二人目の山頭火
今からおよそ十五年ほど前、龍司がたしか一歳くらいの時でしたから、昭和五十八年の七月頃の事だったと思います。うちの店に法衣姿の、ひとりの老人がいらっしゃいました。 身長は百六十センチくらいで、よく日に焼け、痩せて目だけが落ち窪んだ中に大きく開き、これはちょっと失礼な言い方かもしれませんが、夏の暑い盛りですからずいぶんと汗臭い。黒い法衣もよれよれで、黒と言わず灰色に汚れ、肩まで袖をめくり上げ、骨と皮だけの、垢じみた二の腕がむき出しているのも気の毒なくらい。六十歳はとうに過ぎているように見えましたが、その格好が年を感じさせただけで、実際は見た目よりもう少し若かったのかもしれません。
で、うちにいらした目的はというと、折り曲げ鋸がほしいということでした。
自分はずっと旅をして来て、今、馬籠から妻籠に抜けて行こうとしたが、弥栄橋の下の木曽川で顔を洗おうとした際、持っていた袋を水に流してしまったと。
その中には野宿の道具・・・・・小刀、鋸、洗面用具、身の回りの小物などいっさい入っていて、幸い財布だけは身に付けていたので助かったけど、今夜寝るところの下草を刈ろうにも、刃物ひとつなくては困るから、小さな鋸がほしいということだったのです。
応対したのは私の父でしたが、きっとあまりにも気の毒に思ったのでしょう、
「まあ、そうやったら、これ安くあげるは・・・・・・」
と言って、小ぶりな鋸とナイフをお渡ししたのです。父も思いきって値引きをしたもので、付いてる値札の三分の一くらいの額でした。
馬籠から、妻籠に抜ける・・・・・・それをこんなところで顔を洗っているというのも、ちょっと道筋が違うようで、私は例の山頭火をすぐ連想してしまったのですが、気楽な旅ならそういうこともあろうかと店の奥から少し様子を窺っていると、その坊さんは父の言葉に大変喜ばれて、お金を払うと、
「わしゃ、旦那さんのその心意気が嬉しい・・・・・お礼に一筆書きたいが、筆も墨も全部流してしまった・・・、筆と墨があったら出してくれないか・・・」
と言われたのです。(かなり前のことなので、わしゃ、と言われたか、私と言われたか、つまり言葉遣いの細部まではおぼえていませんが、およそ話しの雰囲気はこのような内容でした)
父は私を呼んで、紙と墨と筆を用意するように言ったのですが、突然言われても何もなく、紙はどんなものがいいかそのお坊さんに聞くと、大きめのカレンダーくらいのもので、なければいっそのことカレンダーの裏でもいい。
筆はペンキ塗り用の売り物ならあるが ――――
―――― ちょっと雑なのなので、もうちょっとましなのはないか。
墨は建築墨付け用の墨汁ならあるが ――――
―――― まあそれでも良かろう。
その人物がいったい何者なのか、そして今から何を書こうというのか、かいもく見当もつかないまま、父も慌てしまって、近所の文房具屋で早く筆買ってこいと言うは、紙探せと言うは、もう大変。
とりあえずその坊さんには、店の奥のせまい事務所に座ってもらい、およそ十分くらいののちには、大きめのカレンダーを裏返してテーブルの上に置き、慌てて走った店で、習字用の筆と、ついでに建築用でない墨汁も買い、さあどうぞと差し出したのです。
ニ、三文字書くと、じっと筆を眺め、確かめ、
「これはいったいいくらした?」
「はい、五百円くらいでした。それしかなかったので・・・・・」
「弘法筆を選ばすと言うが、やっぱり少しは選ぶ。せめて千円か二千円くらいは出さないと・・・・・これではちょと人に見せられるような字にはならない。わしはもっと良いのを使うが、なにしろ流してしまったから、それも買わなくてはいかん・・・・・」
そして紙に書いた言葉は、
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
「これをお寺さんの方向にむかって貼っておくといいのじゃが、なにしろこの筆でこの紙じゃ、それに今日は落款も流してしまって、押すものもない。今日はわしが来た証拠としてこれを置いて行く。この次またわしはここへ来るつもりだから、その時、ちゃんとした紙にいい筆で書き直して、印も押してあげるから、それまでとって置くように。
こちらのお寺さんの宗派は何じゃ、宗派によっては、これじゃぁいかん場合もあるが」
と言われるので、ここらあたりは廃仏毀釈の令により寺は廃止され、殆どの家が神道で、お寺さんはあまり関係がないのです、というような話しをして、それから少し平家物語の話題になりました。この続きはわかるかと言われたので、私がうろ覚えの続きを少し読み上げると、
「若いのになかなかそこまで覚えている者は少ない、わしゃあんたも気に入った、あんたにも何か一枚書いてやろう、何でも好きな言葉を言ってみなさい・・・・・」
