoto. All rights reserved. |