龍の前に道はない
2000年7月30日、龍司、18歳。
6年前の7月30日、お母さんは龍司の誕生日に、ある文章を贈ったけど、おぼえているかな?
6年前といえば、小学6年生で、まだホームページも開いてなかったし、C言語はどうにかこうにか克服していたものの、まともなプログラムは組めていたとはいえない頃。パソコンとの付き合いも趣味のひとつで、こんなにも生活の大部分を占めるとは思ってもいなかったよね。
それでその頃、龍司がどんな仕事に興味を示すのか想像もつかなかったけど、働くということについて考えてみようという内容の文章を、書いて贈ったんだよ。今日はそれをもう一度ここに引っ張り出してきて、その次の話を続けようと思う。
働くということ
このごろ龍司は本当に一生懸命店のお手伝いをしてくれて、お母さん達はみんな大助かり、重い荷物も軽々と持ち運んでしまうので、いつのまにそんな力をつけたのだろうとびっくりしたよ。入荷した商品のかたづけや、値段つけや、本当によくやってくれる。だから皆、龍司が学校から帰ったら、これを頼もう、あれを頼もうとあてにして待っている。そして龍司は、実に気持ちよく笑顔で引き受けてくれる。本当にありがとう。
トラックの荷台から、フォークリフトでパレットに山盛り下ろした建築ボルトを、サイズ別に全部仕分けて棚へ納めてくれた時なんか、服も手も油だらけでまっ黒になっていたけれど、一生懸命やってくれる姿を見ると、何より光輝いていたな・・・・・・・なんて、ちょっとほめ過ぎだろうか。お母さんも嬉しいけど、実は、働いて一番嬉しいのは、龍司自身ではないだろうか。たくさんあった箱が全部からになって、ひとつの事をやり終えて汗した後に味わう、『ああ、終わった!』という気持ちは、とても貴いものなんだよ。きっと龍もずいぶん疲れたと思うけど、そういう時の気持ちって、『えらいめして損した!』というのではなくて、『ああ、よくやった、出来た!』という充実感、達成感、満足感なんじゃないかな。そういう感覚をたくさん体の中に取り込む事によって、人はまたひとまわりも、ふたまわりも大きくなれると思うんだ。
夜、蒲団に入って、眠りにつく前のほんのひととき、
『あー今日は疲れたな、でもよくやった。』
と、自分のしたことに自分でも満足ゆく日は、吸い寄せられるように入った眠りの中で、きっと体も心も、竹の子のように、ぐぐっと大きくなれるんじゃないのかなぁ。
こんなことを言わなくても、働くことは気持ちのいい事だと、龍司にはもうわかりかけているのではないだろうか。とても大切なことなんだよ。なぜって、大きくなったら、いやでも働かなくてはならない。そして『働く』ということは、『生きる』ということと、はっきり区別がつかない二重奏のようなものだから、けっして『いや』であってはいけないんだ。『働く』ことがいやになったら、きっと『生きる』ことがいやになってしまう、そのことについてもう少し考えて見よう。
大きくなったら何になるんだろう。当然まだ何も考えていないだろうけど、大きくなったら働かなくてはならない。働いてお金をもらう。できればお金はたくさんもらえたほうがいい、そういうこともちゃっかり考えるだろう。
今の社会の仕組みは、食べるものや着るものをはじめから全部自分で作るのではなくて、みんなが分担して受け持って、その働きに応じてお金をもらい、そのお金で食べるものや着るものを買ったりするのだから、お金がなくては暮らしていけない。『生活のために働く』 ということが一番の理由になるのかもしれない。けれどもそれ以外にも、もっと別な理由で、人間には、働かずにはいられないような気持ちにさせる何か、働きたいとかりたてる何かが、あるような気がしてならない。
忙しい日常の中ではそんなことをあまり意識して考えないし、どうかすると、『休みたい』 『楽したい』 とばかり思いながら、働いているような時がなくはない。でも、人の心の中には、『休みたい』『楽したい』 という気持ちと同じくらい、『働きたい』『一生懸命やりたい』という気持ちだって、きっとひそんでいるにちがいない。そういう欲求を満足させることが、働く喜びであり、生きる喜びではないだろうか。
