17歳
龍司が、『龍司の小たわごと』の中でも少し書いておりますが、四月中旬、龍司と私と、その他大勢で、アメリカに行ってきました。うちの店で取り扱っている釘打機やエアコンプレッサーのメーカーの招待によるもので、フロリダ州オーランドに2泊、ニューヨークに3泊、機中泊も含めて一週間の旅行でした。
龍司は学校を休んで・・・・・3年生になった早々、勉強のことも心配でしたが、どうせ学校に行っても、"春眠暁を覚えず"だろうから、龍司にとっては、海外見聞をさせて少し刺激を与えたほうが勉強になるんじゃないかという親心で休ませて。
こんなに家をあけるのは私にとっても初めてで、うちの男どもときたら、まったく台所仕事が出来ないのでこちらも心配でしたが、なんとか無事生きていたようで、これもコンビニやスーパーの調理済み食品の賜物と深く感謝。
家事から開放され、まるで竜宮城にでも連れていかれたかのような、夢見心地の一週間が過ぎると、玉手箱のない私はしっかりと現実に引き戻され、帰るそうそう、仕事は溜まっているし、家の中はぐちゃぐちゃだし、時差ぼけしている暇もなく、お母さーん、お母さーんと、あっちからもこっちからもの呼び声にてんてこまい。
でもたまには、こうした雑事から逃れて、行動の幅を広げるというのは、主婦にとってはなにより贅沢なボーナスでした。
ケネディスペースセンターの広大かつ巨大な設備、ディズニーの花火、ナイヤガラの豪快な水しぶき、マンハッタンの夜景と船上パーティー・・・・・・・景色も体験も素晴らしい感動がたくさんありましたが、なんといっても一番の思い出は、ある掲示板を通して知り合ったニューヨークにお住まいのKさんに、団体行動を中座してお目にかかり、ニューヨークの一夜を案内して頂いたことでした。
本来なら私達のようなものが、お相手して頂けるような方ではないのに、やさしいお心使いを、Kさんどうも有難うございました。
美味しいお料理を頂きながらお話しするうち、時間はあっという間に過ぎてしまいましたが、こういう出逢いもホームページを開いていなかったら、ありえなかったことで、出逢いの不思議を思いつつ、大都会に迷い込んだ山猿二匹、感謝感激。あの街角の、そぼ降る雨も、心に思い出を閉じ込めるいいお湿りとなりました。
また、途中の飛行機では隣に乗り合わせたアメリカ人が、プログラミングの本を持っていたことをきっかけに話がはずみ、思わぬところでインターネット談義となりました。
龍司は持っていたバイオで、ホームページを紹介して・・・・・などと書くと、さすが豆単君の作者だけあって、英語も堪能かと思われるかもしれませんが、相手の方が日本語も勉強しているということで、片言の日本語でOK。・・・・残念ながら龍司の流暢(???)な英語を、耳にする機会を逸す。
帰ったあともメールがきていたようですが、英文のあとにはご親切に、
「にほんごでもいいだよ」
と、ちょっとフロリダなまり。
そんなわけで、どこに行くにもパソコンとは縁の切れない親子ですが、中学2年の夏、懇願するような口説きに負けて、とうとうホームページの開設を許したことに始まって、ひとつひとつ手探りでいろいろなことを覚え・・・・もっともそういう好奇心は小さい時からあったのですが、何か面白い事はないかと大人たちのそばに来ては、聞き耳を立てていた龍司には、インターネットは格好のフィールドだったようです。
プログラミングはマシン相手の冷たい会話のように思えますが・・・・・・時には、
「そんなことばかりやっていると、人と付き合えない性格になってしまいますよ」
などと真剣に忠告してくれる方もいましたが、それはパソコンが行き止りの四角い小さな箱だった過去の話で、こうして世界中と繋がった今、コミュニケーションツールとしての価値は計り知れません。でもこればかりは、いくら説明しても経験のない人にはわかってもらえないところがあって、とかく子供とパソコンの付き合いは、度を越すと人格障害をもたらすかのように言われております。
私も龍司がパソコンを始めたばかりの頃には、そのようなマイナス要因をとても心配しましたが、今となっては、多くの人から関心を持って頂いたことで、家と学校を往復しているだけよりは、何十倍も多くの人と対話し、多様な価値観に触れる機会を得、そういう出逢いが、自己の中で創造への活力となっているように思います。
回線の向こうの現実社会で、自分の作ったソフトをたくさんの人が使って下さっているという確かな手ごたえがあるから、ネットは単なる通信手段、創作活動の手段であって、この子には仮想空間という認識は薄いのかもしれない・・・・この場そのものが、実生活なのです。
