たこのすきやき
龍司の興味と言ったら、およそ中高生の関心を引きそうなファッションや音楽、テレビドラマなどとはまったく無縁で、ヒット曲のひとつも知らない。と思っていたら、なんと最近MP3とやらのおかげで龍司のパソコンが新曲を歌っている!おまけにプログラミングしながら合わせて鼻歌まで歌っているではないか・・・・・やっと普通の若者志向に目覚めたか龍司! でもなんかおかしい・・・・・ランダムモードで宇多田ヒカルの合間に南こうせつや中島みゆきが歌っている。古いCDまでまめに圧縮して入れて、
「最近の曲はようわからんね。やっぱ行き着くところは、70年80年代フォークやね」
いったいお前は何年生まれじゃ?・・・・・要するに、これと決まったお気に入りのアイドルがいるわけでもない。音楽的興味というより、パソコンを可能な限りマルチに使いこなすが楽しいらしい。
インターネットを駆使して最先端を覗き見しているようで、実生活においては、流行には無頓着、真面目そうな顔して実にくだらないギャグ飛ばしたり、似てない田原総一郎のまねとかで同級生を笑わせる(困らせる)、友達からはどこか得体の知れないやつに見られているのではないかと思うのですが・・・・・
こんな龍司でも、音楽に異常に興味を示した時期もありました。ニ〜三歳の頃、しかも演歌、『森(一拍休む)進一です・・・・・』
昭和五十九年の暮れ、次男が産まれたのですが、この年は森進一が『冬の蛍』という曲を歌っていた年で、龍司がこれをえらく気に入って、森進一がテレビに出ると夢中で見ているものだから、お父さんが、森進一演歌ベストヒット何とかというカセットテープを買って来ました。すると龍司は、テープレコーダーを持って歩いていつも聞いていましたが、それが並の聞き方でない。
『冬の蛍』はたしか、この年のレコード大賞で、なにか受賞していたのではないかと思うのですが、テレビで毎日のように放送される以前から、ほぼ私が次男を妊娠中、ずーっといつも横で聞かされてたので、年末にひょっとしたら、お腹の子がおぎゃーではなく、♪ほーほー蛍とんでいけ〜♪ と歌って産まれるのではないかとみんなに冷やかされたほどでした。(胎教にこれを延々と聞かされた次男の行く末にはちょっと不安なものがあります)
他にもそのテープに入っていた、『うさぎ』という曲、終戦の時満州から引揚げてくる親子を歌ったものですが、港から引き揚げの船が出る間際、港の近くまで来てうさぎ当番でえさをやっていなかったことに気付いた子供が、来た道を引き返して学校のうさぎにエサをやりに行く、これに乗り遅れたらあといつ船が出るかわからない不安な世情の中で、それでも母は叱らないで子供に言う、――――― 母さんは、こんなに苦しい時でさえ優しさを失わないでいてくれるお前の心が嬉しいと――――― これを何度もかけて、テープレコーダーをじっと見つめて心底聞き入っている様子。そして深いため息をついて、
「いいねえ、お母さん、これ、この歌いいねえ」
と、しみじみと言う。放っておけば、エンドレスで何時間でも聞いている。
私なら、この非常時にうさぎの事などどうでもいいわいと子を叱り、無理にでも引っ張って、急いで船にかけつけるであろうに・・・・・とてもこんな立派な母にはなれないが、こういう歌にじっくり聞き惚れる龍司の心が嬉しいと、その時思ったものでした。
幼い子がそんなに何時間もじっと歌を聞くなんて信じられないとおっしゃる方もいるかもしれませんが、次男とは、ニ歳半違いですので、この時龍司は間違いなくニ歳だったのですが、こればかりでなく、たとえば、『禁じられた遊び』のような長い映画を、涙を流しながら、じっと見入ったり、倉本 聰の『昨日、悲別で』というような、あまりアクションの多くない、心のひだを細かく表現したような連続ドラマを毎週毎週楽しみにしていました。どこまで内容を理解していたかはわかりませんが、悲しい所で悲しい表情をしたり、見るに耐えなくて目を伏せたり、推理探偵ものなんかは、
「お母さん、ひょっとしたらあの人が犯人やないかな?」
なんて言って説明する根拠は、本当に犯人が当たっているかは別にしても、一応筋の通った見解を述べるので、ある程度大人の言動を理解していたのだろうと思います。
こういう龍司を、私たちはとくに違和感も感じず育てていたわけですが、次男が同じような年齢になってみて初めて、龍司はちょっと変わったやつだな、と気が付き始めました。そして、三男が産まれて、益々、龍司はやっぱり変な子だなあと確信しました。
次男、三男はテレビを見るにしてもせいぜい十分か二十分の集中力しかなく、しかも子供番組やアニメにしか興味を示さないし、見たら見たで、今度はまねをして騒ぎまくり、やたら家の中が騒々しい。キャラクター物のおもちゃを必ず欲しがる。
ところが、龍司の場合興味の置きどころがどこかちょっとずれていたのです。ガチャガチャ騒がしいだけのアニメ番組など目もくれず、連続ドラマや映画が好きで、おもちゃはそこらに落ちているボルトやベアリングや木端やかなづち。電動工具のモーターなんかごろごろしてるし、修理工具は使いたい放題。それで何時間でも一人遊び。大人の世界に違和感なくとけ込んで行ける感じで、大人の会話が通じてしまう。言葉を話し始めたのがとくに早いわけではなかったのですが、赤ちゃん言葉の時代がなかったような気がします。店が忙しかったので、首がすわるかすわらないかの頃から、祖母がおんぶして動き廻り、お客さんとの会話を背中に張り付いてじっと聞いていたからかも知れません。