突然言われても、カレンダーの裏に墨で書いてほしい文句でしょ、諸行無常と書いた人でしょう・・・・・その場の雰囲気とその人の旅姿からすれば、芭蕉くらいしか思い浮かばず、じゃあ・・・・と言って奥の細道の一節をお願いしたのです。
すると、
「おいおい、まあ、あんたよーう話しのわかる人じゃ。おもしろい、益々気に入った」
私が恐る恐る名前を尋ねると、
「今は旅の途中じゃ、名乗るべき時でない、おまけに落款も流してしまったから、名は名乗らん。絶対にもう一度来る。また来るから・・・・・」
それでもさらに私が問い詰めると、
「九州の葉隠じゃ、葉隠無風じゃ」
とだけ言い残して、
「わしゃ、いつになるかわからんが、絶対にもう一度、ここへ判を押しにくる。あんたがたいい人じゃ・・・・・」
と去って行きましたが ―――――――――― 今だに来ない。
あとから、これは芭蕉より、山頭火の句でも書いてもらったほうが良かったかなと思ったのですが、あまりイメージが重なりすぎていると、内心そう思っても本人の前では咄嗟に口に出来ないものです。
父はその時、これは値打ちのあるものを手にしたのではないかと思ったのか、私にくれると言ったその奥の細道の一節まで、あわてて一緒に巻きこんで、自分で片付けてしまい、あれ以来私も一度も見ていません。ものがカレンダーの裏書きだけあって、長いこと経つうちに自分でも古いカレンダーと間違って処分してしまったのか、どうも見当たらないと言うのです。
いったいあの人は何者だったのだろう・・・・・・
書についてはまったく音痴で、いったいそれがうまいのか、まずいのか、私たちには皆目わからず、何しろ書きながら、筆が悪い、と笑ってしまい、本気じゃないから、このまましまって置くように言われ、確かにちょっと乱暴に書きなぐったようなところがなきにしもあらず。
でもこれが書道家きどりのたんなる放浪の坊さんのしわざだとしたら、金品の要求もない、食事一膳たかるわけでもない、粗茶を口にしただけで立ち去るという、なんの得にもならないようなことにわざわざこんな手の込んだ芝居をするであろうか・・・・・・
おふざけが好きなご老体なら、もう少しましな紙を用意させて、―――― 表装を整えておけば少しは値打ちも出るでしょう ―――― とくらい、もったいぶった言葉を残してくれてもよさそうなものなのに。
あれこれ思っても深意がわからず、今だに謎の人物なのです。
だから今日はインターネット尋ね人、どなたかこんな人物をご存知ありませんでしょうか? ――――― 葉隠無風とはいったいどなた?
ある日突然、うちの店の前に黒塗りの高級車が横付けされ、白手袋の運転手がうやうやしく後方のドアをあけると、そこに、小奇麗な袴姿に杖をついたご老体がゆっくりと車を降りる・・・・・・
「わしは、昔ここらあたりを旅した折に立ち寄ったものじゃが ――――― おぼえておいでかな?」
などという劇的な対面も今だないまま、金物屋の日常というのは実に味気なく過ぎてゆく。利幅はいくらだ、税はいくらだと、さにら味気ない目の前を、時々こういう、俗世とは無縁の人がつーうっと過ぎて行く。
生活の道具をいっさい川に流したというのに、それでも落胆の様子もなく、飄々と軽い足取りで旅を続ける坊さんに、無欲の徳を知らされたりするのだが・・・・・凡人はやはり、明日をのみ思い煩う。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き者もつひには滅びぬ
ひとへに風の前の塵に同じ
こんなにも古くから言いふるされている言葉が、生まれ変わるたび個々の人生においてその記憶はフォーマットされ、欲得に突っ走りながら、悟るころには人生終わってる。
時代もまた同じで、この坊さんがうちを訪れた頃は、ちょっど景気も上昇気運に乗り始めた頃 ――――― 結局それは現在のどん底不況への放物線の始まりだったわけですが、まさかあの会社が・・・・・と思うような、金融機関・大手企業がぼこぼここけて、猛き者もついには滅びぬ ――――― まさに、おごれる人も久しからずの図を見る思いの昨今。
ここらあたりで、いっぱい食わされたかなと、息の長いジョークに笑い、置いていったその戒め、書き付けは失われても、思い出として残ったその一文、自らを風の前の塵と知って、けっしておごることなきよう、ここに書き留めておこう。一陣の風に吹きやられた泡沫を目撃した私達なのだから、これからまたしばらくは、泡に踊らされることもないであろうが・・・・・人は忘れやすい生き物だから。
さて、三人目の山頭火は、またいつ、どんな形で現れて、どんなエピソードをもたらしてくれるであろうか。
それにしても、かのご老体、葉隠無風とはいったい何者?
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