• その命、軽んずべからず


       ここのところたてつづけに、子供さんが不登校で悩んでいるというお母さんからの電話がありました。新聞で、この「母のたわごと」のことを知ったということで、その問い合せと、「実はうちの子、今不登校で悩んでいるのです・・・・」というせっぱつまった声。 おひとりは、クラスで逮捕者が出るほどのひどい傷害を目撃し、また自身もいじめにあって、恐怖で学校へいけなくなってしまったと聞きました。お気の毒です。
       不登校になる理由だって千差万別、軽々しく口をはさめるものでもないので、私など何の役にも立てないけれど、他人にそんな心の内を話さなければならない心情はいかばかりか。
       「今の姿が一生続くのではないですからそんなに心配はいりませんよ、きっと立ち直ります。だいじなのは学校の勉強ではなく、生き抜く力です、なるべくその子が興味を持てるもの、夢中になれるものを、一緒に探して励ましてあげましょうよ」
      と言うしか出来ない私。
       こんなことはもう耳にたこが出来るほど聞いておられて、もっと具体的なハウツー本もたくさん読まれている方かも知れない。慰めにもならない言葉に、受話器を置いて、がっかりしていらっしゃるに違いない。
       私には、その心の痛みをほんの少し思いやることぐらいしか出来ないけれど、何よりそのお母さんご自身が、家庭の中で明るく輝いて太陽になられることを祈る・・・・他になんと言葉をかけたらいいのやら、そのすべがみあたらない。



      ***




       私が初めて産婦人科を訪ねて、
       「間違いありません、妊娠です」
       と告げられた時は、本当に嬉しかった。
       看護婦さんが、血圧計をセットしたとき、ええーっ!という声とともに慌てて器具の点検をしていたけど、狂っていたのは血圧計ではなく、私の血圧。妊娠を告げられたその瞬間から心臓はドキドキして、脈もめちゃくちゃ速かったから、ああ、きっとまともには計れないだろうなと思ったけど、案の定計測不能。
       けれどもその10日後くらいには、喜びはジェットコースターのように急降下。流産の兆候で絶対安静を言いつけられてしまったから。

       「もつかどうかは五分五分です」

       そう言われた先生の顔は、四分六分でだめな方に傾いていた。
       翌日には飛行機で四国に行く予定があって、それをキャンセルしてひたすら安静にしていたけど、これが一日ずれて四国に行ったあとだったら、もしかしたら、その子はこの世の中にいなかったかもしれない。これが龍司、一度目の命拾い。
       つわりのひどかったふた月ほど、ほとんど八朔だけを食べて過ごし ――――― 八朔だけが唯一のどを通る食べ物となり、とある果物屋さんに足繁くかよった主人が、しまいには車を止めただけですぐに八朔を手渡されるほど、なじみになったとか。
       その間体重は6〜7キロも減ったけど、あれほど食べることが苦痛だった日々は他にない。龍司の体の数パーセントは、八朔で出来ていると思って間違いない。

       二度目の危機は出産当日。切迫早産をなんとかのりきって予定日間近となったものの、早期破水で陣痛促進剤を打っての出産に。破水から8時間ほど経過して、ようやく陣痛の間隔が短くなってきた頃に、お医者さんは急用で他の病院に行かれてしまわれた。それからまだ半日、いろいろなことがあったけど、ともあれ先生が戻られた時、私は分娩台の上でかなり体力を消耗していた。