何時間でも落ち着いていられるので、祖父母が旅行に行く際など、ニ泊、三泊のバス旅行でも難なく連れて行ってくれたりもしました。
例えばこんな時、じっと車窓から景色を眺め、おばあさんに言った言葉が、
「この辺はマンションが少なくて会社が多いんやね」
「なんでそんなことわかるの?」
「だって、マンションは人が住んどるで、洗濯物が干してあるけど、ここら辺は洗濯物が干してないもん・・・・・」
だからどうなんだ、と言われればそれまでですが、三歳四歳と言わず、小学校の修学旅行にしたって、こんな物の見方してバスに乗っている子供はちょっといない、やっぱり変なやつ。目の付けどころが龍司だね、って笑ってしまう。
で、帰った龍司に、旅行はどうだった?って聞いたら、
「おばあさんは、玉造温泉、玉造温泉って言っていたけど、あれはタマツクリじゃなくて、タナツクリ温泉やった・・・・・」
私は一瞬意味がわからずにきょとんとしていると、おばあさんが急にひらめいたように、
「ああっ、そうそう、玉造の旅館で、みやげ物売り場の改装工事をしていて、棚を作っている最中やったのよ、龍司はそれをじーっと見ていたわ・・・・・」
なるほど・・・・・納得。
話がちょっとずれてきましたので森進一に戻りますが、『新宿港町』、これも三歳の頃よく口ずさんでいた曲ですが、この時、私がちょっと余分な事を言ってしまったので、ひと月ぐらい龍司を悩ませてしまいました。
♪新宿は 港町 はぐれものたちが
生きる辛さ忘れて酒を酌み交わす町・・・・♪
「新宿って、本当は港町じゃないに」
龍司は一瞬とても不安そうな表情になり、
「えっ、うそやら?」
「うそじゃないよ、港町じゃない」
「じゃあ、なんで港町って歌っとるの? お母さんうそついとる・・・」
「うそじゃないけど、まあいいわ、港町ってことにしとこ・・・・・」
「なんで?・・・・・ 本当に港町じゃないの? なんで、なんで?」
あまりしつこいので東京都の地図を見せて、
「いい、ここが新宿、し・ん・じ・ゅ・く、 海岸線はここ、港町はここら辺り、・・・・」
しばらく、呆然自失の龍司。
「本当や、・・・・港町やない・・・・」
それからしばらくの間、新宿は港町か否かについて、また港町というものの姿、有り様について、いく晩もいく晩も眠りにつく前のひとときを議論したものでした。
港町は船や船員が海からいったん降りて、船や体を休めるところ。だったら、海がなくったって心休まるところ、心癒すところなら、港町のようなものなんじゃないの・・・・
結局はそんなあたりに落ち着いて、龍司もなんとなくわかったような、わからないような・・・・・なんでこんな子供相手に、港町というものの定義を論じなければならないのか。
龍司の幼児期は布団の中でいつもこんなやりとりをしていたような、たとえば、赤い靴はいてた女の子はなぜ異人さんにつれられて行ったのか、旅愁という歌の主人公はなぜ故郷に帰りたいと思っているのに帰らなかったのか、などなど返答に困るようなことを聞いてきたのでした。やっぱり変なやつ!!
見聞きしたら自分でも作ってみる習性はこの頃からありました。作りました作りました、ど演歌を一曲。 (リズム・音階は適当にご想像下さい)
♪いかつりぶねのおやじがおった
灯台みさきの沖にふねを出す
暗い海、雨が降り出した
雨の灯台をひとりでまわる
たこが釣れたですきやきにする ♪
と、確かこんなような内容で、まだ続きがあったのですが思い出せません。ここまでおぼえているのは、この時私がまた口をはさんだからです。
「ちょっとそれ、おかしいんじゃぁない? なんでいか釣り船のおやじが、たこ食べるの、いか釣って食べたんじゃあないの?」
すると、龍司はあきれたような顔でこう言ったのです。
「お母さんって、ほんとーーうにばかやねぇ」
そのあと、舌うちまでして、おまけにあいそつかしのため息までついて、
「いか釣り船のおやじが、いかを釣るのは当たり前。たくさんいかを釣ったんやに・・・・・・だけどたまたまその時一匹だけ、たこもとれたのよ、いかは売り物やで市場へ出さなあかんけど、たこは一匹だけやで、そんなの市場へ出しても半端やで、自分で食べたんやに。お母さんはそんなことまでわからんの?」
まいったまいった。すこーんとみごとな決め技で投げ飛ばされたような感じ。あの時の、
「お母さんってほんとーーにばかやねぇ」
というのは、真実をついていたのかもしれない。単なる言葉たらずの気まぐれな歌なのですが、並の考え方で常識人になるよりも、こういう虚をつくようなやり方がこれからの時代には不可欠なのかもしれない。しかも、とれたてのたこのすきやきというのも、食べたことはないが、結構おつな味かもしれないし・・・・・一度試してみたいと思いつつも、はや十数年が過ぎようとしています。
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