龍司のネットショッピング
2年ぶりの四国行きとなったお正月、主人の実家に4日夕から7日朝まで滞在しました。 龍司は名古屋空港から乗ったコミュータ機にえらく満足。定員たった30人の機体に20人くらいの乗客で、真横にプロペラの轟音、ガタガタという揺れが好奇心を益々かきたて、しかも所要時間が1時間20分と、30分も多くなって得した気分だと、龍司ひとりがハイテンション。
昨年から高知行きの便が増えたと思ったら、小型化されただけで、結局輸送人員自体はかえって少なくなったようで、飛行機に乗ったらやさしいお姉さんが、ジュースがよろしいですか?コーラーにしますか?などと聞いてくれるものと期待していた三男は、あてがはずれてがっかり。
どうでもいいけど、なんだか壊れやすそうだね、プロペラ途中で止まったりしたらいやだよね、なんて冗談言いつつ、窓近く見えてるだけに不安だったけど、なんとか無事到着。
高知空港からタクシーでJR後免駅まで行き、そこで特急に乗り、清流四万十川で有名な中村駅へ。妹の旦那さんに出迎えてもらって車で50分ほど走り、ようやく土佐清水の家へ到着。
坂下を出て8時間、今までで最短記録。飛行機とJRの便の乗り継ぎが便利になったのと、中村駅から家までの間に新しい道路が出来たおかげでこれでも所要時間は前回より全行程2時間ほどの短縮。
ふるさとは遠くにありて思うもの、そして時々命がけで帰るもの。
毎回毎回、その時最良と思われるルートを計画して行くのですが、なんだかんだとアクシデントはつきないもの。
ある時は、大阪から家の近くの港に着くフェリーを予約していたのに、台風の余波で太平洋に出る航路が欠航となり、それでも楽しみに待ってくれている両親のことを思うと取りやめも出来ず、車で直行することにしたのです。
まだ瀬戸大橋も開通してない頃のこと、須磨からフェリーで淡路に渡り、島を縦断してまたフェリーで徳島に向かいました。
夏の帰省ラッシュに加えて、他のルートの殆どが欠航となったおかげで、皆ここに押しかけ、淡路に渡るまで5時間待ち、また徳島までのフェリーの順番待ちで3時間。上がれば阿波踊りの真っ最中で道は渋滞。早朝家を出たのに、深夜ようやく徳島市内着。なんとか開いている食堂で夕食を取ったのです。
私達だけなら車中泊でも我慢できたのですが、その時は私の父も同行していたし、龍司がまだ一歳の時で無理もきかず、その店にお願いして空いている旅館を探してもらったけどどこも満室、やっと一件空きがあって泊まれることにはなったのですが、朝も早く抜け出さないと、また混雑に巻き込まれては困るから、朝食抜きにしてもらって・・・・・・
「では、夕食、朝食抜きの・・・・・・抜きでも一泊分の正規代金を頂きます。前金で、お一人様15.000円です。」
えっ? 一瞬耳を疑ったが、足元見られたこちらの負け、
「どうです、おやめになります? もう今からではどこも空いてないですよ」
しかたなくお願いしたけど、その部屋のひどいこと。まさかお風呂抜きとまでは聞いてなかった。いくら湯のカランをまわしても水しか出ない、クーラーはない、窓をあければ薮蚊の襲撃で、これでは車と変わりなかったと、5時間ばかりの小休止でその宿をあとにして、ごとごとごとごと四国山脈の谷合を縫うように、徳島とほぼ対角にある土佐清水市の家に、まる二日がかりでようやく到着。
またある時、高知空港を降りてタクシーに乗ると、ラジオで日航ジャンボ機が行方不明のニュースを伝えている。私達が名古屋を発ったと同時刻に東京を出て、順調ならもう大阪に着いてるはずだという。あの悲惨な御巣鷹山墜落事故の時だったのですが、列車の連絡待ちで2時間ほど高知駅にいて、どうやら墜落したもようと聞く。
高知駅を出てしばらくすると、大声で人を探して乗りこむ駅員。
「東京からお越しの○○様、○○様、お乗りでないですか? お見えになりませんか、○○様! お乗りでないですか? ○○様!!」
