お父さんが勉強の末に到達した真理
私は子供の頃、誰にも言わずに隠していた癖がありました。それは、四月新学期になって新しい教科書を配ってもらうと、こっそり匂いをかぐ癖です。あの真新しい教科書を手にすると、そっと顔に近づけて胸一杯深呼吸して、その新鮮さを味わうのです。もちろん誰にもさとられないように、授業中こっそり楽しんでいました。――――― へんな子、と、自分でも思いましたが、インクの匂いに新しい一年の始まりを感じてうきうきわくわくするのです。あれは教科書ならではの特別なもの、よーし、勉強するぞ!っとその時ばかりは思うのです。でも、残念ながら教科書は一週間もすると、匂わなくなって、それとともに学習意欲も萎えていくのでした。
今思えば、本などめったに買ってもらえない小学生が、あれほどまとまって新刊本(?)を手にする機会は他になかったわけですから、多分そういうものへのあこがれもあったのでしょう。で、小学生の頃から身に付いたこの習性は新学期を迎えるたび後々まで続いていましたが、癖とは恐ろしいもので、龍司が小学一年生になった時にも、思わず教科書の袋の中に何度も鼻先つっこんで、思いっきり息吸い込んでいた私は、さぞ奇異な姿だった事でしょう。
なんてったって、小学一年生の教科書というものは、こういうマニアにとっては、またとない上物。「ごにゅうがく おめでとう」などと書かれた袋に入って、桜の花びらの下にかわいい男の子と女の子が手を繋いでいたりして、より雰囲気を盛り上げてくれているし、なにより袋に入っているというだけで、匂いの濃度が違います。
でも、残念なことに、その匂いが昔と違うのです。内容もカラフルになっているし、多分印刷技術が昔と違っているからでしょう、あの強烈に新鮮さを感じさせる匂いがしない。記憶に残る香りでない。残念、残念。これを期にこんな変な癖からは、足を洗おう・・・・・と思った私でした。でも後日、題名は忘れましたが、井上ひさしさんの本を読んでいたら、同じような体験が書かれてありました。
井上さんの話しでは、子供の時分東北に住んでいた頃、東京に本を注文して送ってもらって読んでいたそうですが、荷ほどきをするとまず、夢中で匂いをかいでいたそうで・・・・・これがたまらなくいい匂いだったと。うんうん、この嗅覚からくる、脳の奥底を刺激するような感動、いや官能体験は経験者でなければわかりません。
やっぱりこれは、人に隠すほどの特異体質でもなかったのだ、誰も口に出して言わないだけで、みんな似たような経験をしていたのだと、ちょっとほっとしまして、この前知人と新学期の話題になった時、ふと漏らしてしまったのです。――――― 新学期は何と言っても、あの教科書の匂いが一番楽しみでしたねと。そうしたら、そんな事は少しも考えなかったと言われてしまいましたが、あの匂いがもう少し長続きしていたならば学習意欲も長続きしたものを、残念ながら向学心は匂いとともに去りぬ。
こんな長い前置きを書いて、いったい何が言いたかったかというと、つまり言い訳。親が子に勉強しなさいと言う時は、自分の過去をかんがみて、ふと後ろめたさがよぎったりするのですが、子供達には、お母さんだって意欲は充分あったのだと、あえて強調しておこう。少なくとも、新学期の一週間はね。
「おい、勉強せれよ、勉強!」
と、お父さんだって子供たちに一応声掛けるけど、どうも日頃態度で示してないから説得力に欠ける ―――――
「そんなこと言ったって、お父さんは勉強したの?」
「当たり前田のクラッカーのコンコンチキ・・・・・(また古い!)
お父さんも、毎日勉強しとるんやぞ、みんな勉強せれよー!
お客さんに、勉強せれ、勉強せれって言われて・・・・・・はい、一生懸命勉強します!って、本当にお父さんは毎日毎日よく勉強するんやぞ」
こうやっていつもお決まりの文句が出る頃には、子供達みんなそばにいなくなっている。
確かに、お父さんも外ではよく勉強しているようだけど ――――― 毎日ブランド物の服を、とっかえひっかえバシッっと着こなし仕事に出かけて・・・・・と言っても、そんじょそこらにあるブランド物とはちと訳が違う。電動工具のキャンペーンセールなどでもらったジャンパーや、帽子。メーカーの名前がしっかり印刷してあるやつ。これを我が家ではブランド品と呼ぶ。
ひと昔前までは、背中に大きくロゴの入ったものが多かったけど、最近はいわゆる"ブランド名"が胸とか、腕にちらっと見える程度の、あまりケバくないのが流行。素材も厚みもセールの時期に合わせてさまざま。薄手のものからメッシュ入りや、フード付きの防寒用までいろいろあるから、年中上着には不自由しない。・・・・・というか、これしかない。
汚れても破れてもたくさんあるから平気。一番めんどうくさくなくていい、と言うわりには、一応、よそ行き(パチンコ行き)と仕事用はちゃんと使い分けている。ブランド品にも、一流とニ流があるのです。それにメーカーと同行販売するような時は、その営業マンに合わせて着替えたり。だって、M社の製品売りに行くのに、H社でもらったジャンパーじゃぁ、って、本人少しは気を使っているが、だいたいがいつも紺系統の似たようなデザイン。同行するメーカーの人だって気付いていない。このおしゃれ感覚は、ちょっとうるさい服飾評論家でも解説できないものがある。
が、まあこれも頑張って売ったればこそ、ニ枚も三枚も気よく貰えるわけで、お父さんにとっては一生懸命勉強して得た産物なのです。
でもお父さんだって、ブランド物集めるだけが脳じゃない。たまにはしみじみ子供たちに言って聞かせることだってあるんです。
「あのな、お父さんも勉強して、だんだん賢くなってきた。さてそれは何でしょぅ・・・・・
よう聞いておけよ、そのな、つまり、一番大事なことは何かって言うと・・・・」
(そんなにもったいぶって言うことなの?)
「それは何かって言うと、―――― 親しき仲にも儲けあり ―――― ってこっちやな。お客さんと、親しくなればなるほど、向こうも勉強せれー、勉強せれーって言うわけよ。で、ついつい情に押されて勉強ばっかしとると、ぜんぜん儲からん。そういう時こそ、親しき仲にも儲けあり。これをびしーっと、びしいいーっと、心して臨むわけや。親しくなればなるほど、いかにして儲けさせてもらうか・・・・・勉強するのも、なかなかむずかしいもんや・・・・・」
おやおややっぱり、子供たち、もう誰も聞いていないわよ・・・・・・・・
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