       「時間かかりすぎているぞ、酸素、至急用意しといて!
       吸引しなきゃ、早く用意して!」

       先生のどなり声とともに急に緊迫感を増した分娩室で、私は、どうか生きて無事生まれてほしい、ただそう祈るしかありませんでした。先生も分娩台の上にまたがり、私の顔のまん前にお尻を向ける体制で、私のおなかを押してくれましたが、なぜか、こんなお産もあるのかと私は冷静でした。とりみだす気力さえなくしていたのかもしれません。
       おかげで吸引分娩の器具が用意された時点で、それを使うことなくなんとか生まれてきましたが、産声を聞いてほっとしたのも束の間、先生から、みぞおちに一撃くらったような言葉。
       「破水から時間がかかりすぎました・・・・感染症とか、一時的な酸欠のための障害とか、何がおこるかわかりません。できれば早めに名前をつけて、健康保険の手続きをなるべく早く取っておいたほうがいいでしょう」
       これが先生の意地の悪い冗談だったと思えるようになったのは、一週間ほどたってからでしたが、健康で無事生まれ、無事育ってくれますようにと、ただただそう祈って、龍司の人生が始まった。

       でも、生まれなかった命もあった ――――― 稽留流産。
       とっくに心音の聞こえる時期であるはずなのに、心音がない。
       この頃、出産予定日までには忙しい事務の仕事をパソコンに乗せて、子のためにも何とか効率化を計らねばならないと考えていた時で、体の不調にもかかわらず、そのことばかり気になって眠れなかった。体を一番いたわらねばならない時期に無理をし、お腹の中の命に、思いやりが足りなかったと悔やまれた。
       流産の判定に意地でも逆らうように、相変わらず苦しいつわりと妊娠反応は続いていたため、「掻爬」をためらって様子を見ることになったけど、入院して安静を強いられ、自分をせめるしかない最悪の精神状態の最後は、やはり冷たい「処置」という言葉。

       「もう多分だめでしょう、処置します。
       妊娠には一定の割合で、受精卵自体に何らかの問題があって、成長しないで自然淘汰されていくものもあるんです、別にあなたが悪いわけじゃない」

       そんな理屈より、ふた月み月ほどの間、つわりという手段で確実に私に存在を知らせていた子に、詫びる思いで送ってやりたかった。
       内診台の上で私は、体ががたがたと震えだし、涙が止まらなかった。

       「恐がることなんかないですよー、局部麻酔ですぐ終わります。
       明日には帰れますから・・・早くしないと、あなたの体のほうがだめになっちゃう。
       あー、こんなに泣いてちゃ出来ないじゃないか。じゃ、全身麻酔にするか・・・・・
       全身麻酔使うほどのことでもないんだけどなー」

       恐かったんじゃない。
       ただただ悲しかった、説明しようのない悲しさだった。

       「いいですか、私がこれからゆっくりゆっくり数を数えます、それに従って、同じように数えてください」

       「いーち、・・・・にーい・・・・・さーん・・・・」

       七か八あたりまで数えたとき、麻酔が効いたようで意識がなくなった。
       けれどもいくらもたたないうちに、下腹部の激痛とともに意識が戻る。
       それを伝えようとしても声が出ない、出せない、体がまったく動かない。
       事はすでに始まっていた。痛みを取るためにした麻酔の不備で、手も足も出ない金縛り状態の体に激痛が走る。ガチャガチャと金属器具の擦れ合う音、看護婦さんの声、先生の声もしっかり聞こえる。

       「これ、使います? 」
       「ああ、いい。やっぱほら、もうドロドロに溶けてらぁ、こんなの入れてたってだめだよ・・・・・」

       何度も何度も体の中を掻きまわされ、言葉に出来ない痛みと、書くことさえためらわれる乱暴な声が、ここに聞こえていることすら告げられないまま、これが、忙しさにかまけて新しい命を思いやらなかった天罰だと、必死にこらえ続けて ――――― 終わった。
       体の中に、火をたかれたような感覚。まぶたをあける力さえなく、目の前は濃い灰色の世界。
       内診台からストレッチャーに載せ替えられ、ひと気のない午後の婦人科診療室から運び出された。
       麻酔はまだ効いているものと思われていた。
       廊下を行く時、ストレッチャーの脇にはさんであった、私がはいてきたスリッパの片方が落ちたけれど、誰も気付いてはくれなかった。それを見ていたわけではないのに、私の体のある一部分は鈍感に、ある一部分は非常に敏感になっていて、そんなどうでもいいささいなことが、見えるように感じられた。