何度も呼びながら発車の時刻を過ぎても尚、探しまわる人々。とうとう乗っておられなかったようで、数分遅れで発車しましたが、聞けば、順調ならそのジャンボ機で東京から大阪を経由して、高知行きに乗り換え、その列車に乗るはずだった帰省客で、心配した家族が到着時間を待てず途中の駅まで探しにきてたとか。もしや予定を変更して別のルートでその列車に乗ってはいないかと、家族の方は藁にもすがる思いだったでしょうが、何とも言いようのない重い空気が、そう多くない乗客の、車中全員のものとなる。
その時の帰りの便では、あいつぐ報道で無残な機体の残骸を目にした後だっただけに、無事名古屋空港に車輪をおろした時には、機内一斉に拍手・安堵のどよめき、皆緊張の一瞬だったようです。
宇高連絡船で夜の瀬戸内を渡ったり、瀬戸大橋が出来てからは夜行列車でごとごと13時間も揺られたり、またある時は九州見物をかねて、高知の宿毛から一旦九州へ渡り、めったにあるはずのない猛吹雪の鹿児島空港から間一髪の脱出劇があったり。と、数え上げればきりがなし。
でもまあ、今回も無事着いて、新鮮なおさしみと、皿鉢(さわち)料理を満腹ご馳走になりました。
主人の両親、兄弟に温かく迎えられ、楽しい食事のひととき、話題はやっぱり龍司のパソコンのことが中心だったのですが、私が以前ここに書いた、妹夫婦の家での、きみこいし土佐ジローの卵もあれこれ。
2年前はまだ試行錯誤の養鶏も、今は、もう1軒の農家と共同で地元のスーパーに卸したり、さらにその卵を利用したドーナツやアイスクリームの販売も考えているとか、昨年テレビの『どっちの料理ショー』で土佐ジローが食材として扱われたため名前が売れ、お歳暮として募集した卵50個セットの郵便局のユウパックには、さばき切れないほどの申し込みがあったそうです。小規模ながら、生き生きした"夢ある農業"を感じました。
「そういやあ、インターネットのホームページに広告出すと、えらい注文くるでぇ、言われて、しまんと・あしずり、なんたらかんたらの共同のページに載っちょるわけやが、手数料ばよーけ取られたに、一度も注文来たことない。そのページも一度も見たことないがやけん、どっかに載っちょるはずやが・・・・・・」
と言う話しになったので、そこで取出したる、昨年暮れ手に入れた龍司の最新兵器、小型ノートパソコン。さっそくつないでネットで検索。
「しまんと・あしずり観光・物産ネットワークセンター」というところの少し奥の階層に、あった、あった、ありました。ちゃんと龍司の叔父さんの写真堂々掲載、確かにオンライン注文できるようになっている。
「始めた時は、えらい鳴り物入りで、これば出来たら、よーけ注文来てえらい忙しゅうなるゆうてからに、1年たつけどいっちょも注文なしや」
はははは、特にお役所主導型のページでよくある幻想。龍司が、
「じゃ、今注文すると土佐ジローのネット注文第一号なわけやね、どんなシステムになっとるか、注文してみよか? あっ、先着500名様にはしまんとのゴリオシなんてのも貰えるそうやし」
「おう、注文してやってくれ、家へ送ってもらえよ」
とお父さん。小さなパソコンあっち向け、こっち向け、皆で見まわし、始めて自分の出ているホームページを見て、始めてオンライン注文の現場を目撃することになって、始めてオンライン注文を受ける当の送り主を囲んで、話しはどんどん盛り上がる。
「よし、送るよ、でも、これ、まず入会してパスワード送ってくるんやって、直通で自動返信くるんじゃないんやね、パスワードもらってからしか注文できんわ」
翌朝そのホームページの管理事務局からパスワードが届く。さっそくそれを入力して、土佐ジロー25個入り一箱を注文。するとその日の午後、また事務局からメールが・・・・・
『せっかくご注文を頂いたのですが、事業者が明日からの営業のため、商品確認ができませんでした。こちらの不手際によりHP上に年末年始のお知らせを掲載しておりませんでしたので、大変ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございませんでした。明日確認の上、すぐに注文処理をさせていただきます』