龍司達が大きくなった時、その生活の大部分を占める『働く』ということを、どう考え、とらえていってくれるだろうか。
今、日本ほど『働く』ということに恵まれている国はないと思うけど、その日本人の『働く』ことへの意識が大きく変わりつつある。このままでいいのだろうか、という不安と、せっかくここまで物質的に恵まれている日本だから、次の時代はさらに精神生活も充実させていってほしいという願いと両方考えずにはいられない。
龍司のおじいさんやおばあさん達がまだ小さかった頃、戦争があって、日本中がすべてをなくした。なぜ働くかなんて考える余裕もなく、どんな仕事をするかなんて選んでいる余裕もなく、とにかく大人も子供も、一生懸命働かないと食べてゆかれない時代があって、多分お母さんや龍司たちでは、想像もつかないような苦しい日々を過ごしてきたに違いない。そして世の中が少し落ち着いて、日本中が希望を持って新たな国の建設に向かい始めた頃、お母さん達が生まれた。新幹線や高速道路や新製品がたくさん出来て、生活はどんどん便利になっていった。
その頃子供だったお母さんの目から見た大人達は、朝早くから夜遅くまで働いて、休んでいることが後ろめたいとでも思うほど働いて、土曜どころか日曜日もなく働いていた。物を生産する喜びや、一家を支える誇りもあったろうけど、町中が、国中が、なにかに追いたてられるように、寝る間も惜しんで働き続けていた。
そんな時代を過ぎて、今、龍司たちの目には、この日本はどう映っているのだろうか。
ここへきて、不況といって、いろいろな理由で経済活動が鈍ったために、仕事が減ったり、会社をやめなければならない人もでてきてはいるけれど、それでも他の国に比べたらまだましな方で、世界中にはその日の食べ物を得るために、つらい仕事を何十時間もしなければならない人もいれば、環境の悪化で農業もできず、仕事もなくて飢え死にする人もいる。
『働く喜び』とか『生きる喜び』とかいう言葉とは無縁なところで、それでも『働かなくてはならない』『生きてゆかなくてはならない』人達がいる。さぼって楽をしようなどという考えではだめなことは、どの国でも同じだけど、普通に暮らす限り、日本では飢え死にするようなことはないし、そればかりか、仕事の種類をある程度選ぶことさえ出来る。
『どんな仕事につきたいか』と考えるのは、この国ではあたりまえの事のようだけど、日本だってそう考えられるようになったのはつい最近のことで、昔は好き嫌いにかかわらず、親の仕事を継ぐのが当たり前だったんだし、その多くは農林漁業など自然相手の重労働だったんだ。
この地球上で、はたして何割の人に、仕事を選べる自由があるのだろうか。職業を選ぶ、ということは何でもないような事だけど、世界中から見たら、とてもぜいたくなことかもしれない。そういう自由も、お父さんやお母さんよりずっと前の人達が、つらいこと、苦しいこといっぱい乗り越えて無我夢中で働き続けて、ここまで技術の進歩があったからこそ出来るようになったんで、重労働やきたない仕事は、機械や外国人にまかせて、日本人だけがおごりたかぶった気持ちでいたら、その先に、列島ごとすとんとおっこちるような、深く暗い大きな渕が、口をあけて待っているかもしれない。
夏の強い日差しをさえぎるため窓につるす、すだれを知っているよね。何でも物価の上がる時代に、あれは値段が変わらないばかりか、かえって安くなった。昔は日本でも作っていたのだけれど、今はほとんどか中国からの輸入で、一本五百円たらずで買える。材料の葦が豊富だということもあるだろうけど、刈り取って干して、切り揃えて編んで、手間のかかるわりにいくらも賃にならないような仕事は、日本人はやらなくなってしまった。
製品が出来て、包装して、船積みされて国内に来て、トラック輸送でいく人かの商人の手をへて、消費者のもとへ五百円としたら、葦の原で土ぼこりにまみれて、黒い汗をしたたらせながら刈り取った人の手には、いったいいくら渡るのだろう。
すだれに限らず、さまざまな商品が各国から輸入されたり、日本人の管理のもとで、現地生産されている。そして、その人達が、おそらくは過酷であろう労働に、むくいられるだけの暮し向きが得られていない現状、この格差をどう埋めていったらよいのだろうか。