が、一方で、わずらわしい人間関係の逃避場所としてパソコンに向かった場合は、とことん人を拒絶できる道具でもあり、過剰に没頭して、バーチャルとリアルの距離感覚をきちんと把握できなくなってしまったり、別人格を演じやすい媒体であるということはいなめない。ネットが子どもの人格形成に多大な悪影響を及ぼすと断言してしまう人もいますが、ナイフと一緒で、要は使い方次第ではないでしょうか。
今学校で、情報教育を急げとの掛け声に、正直言って先生方のほうがおろおろしているようなところが見受けられますが、この道具を通して、たくさんの人や物や知識に巡り会える可能性と、そのチャンスを生かして自己の生活を物心両面でいかに豊かに発展させていくかということ、そしてその対極にある、ネットの暗黒社会とどう向き合っていくかということを、かなりのウエイトを置いてきちんと話題にすることが今後益々大切になると思います。
ちょっと理屈っぽくなってしまいましたが、実はこんなことを思ったのは、旅行のすぐあと、近隣6ヶ町村の小中学校の先生方が集まる会で、お話しをして下さいと言われまして ―――― 龍司のような自主性、創造性のある生徒を育てる極意や、情報教育の進め方について伝授してくださいなどと・・・・・、はたしてそんな資格が私にあるのだろうか、また龍司が参考になるような子かどうか、私自身が一番疑うところなのですが、とにかく龍司のやっていることや、今までの経緯についてお話をする機会を与えられたからです。
人前で話すことなど大の苦手な私は、もう心臓バクバクで、幽体離脱したもうひとりの私が、ステージの高みで、『こいつこんなに上がってらぁ、』と冷静に見下しているにもかかわらず、しゃべっている実際の私はあいかわらず緊張の連続でした。
もちろん、そんな極意も奥義もあろうはずなく、1時間と少しばかり、日々の暮し振りや龍司への思いを交えて、へたくそな釈迦に説法を終えましたが、おかげで、その後も子供達をとりまくさまざまな問題、とりわけ子供と情報機器の関係を、いつもより少し真剣に考えておりました。
そんな折も折、立て続けに17歳の犯罪が噴出して、親が悪い、子が悪い、法が悪い、社会が悪い、はたまたパソコンが悪いなどと、もうなにがなんだかわからないほど話は錯綜して、うちにも17歳や、その予備軍がいるだけに、人ごととは思えず、この年齢が、どこでどうなってしまっているのか、わからないまま、私の気持ちも混乱していました。こうして書いても、いまだ整理のつかない文章に、少してこずっています。
あれ以来、くすぶる心でいろいろ考えておりました。
多くの先生方を前に、期待されるような明確な子育て方など、私は何ひとつとして持ち合わせておりません。子供なんて、皆、親の思うようにはならないもの。そしてそれぞれに、親と子の接し方など千差万別。
けれども、何かヒントとなる点があるとすれば、この子は学校や家庭だけでなく、広く、多くの人に支えられ、積極的に情報を得、私達家族は、そのことについて、毎日かなりの時間を費やして対話していることではないかということです。
こんなことばかりやっていていいのか?という迷いは、あいかわらず強くあります。いいのか悪いのか、もっと先になってみないとわからないし、そのとき悪いと結果が出ても、もう遅いのですが、教科書や、マニュアルに載っていない多くの事柄について、私達は毎日、毎日、語り合っている・・・・・時々私は、この親子関係は世間一般と比べて、どうなんだろうと考えることがあります。
ネット上では、善意が通じないこともあったり、その出逢いがけっして良いことずくめ、善人ばかりというわけではないけれど、それもいい経験として、ひとつひとつ手探りしながら今までこうして過ごしてきました。そして今回のような旅行も、異文化に触れる良い機会と考えました。
大人ばかりの旅行に、アメリカまでも平気で私と同行し、写真をどうですか?などと言われれば、
「お母さんもいっしょに入れよ」
などとやさしい言葉のひとつも、自然に口をついて出る子。でもこれは、けっして母子密着ではなくて、多くの方との交わりで得た関係の中の、太いパイプのひとつとして、母子関係があるのではないのか・・・・
ひょっとしたら、私と龍司の関係は、時にどちらが師ともわからない師弟関係とか、何に向かって戦っているかは不明だけれど、ともかくも同士のような、あるいは良きライバルのような、そんな気がする時もあります。
ホームページを持ったことで、家庭と学校、もっと突き詰めれば、母と子という閉塞的になりがちなスペースをオープンに拡大して、外界の多くの人たちと触れ合うことで、狭い価値観にとらわれない、おしきせでない自分のスタイルを実現できているのではないか、などと、私は都合よく解釈しておりますが・・・・皆さんはどうとっておられるでしょうか?