       「あっ、スリッパ落ちたよ。落っこちたままだよ・・・」

       もちろん声にはならなかった。

       
       ようやく全身の金縛りが解かれた夕刻、
       「これ、あなたのスリッパじゃない?」
       そう言ってヘルパーさんが、その片方を病室に届けてくれた時、なんだか、置き去りにされた悲しみにようやく目を留めてもらえた思いがして、また涙が溢れた。
       

       生まれて大きく育つ命も、育たないで終わった命も紙一重。龍司がここでこうしてパソコンをしているのも、思えば本当に奇遇なこと。もっと言えば、私を遡り、私の母を遡り、幾たび無数の奇遇の上に今がある。
       親は子を「所有」するのではなく、不思議な縁で結ばれた、双方にとってかけがえのない生きるために支えあう対等な関係ではないだろうか。与えなければならないものは多いけど、与えられるものはもっと多い。


      ***




       血を見ても止まることをしないひどいいじめや、はては、人を殺す経験がしたかったなどと、どう考えてもその真意を汲み取ることなど出来ないような一連の事件が、若い女性の結婚・出産意識にブレーキをかけ、子をもつことが恐い、面倒にまきこまれたくないから、子はいらないとさえ言うのを聞く。
       晩婚、少子化がそんな単純な理由だけではないにしても、多くの女性が楽しく子と触れ合えないというのは、児童虐待などの多発にも現れているし、社会的ストレスが高まれば高まるほど、そのしわよせは、益々弱い子供に蓄積されていくようで・・・・その悪循環をどこで断ち切ればいいのやら。
       生き抜く力を与える教育、今こそ、全力をあげて命の尊さを教えよと、教育改革の旗は大きく振られたにしても、政治や制度で、決めて行うものであろうか。教科書や副読本で、命が教えられようか。

       哺乳動物は子を生むと、ひとり立ちするまで親が必ず、身をもって生きる知恵を授けるというのに、ヒトだけがなぜ、こんなにも父や母でおこなうべき領域まで集団教育の場に持ち込まなければならなくなってしまったのだろうか。
       何をどうしたらいいかと安易に答えの出る問題でもないけれど、一組一組の夫婦、親子が、もうすこし確かな絆で結ばれてたいら、悩まないで済むこともあるかもしれない・・・・・
       私たちは、学校や塾にあまりにも過剰な期待をしてきたばかりに、一個の哺乳動物として親と子が本能で触れ合うべき大切な時間や、その中で得られる快楽そのものまで、手放してしまったのではないかしら。欲得でない子供とのふれあい、子供が生き生きと、喜ぶ顔がみたいから、無償の愛でごはんを作る。体を壊しては困るから、暑さ寒さに気を使う。時にはきつく抱擁する。そして時には、体面を保つことや、理知的であるよりは、風に立つメスライオンとはいかないまでも、せめてメス犬くらいの気迫でもって、首筋噛むように腹の底から唸るようにして、叱り、教えなければならないこともある。
       そうして絆を深めていくことが、深まってゆくと感じられることが、どれだけ楽しいことであるか・・・・築きあげてゆくその最も手間のかかる、最も楽しいプロセスに手を抜いてはいないか。

       妙案など何ひとつない。けれどもたとえば原点に戻って、身篭ったときの喜び、悲しみ、苦しみを語ることで、バーチャルでない生や死や、命の不思議を、自身のものとして実感してもらえるなら、人様には見苦しいと思われるかもしれない出産体験でも、ここにこうして記しておこう。

       多かれ少なかれ、それぞれに、命をはって生んだ子だもの、命の大切さは、生身の私から子へ、少し血生臭いくらいに伝われ!

       その命、軽んずべからず、
       まして、人の命と、心をや・・・・・・・





       平成12年10月8日


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