国際化が進めば進むほど、こういう格差を小さくしていかなければならないのだけれど、その差がますます大きくなるので、日本人は、エコノミックアニマルだなどと言われてきた。けれどもおじいさんやおばあさん達は、ただお金もうけのためだけに働いてきたのではないと思うよ。おじいさんやおばあさんに限らず、日本中の、本当に底辺からこの国をささえてきた人達はみんな、多分おなじような気持ちで一生懸命がんばってきたに違いない。最初は、どうしようもない貧しさと苦しさの中からはい上がるため、そしてさらに豊かな暮しのためにと、働いてきたけれど、けっして金銭欲や物質欲だけに動かされたのではないと思うよ。家族への愛情とか、責任感とか、向上心とか、きわめて人間的な感情に動かされて働いてきたのじゃないのかな。そして何よりも、自分自身に納得のいく仕事をしたいという、自分自身への使命感。
飢えの心配のなくなった恵まれた社会では、こういう感情こそ、益々大切にしていかなくてはならないものだと、お母さんは思いたい。
ほしいものが手に入った時の喜びとか、おいしいものを食べた時の満足とか、そういうお金で解決のつく快楽とは別に、何かやり遂げた時の満足感、人に親切に出来た時のここちよさ、または親切をうけた時の心のぬくもりとか、絶対にお金では買うことの出来ない喜びがあるのだけれど、 『働く』という行為の中には、この要素がたくさん含まれている。
働くことでお金を得る、得たお金で生活を楽しむ。が、それだけにとどまらず、さらに進んで、働くことで、充実した心を得る。『働く』ということに喜びを見い出せるのは人間だから出来ることで、けっして動物には出来ないことだ。
こうした忍苦 ――― 苦しみを耐えしのぶことと喜びとすれすれのところで技を磨いてきた人達がいる。これもひとつの日本文化だと思う。そういう日本人の気質があってこそ、日本経済がめざましい発展を遂げたのだと思う。けれども、そんな国民性、日本文化まで否定するような、海外からの批判には、なにか寂しいものを感じずにはいられない
一生懸命働くことはけっして悪いことではない、けれどもそのやりかたに問題があるとしたら、充分に意見交換をして間違いを正していかなくてはならない。これから先、世の中はもっともっと国際交流がさかんになり、地球規模で物事を考えてゆかなくてはならない。ただがむしゃらなだけでは息も切れるから、休んで息抜きをすることも大切だけれど、『では、みんなで休みましょう』と休んで、遊んで、それでもなおぜいたくな暮しを望むとしたなら、どこかにそのしわよせがおきるだろうし、そんなにうまい具合に行くはずがない。
人と人とが理解しあい、国と国とが理解しあえる暮し、物質的な豊かさを少し我慢しても、便利さばかりを追い求めることには、すこし足踏みをしてでも、もっと心が満ち足りるような暮しを、考えて行かなくてはならないだろう。それが、龍司たちの時代に残された、大きな課題になるだろう。今の大人達がなしえなかった大仕事。
ひとりひとりの力は小さい。やがて龍司も、自分のくらしを守ることに精一杯の大人になり、(お母さん達もそうなんだから、けっして偉そうなことは言えないのだが、)これから描く夢や理想とはかけはなれたところで生きていたとしても、心のどこかに、ほんのかたすみでいい、この気持ちを忘れないでおいてくれたなら、傲慢な人間にならないですむだろう。みんなが忘れないでいてくれたなら、傲慢な日本にならないですむだろう。
戦争によってすべてを失ったほんの小さな島国が、わずか半世紀ほどの間に経済大国と言われるまでになった。幸か不幸か、そう無理をしなくても、まじめに勤める限り食いっぱぐれのない社会が、もう龍司達のために用意されてしまっている。そこそこ働いて、適当に遊んで、適当に生きて行く、という人もいるかもしれない。昔だったら、うしろ指をさされるようなそんな生き方も、許されない時代ではなくなってきた。けれども、それではなんだか、自分自身がものたりなくはないだろうか。精一杯つくしてこそ得られる喜びもあるのだよ。そういうものが自分を大きく育ててくれる。ちょっとやそっとじゃへこたれない、強いバネのような心をつくろう。龍司を育てるのは、お父さんでもお母さんでもない、龍司自身だ、お母さん達はその手助けをおしまずしようと思う。