こういうページ自体が、コミュニケーションの実験地でもあるという認識が、なんとなく二人の間にはあるのですが、はたしてこういう関係はいつまで続くのか・・・・この夏までには、方向を決めなくてはならないというのに、まったく白紙未定の状態。あせってもいなければ、困ってもいない17歳。
ごみに埋もれたきたない部屋で、口のまわりにゴキブリが這っていようと、平気でグーグー寝ていそうで、あーあ、考えただけでも身の毛のよだつ、おどろおどろしい生活をしそうだけれど、それでもいいから、とにかく一度都会に出てみろ、って、蹴り入れているのに、"晴耕雨パソコン"の田舎暮しがいいなんて、なにをとぼけたことぬかしやがって、お母さんに心配かけるのもいいかげんしろ!!
って、つい語気も荒くなってしまうけど、本当に冗談言っている時間もあまりない、まじめに考えてよねえ・・・・・
龍司は多くの人に支えられ、繋がっている。つぶれることはないだろうと、信じている。そのとぼけた笑顔の下で、結構がんこな性格には手を焼くけど、そのがんこ、少し改め、本物の芯の強い人になってほしい。
旅行に同行した、とある金物店の社長さん、75歳になるというお母様をずっと一緒にお連れして、私達でも相当こたえるハードスケジュールを無事終えられました。仲良くビデオを撮ったり、食事の時もお母様を気遣いながら、移動中はずっと手を引いて・・・・
だから私、龍司に言ったんです。
「お母さんも、あのくらいの年になったら、龍司に手を引いてもらって、もう一度ニューヨークをじっくり見たいな。いろいろと印象的だった・・・・それに、まだ見られなかったところもたくさんあるし」
そしたら龍司ときたら、
「やだよ、そんなの。
おかあさんは、今でさえぼけているから、あの年までまともではいられないだろう」
ですって。
こうなりゃ意地でも健康で長生きして、龍司にもう一度ニューヨークに連れて行ってもらおっと。もう約束しちゃったからね。絶対にね。
なんだか龍司、浮かない顔していそうだね・・・・・
一度ひとり暮しをして、けちょんけちょんに孤独と侘しさに打ちのめされて、その上不便を味わってみるとね、お母さんが、燦々と光り輝く美しい女神だってことに気付くよ。 自由の女神どころじゃないよ。きっとアメリカだろうが、ヨーロッパだろうが、手を携えてどこまでも、って気になるよ。うん。間違いない。
お母さんは、人様に子育てを語れるような、そんな立派なことは何ひとつしてないけれど、子供達と、今この生活を楽しもうという努力だけは、一生懸命しているつもりだ。それは子供のためでなく、これが、今、一度しかない私自身の人生だから・・・・・・・
親が幸せでない家庭や国で、子が幸せになれるだろうか・・・・・・・
子供達の悲惨な事件を聞くにつけ、この疑問は、私の中で益々大きくなっていく。今、大人は子供の生活を心配する以上に、もっと自分自身の生活をしっかり見据えることが大切ではないだろうか。子に恥ずかしくない生活をしているだろうか、子供と、言葉や時間を共有できているだろうか。そしてそれを楽しむ心のゆとりが、親の生活にあるだろうか。親の不満や動揺が、そのまま子に投影してはいないだろうかと。
こんなときだからこそ、暗い話題にめげないで、母親は女神だと大風呂敷を広げて、燦々の光を、その体内から発すべきではないだろうか・・・・・・・
神の国改まり、街に快活な女神があふれたら、日本はもっと、明るい国になるだろう・・・・
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