おそばのくきはなぜあかい
9月19日 日曜日、この日は次男の中学の体育祭だっのですが、その前に龍司が椛の湖の近くにあるそば畑の満開の花を見に行こうと言うので、龍司とお父さんと私とで見に行ってきました。これは以前営林署の苗畑だったところを町が買い取ってそば畑にして、そこで取れたそば粉を、3セク運営の『きりら坂下』のレストランで、食材に利用するというものです。
9月も半ばを過ぎたというのに、まだまだ今年は蒸し暑く、雨も多い不安定な天候でしたが、幸いこの日は朝から晴れて、そば畑の白い花も美しい。
実は私も、そばの花の実物を見るのはこの日が始めて。けっして華やかさはないのですが、明るいみどりの葉の上部に、どれもこれも可愛らしい小さな白い花をいっぱい付けた一面のそばの中に、無数の蜜蜂が飛び交い、ぶんぶんとはずんだ羽音が聞こえる。
そばは蜂に助けられ、蜂はそばに育まれ、なんだか微笑ましい共生の情景。この大地の上で、しっかりと生きている、蜂は蜂なりに精一杯生きていると感じさせてくれるリズミカルな羽音。ふと目を茎のほうに移すと ――――――― あっ、本当だ、おそばの茎は赤いんだ・・・・・・・
その茎は、どれもほんのり色づいて赤いのです。
「おそばのくきはなぜあかい、おそばのくきはなぜあかい」
と、私は心の中で唱えてみて、その答えが思い出せない。
なぜ・・・・・赤くなったのだったけ・・・・・・・
別に植物学的理由はどうでもいいのですが、私が保育園児だった頃、毎月一冊づつ取ってもらっていた岩波書店の絵本の中に、『おそばのくきはなぜあかい』というのがあって、その題名だけは良く覚えているのに、どんな話しだったのか中身が思い出せない。
たしかまだどこかにその絵本があったはずだと、帰って早速探してみると、残念ながらそのおそばの話しは見つかりませんでしたが、懐かしいのが何冊か出てきました。
『ちびくろさんぼ』
『ちいさいおうち』
『りすとかしのみ』
『かにむかし』
『もりのおばあさん』
『ひとまねこざる』・・・・・・
ひとまねこざるはシリーズ物で、『たこをあげるひとまるこざる』『ろけっとこざる』『ひとまねこざるときいろいぼうし』など、いたずら好きの小ざるが、次々といろいろな事をしでかすのが愉快で、何度も何度も読んでいたような気がします。
私が読んで、私の弟が読んで、それからずーっと、私の母がどこかにしまっていたものを、龍司が絵本に興味を持つ頃になって、母がまた、どこからともなく引っ張り出してきて、それからしばらく3人の男の子のおもちゃと一緒にそこらに散らかっていたせいで、もうぼろぼろで随分落書きも多い。あまりの汚さに、まとめてクローゼットの奥に突っ込んであったのを、みたび、出してきたのです。
読んでもらった記憶はあるが、私が自分の子供たちに読んであげた記憶がないのは、私の親業怠慢だったのだろうか・・・・・でも『ちびくろさんぼ』が人種差別云々で話題になった時、龍司もその本のこと知っていたから、そこらにころがしておいたせいで、いつのまにか龍司も読んでいたのでしょう。
定価180円とあり、これだけ使い廻せばなんとお買い得だったことか。
もうひとつ印象深かったのは『ちいさいおうち』という本です。(文・絵 バージニア・バートン 岩波書店)
丘の上にちいさなおうちがあって、廻りは季節の変わり目ごとに美しい景色が眺められ、虫や小鳥たちが遊び、のんびりとした場所だった・・・・・けれども時が経ち、その丘に人の往来が増え、トラックや電車が走るようになり、まわりにどんどんビルが建っていく・・・・高架線や地下鉄まで出来て、そしてとうとう、ビルの谷間で日も当たらなくなってしまい、ちいさいおうちはとても悲しんでいた。
けれどもある時、家を建てた人の子孫がやってきて、もう一度静かな丘に引越しをさせることになり、このおうちがトレーラーに乗せられて田舎に引っ越していくというお話し。
両サイドに聳え立つ高層ビルの間に、ぽつんと取り残されたちいさいおうちがかわいそうで、なぜかこのシーンが妙に心に焼きついていたのですが、今思うと、これはちょうどバブル期都会で、しつこい地上げ屋にもがんとして立ち退かなかったせいで、そこだけぽつんと開発から取り残された家の光景と似ていて、昭和二十九年第一刷のこの絵本がこんな未来を予見していたのか・・・・・・・まさかそんなこともあるまいでしょうが、開発が進んで住みにくい世の中になることが、おうちの立場から語られるのです。
ちいさおうちは、静かな丘に引っ越して、
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