お母さんもいろいろ理屈をこねたけど、一番の願いは、最初の一ページにほとんど言いつくしちゃった。
お母さん達は、龍司にお手伝いをたのもうとあてにして待っている。ひいき目にみる家族の中では、なんでもないことなんだけど、社会に出てから、あてにされる人間になるということは、とても大切でむずかしい。あてにされるということは、いてもいなくてもどうでもいいのではなく、そこにいなくてはならない人になること、いてほしいと望まれる人間になること。世の中は自分を良く見てくれる人ばかりではなく、時には気にいらないと言う人もいるかもしれない。けれどもどこかに一人でも自分を望んでくれる人がいたなら、孤独ではない。
それから、『気持ち良く引き受けられる』 ――――― これも大切な事。出来る能力を持ち合わせていながら、どうせやらなくてはならないことをぶつぶつ言って自分で自分の値打ちを下げてしまっている人もいる。やると決めたら、気持ちよく笑顔でいこう。
物で飾らなくても光輝くような生き方がどこかにあるはず。そうして、『ああ、今日は良くやった』と自分で自分に納得がゆくような日がたくさんあるといいね。力を使う仕事も頭を使う仕事も、それが社会の役にたつ限り同等の価値を持つ。龍司らしさを織りこんで、精一杯尽くせる仕事があるといいね、良心に尽くせる仕事があるといいね。
健康で精一杯働けるということは、それだけでも幸いな事だと、恵まれた時代に忘れないで、龍司の好きな道に進んでほしい。大人になるまでにまだまだ充分時間があるから、ゆっくり考えよう。お母さんはいつでも相談にのるよ。
泣いても怒って迷っても、どうせ小さな一生を、できればなるべく笑顔で過ごし、自分自身に尽くせる仕事、働いて、生きて、くいのない道みつけて行こう。
平成 6年 7月 30日
龍司 12才の誕生日に贈る
あの時、いつでも相談にのるよとは言ったけど、まさかこんな形で、その相談がやってようとは・・・・・・・・会社を作りたいと言う。
一番の理由は、ネット上で創作活動をするにあたって、もろもろのライセンス契約や使用権限の問題で、受けるほうも与えるほうも、個人という立場では信用がないということ。それから、カスタマイズなどの企業ニーズが、ぼちぼち増えてきたということなど・・・・・
ちょっと前、テレビの討論番組で、
「学生の始めたドット・コム企業がやけに増えたが、ありゃ、社長ごっこがしたいだけで、本当はみんなゴッコ・コムなんだよ、ゴッコ・コム、 社長ごっこ・コム!」
辛辣な指摘だが、はははは、そうかもしれない。と、のんきに笑って見ていたこの身にこの話。笑えぬ。人ごとではない。
今までも散々議論してきた、進学はどうするのか、将来はどうするのか、とう問題に、とうとう真剣に結論を出さなくてはならない時が来た。
どういう方面に進学するとか、どういう会社に就職するとか、そういうことを飛び越して、いきなり会社を作るというのは、もうこの業界に身を浸す覚悟をしたようなもの。
「なるようになる」 「そのときになってみれば、おのずと道は開かれる」
そう言ってなかなか真剣にとりあうことのなかった龍司の、そのぼんやりと見えてきた道の先が、いきなり会社経営とは。
これは、高校生には時期尚早と見るべきか、プログラマ歴9年の龍司には、"月満ちて"と見てやるべきか、もだえるほど悩んだ末の結論は、この数年間、まさにフリーマーケットで物を売るかのように、こつこつこつこつ貯めた収入が少しはあり、それを資本金にして、無理のない程度の有料サービスを始める、進学して同時に勉強も続けるということ。
稼ぐための技術なら、既存の会社に入って、給料を得られるくらいのものは持っていると思うけど、そしてそのほうが、どれほど安全で確実なことかとも考えた。でも、龍司のプログラミングは、人が開拓した売れ筋を追随するような手法と違い、ひとつの提案であり冒険であり表現であると、お母さんは見てきた。
儲かるとか、儲からないとかいう判断の基準外にある、愚にもつかないそんな龍司のプログラミングポリシーを、認めて好きにさせてくれる会社などない以上、自分でその活動基盤を作りたいと言うのも、仕方のないことなのかもしれない。
