20年ぶりに恩師と再会
先日、私が高校3年の時担任だった先生から、私の家の近くに用事があるので、ついでにうちに寄ってくださるというお電話があり、20年ぶりの再会となりました。
最後にお会いしたのが、私の結婚式の時で、そのあとずっとご無沙汰しておりました。年賀状や電話でお話ししたことはあっても、実際20年もの間があくと、お会いするまでドキドキわくわく。
その先生、私たちが卒業してから、別の学校に4.5年勤められた後、定年退職され、そのあと、仏教大学の通信課程を受けられて、お坊さんになられたというちょっと変わった経歴を持っていらっしゃるのです。
若い人達に交じって、難行苦行も勤められ、地元のお寺さんで数年修行の後、この春、少し離れた土地にある、住職もなく荒れていた古寺を任されて、今、自宅と寺とを半々に行き来する生活だとか。
その昔、私たちが習った教科は商業一般という科目で、何を勉強したかというと、
「おまえらどんなことがあろうとも、先物取引だけには手をだすなよ、あれだけは、本当に儲かったっていう人の話を聞いたことがない。先物取引だけは、本当にまる裸にされてまうでな」
といって始まる先物取引の話や、
「俺が昔大学時代に下宿した先は、いわゆる、ある旦那の別宅、お妾さんのやっている下宿でな、食べ物もまあまあのものを食べさせてくれたし、いろいろといい特典があってな・・・・・・」
などと下宿を選ぶための諸注意とか、
「あのな、俺んとこの近所に、最近めずらしい建物が建ちだしたと思ったら、それがパチンコ屋でな、田んぼのどまん中や。パチンコ屋と言ゃあ、昔は駅前と決まっておって、そんな田んぼの中のパチンコ屋に行く人などおるのかと心配しておったが、これが以外にはやっておって、俺もついつい寄るようになってな・・・・・またそれが、景品が変わっておって、パチンコの景品といえばチョコレートと相場は決まっておったもんやが、最近じゃ(1977年頃の話)、いろいろな物がもらえるんやなぁ・・・・ 」
というような、景品の説明。
商業一般というより商業雑般で、たまに用事を頼まれた時など、夕べはよく出てなあ、と言いながら紙袋の中から、ごそごそとチョコレートを取り出してくれたりしました。
いろいろあってもやっぱりチョコレートか、と思っていると、ある時、私ともうひとりの友達と、呼ばれて、
「お前ら、本当に毎日よくがんばっておるで、今日はごほうびをくれるでな」
と言ってもらったのがなぜか、同じく景品で取ってきたという、純白の割烹着。
おお、これが最近の変り種というやつか、いつかこの割烹着が似合う年になったら、袖を通してかいがいしくおかみさんぶりを発揮しようと思いつつ、はや幾年。身を立て、名をあげ、やよ励めよと歌っても、未だ師の恩にむくいるだけのおかみさんには遥か遠く、割烹着は、その昔嫁入り道具として揃えられた和服とともに箪笥に眠る。
そのようにして、先生と一緒に過ごした短い学生生活の思い出も、あれから二十数年、この胸にしまい続けてきたのです。
それがなんと、この夏の猛暑の中、わざわざ我が家に足を伸ばして寄ってくださるというのです。仏教徒でなくとも、思わず合掌したくなるような有難いお話し。
私がこんなふうに言うのもなんですが、車から降りられた先生は、それはそれはどこから見ても立派な僧侶で、でも面影は当時と変わらず、益々お元気のご様子。
龍司のことやら、先生が、お坊さんになられるために書いた卒業論文のお話やら、いろいろと楽しい、そして中身の濃い話しがはずみました。最近は、各所に呼ばれて、ご講話の機会も多いとか。それでやはり人前で話すには、自分が勉強してないとなかなか勤まらないということなど、老いて益々研究熱心などとは、まったく失礼な言い方ですが、そのパワーには及びもつかない私に、恥じ入るばかり。
こうやってね、何十年ぶりかで再会できて、心がぽっとあったかくなるのは、先生は単に、ティーチングマシンではないってこと。先生は教職中から、お坊さんになられるつもりではなかったそうだけど、今思うと、坊さんになくてはならない慈悲の目を、持たれていたような気がします。けっして高飛車な物言いはなさらず、指導に行き詰まった時は正直すぎるくらいに、
「俺、弱っちゃってなあ・・・・あいつに、何て言ってやったらいいんやろう・・・・」 などと話されました。先生が困っているものを生徒の私が解決できるはずはないのですが、そうやって相談されると、先生が私を信頼して下さっていることを強く感じ、多分それは私ばかりでなく、先生をとりまくそういう雰囲気、とてもほのぼのとしたものが、自然と問題を解決していっていたと思います。
その先生と、こうしてお会いでき、
「今度はぜひ、一緒に飲もうな、」
って、デートの約束までして、また楽しみが出来ました。
今日は、これだけ。
この、少し「ぽっ」とするような気持ち伝えたかっただけ。
教わるということは、その人の生きざまに惚れることだと思う。
もうわかっているだろうけど、勉強とは、学校を卒業して終わるものではないのよ、龍司。
多分これからも、私はずっと先生の生徒で、先生はその生き様をもって、まだまだいろいろなことを私に教えて下さるでしょう。この年になって、ようやく学習意欲がにょきにょきとはえてきたみたい。よーし、龍司なんぞに負けてなるものか。先生にも負けてなるものか。・・・・・・・・ 合掌。
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