「残念やったねー、事業者がお休みやったって」
と、その事業者を前にして土佐の第2夜もまたまたこの話題で盛り上がったのですが、午前中はみんなでその農家のポンカン取りを手伝ったり、試作品の、土佐ジローの卵を使った美味しいアイスクリームまでご馳走になりました。
さていよいよ翌日、共同経営者であるもう1軒の家に、事務局からオンライン注文の連絡が入ったそうで、これはもう生産組合始まって以来の大ニュースとして、妹の旦那さんにも伝わったそうですが、
「始めてインターネットで注文が来たて、えらい喜んで言うてからに、気の毒になってしもうて、それば"やらせ"ぞて、ばらいちしもうたが・・・・・」
と笑って語る土佐ジロー生産事業者。
卵は、その嘘のつけない善良なる生産者によって奇麗に磨かれ、仕切りのついた箱に詰められ、夕飯に遅れてまで発送の手配を整えたらしいのですが、事務局からうちの住所が書かれた発送伝票が送られてくるまでは、まだじっと待っていなければならないとのこと。代金は、運送屋さんの代引払いだったのですが、さて、この先どういう経路でお金が行き着くのか、まだまだ未体験ゾーンのからくり解明に、わくわくする土佐ジロー生産事業者。ネット注文の裏表が同時進行で体験できる、龍司のインターネットショッピング講座でありました。
そんな楽しい帰省も終って、一路高知空港へ・・・・・ここまで来れば、もう名古屋まではひとっ飛び、あとはおみやげ一杯で重い荷物も、名古屋空港に置いてきた車にぽんと積んでと、早速カウンターへチケットを出したまではよかったが、それこそが甘い幻想だったのです。
「大変申し訳ございません。当便は本日、機体の故障のため欠航となりました。あいにく他社便も皆満席となっておりまして、一旦大阪へ飛んで、大阪から新幹線をご利用して頂いて名古屋へということになりますが・・・・・・」
ガガーーーーン!
ちびまる子ちゃんなら、背景は暗転して額から縦棒が2〜30本、だだっと垂れるカット。
(ここで次男から忠告が入り、棒は垂れてもせいぜい5本か10本で、それ以上書くと顔が全部真っ黒になるという指摘ですが、気持ちの上ではまさに2〜30本なのです)
他に最善の法もなし。大阪行きは予定の便よりさらに2時間あとだと言うし、伊丹から新大阪までの時間、乗り継ぎの手間、名古屋駅へついた後、また空港の車まで行く手段・・・・・私のつたないCPUが、かなりのビジー状態で情報処理し所要時間をはじき出してがっかり。あーあ、大方半日もかかる。こんなことなら、高知駅で下車しないで全線JR利用のほうがまだ早く着いていたのに・・・・・でもまあ、まてまて。仮に順調に乗ったあとで壊れていたら・・・・・・一生帰ることが出来なかったかもしれないのだ。ここで足止めくらったのを幸いと思おう。「機体の故障で」という理由が、そうでしょぅね・・・・・と妙に説得力のあるのに負けて、どうやら気を取り直した私でした。
おまけは、乗換えた便まで予定よりさらに遅れ、大阪では駅まで向かうバスが、ラッシュアワーでのろのろ。高知の家を出てから13時間後、やっとの思いで、坂下に到着したのでありました。行きはよいよい帰りはこわい、こわいながらも通りゃんせ。
今回も、いろいろなことがあった旅だったけど、いつもあとになってみれば、苦労したことはみんな忘れて、楽しかった記憶のほうが大きくなって残っている。これもまた、いい思い出として、深くしまわれていくことだろう。
子供たちと共に歩む道の瑣末な苦労は、どこか旅の苦労に似て、足止めくらったり、乗換えを余儀なくされたり、知らない土地で右往左往したり、家族みんなでいろいろ体験しながら学んでゆく。子供達はそんな苦労よりも何倍もの楽しい思い出を、この家に、この心に、残して行くのを楽しみに、そんな苦労など忘れて行け。2000年の幕開け、新しい旅の始まりを、さあ、今年も一歩一歩確実に、一生懸命進んでいこう!
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