龍司が今まで手がけてきたソフトを見ると、学習ソフト、ビジネスツール、ユーティリティ、画像処理、数値処理などと、非常にバラエティーに富んでいる。これもいろいろなところに興味を示した反映であり、それが思わぬ分野で活用され、信頼を得られたのは、"食うため"を追わず、採算を度外視してひたすら使い手の便を考えることが出来たからに他ならない。良い絵と、売れる絵が必ずしも同じとは限らない。もし学生という立場を離れて、会社だけで自分を養っていくことになったら、龍司はきっと、良いプログラムではなく、売れるプログラムを書かなくてはならなくなる。お母さんが一番気をもむのは、ここなんだよ。必ず訪れるであろう現実の厳しさを味わうことで、独創性やインスピレーションの泉が枯れてしまいはしないかと。
現実の厳しさとは、仕事がもらえるかどうかなんて、そんなレベルの問題ではなくて、創作過程で起こるであろう、自己葛藤の問題だよ。龍司が、指示待ちプログラマでないことぐらい、お母さんが一番よく知っている。作りこめば、いくら時間があったって足りないけれど、損益分岐点を考えると、適当なところで妥協しなければならなくなる。本当にひらめきを生む瞬間は、一見無駄なように見える、龍司のそのごろごろとした時間。損得なしの空白、夢想の時間帯。収入を得るということに追われて、その時間が失われるのが一番心配なんだよ。
ひらめいて、寝食も忘れて無心に作りこんでいくときの、言ってみれば"創作のエクスタシー"と、順当に作業をこなして利益を積み上げることは少し違う。もっとも、いつまでもエクスタシーばかり求めて、売れない画家では困るけどね。
子ども扱いされるのは不満だろうが、学生という立場で、生活を負わなくてもいいところで、もうしばらく、自分の技を磨いてほしい。いろいろな考えを持った人とリアルに交わり、いろいろな経験をし、まだまだ未知の可能性に、挑戦して欲しいと願ってる。
言いたい事はきりがないけど、忙しすぎて、聞いてはくれないだろうね。
とりあえず、決めた以上、精一杯がんばるしかない。
時代は大きな転換期に達した。龍司に、働くということについて問いかけをしてから6年。深く暗い大きな淵に、本当にすとんと落っこちてしまった大企業をいくつも見たし、次から次と起こる恐ろしい事件・事故。そのたび毎に、ぶ様な大人の姿も、いやというほど見せられたよね。不祥事続きの世の中じゃ、誰も偉い口たたけやしない。
もう、何を信じていいのかも不確かな時代。
革命はすでに始まっている。
IT革命などと、すでに政治にもまれて陳腐化した言葉でなく、
若者が、生きることを真剣に問う革命。
「何か事を起こさなければ、何も始まらない、まずは行動しなきゃね。」
そう言って、先の見えない小さな会社を、これから背負って立とうという龍司の、その決意と夢を信じてみよう。
陣痛のはてに産み落としたその名は、Ryuuji Yoshimotoの頭文字をとって、有限会社R・Y・システムと申します。龍司の創作活動の基盤として、一から、いや、ゼロから育てていく分身です。私達は、初孫を見守る、じいや、ばあやの気持ちで、行く末を見守りたいと思っております。まだまだ年齢も経験も浅い龍司ですが、どうか皆様にも、この新しい子の誕生を認知していただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
龍よ、時代の新旧に関係なく、こういう時のはなむけは、やっぱりこれしかない。
道程
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僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
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日本文学全集 高村光太郎集『道程』 集英社
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平成12年7月30日 龍司18歳の誕生日に贈る