普通であれ、健やかであれ!
3年前の今ごろは何をしていたかと、『母のたわごと』を読み返してみたら、高校受験のシーズンであるのに、全然勉強をするけはいもなく、私ひとりで気をもんでいたことを思い出しました。
次から次と沸き起こる興味に引かれてパソコンに向かっている点では、龍司の生活はあの頃とまったく変わっていないけど、なんだかやたら忙しくなっていることは事実です。毎日がめまぐるしく過ぎていて、とくに会社設立以来、落ち着く暇もなくて、社長が忙しいということは、社長秘書も忙しいわけで、私はこのページが更新できなかったのを苦にしていたら、
「お母さん、量より質だよ。出来ないときは無理してやらない。クオリティ重視で行かんと、品質落してまで量産してもしょうがない」
と、龍司に言われてしまいました・・・・・・そうか、そうやって腹を据えて、龍司もホームページの更新をさぼっているのか。
さぼっているんじゃねぇぞ、と叱られそうだけれど、とにかく超多忙なことは確か。そのあたり、また数年後に振り返った時のために、龍司に代わってこの数ヶ月を少し書きとめておきましょう。
8月1日、ひとことでは語り尽くせないもろもろの思いを込めて会社設立。その前に進学して勉強を続けることもひとつの条件としたけど、受験のための勉強というものをまったくしてこなかった龍司にとっては、試験で合格できるのぞみはなかったから ――――― 学校には、実にまじめに通いつつも、そういう一切の入試情報をシャットアウトしたところで、高校生活をエンジョイしてきたから、情報関係の学部で、アドミッションズ・オフィス入試(書類選考と面接のみの試験)を受けることにして、そのための書類作りに、7月8月、さらに9月と追われる。
「事前に書類選考のための資料を送って、それが受かれば面接を受けるだけで・・・・」
と、口で言うほど簡単ではなくて、十数枚の規定の用紙にいろいろと質問事項や志望理由を書くこと以外に、吉本龍司がいったい今まで何をしてきた人物で、これから何を学びたいと思っているのか、それを具体的に表す資料を任意に作って提出せよと・・・・・しかも形式は自由だが、フロッピー等で提出する場合には、必ず別途プリントアウトしたものを添えよとある。ならばこれでどうだと、主なソフトウエアについては、ソースコードまで印刷し、大学側にとってみれば、どこの馬の骨ともわからない人物を、とりあえず「岐阜県の馬だぞ」くらいには、説得させうるような資料を作らなくてはならなかったのです。
もちろん今までやってきた活動履歴は、フロッピーどころか、CD1枚や2枚では収まりきれないほどあったけど、逆にフロッピーやCDにしか納めることが出来ないものばかりで、ホームページで公開している研究課題や、ソフトのひとつひとつに、開発経緯や、どんな場面で使われているかなどの事例を添え、ホームページのおもな部分を印刷するような形になり、デジタルデータをアナログ化するという、普段やっている作業とはまったく逆のことに、夏中かかっておりました。
結果、入学願書の総重量は12.7キロ、数千ページにもなりました。塾も行かず参考書も買わず、模試も受けず、教育費は県立高校の授業料以外まったくかかっていないけど、願書書くための紙代、インク代はきっと日本一だわ・・・・・・とため息をつきながら、プリンターが酷使されるのを眺めつつ、夏が終わる。
その間にも、新聞、雑誌、テレビ等の取材が相次ぎ、会社設立を大々的に取り上げて頂いたものの、8月はまだしも、学校の始まった9月以来、ソフト開発をする時間がほとんどなくて開店休業状態。10月の末から、インプレスのDOS/V POWER REPORT 新年号のための座談会で東京出張、翌週大学の面接、地元中津川市のイベント参加、そのまた翌週はICFホームページコンテストで特別賞を頂き受賞式のため上京、日本教育情報学会主催・デジタルアーカイブコンテストで「ふるさと坂下」に最優秀賞を頂き、東京から引き返して岐阜市へも顔を出し、またさらには、NHK教育テレビの少年犯罪についての討論番組出演のための上京と、毎週のように家をあけておりました。
お蔭様で2次の面接もなんとか通過。大学に提出した12.7キロに及ぶ願書は、龍司が18歳という年まで生きてきた、中間決算のようなものになりましたが、「受験勉強よりも、今やっていることのほうが、自分にとっては大切で有意義だと思う」 と中学の時から覚悟をきめて好きなことに取り組んできて、こんないっこく者の龍司に、私は始終心配のさせられ通しだったけど、今度こそ、本当に好きなことを学べる場が与えられたのだから、一層がんばらなくては。それにしても、こうして資料として整えてみると、ぐうたらな龍司でも、残したものは意外と多い。
NHKでは11月末の一週間あまり、教育フェアと題して各種催しや、21世紀を前に教育について考えるための特別番組がいくつか放送されたそうで、その中のひとつ、『少年・少女プロジェクト 特集「10代に聞く 少年犯罪をどう思いますか」 』という番組に出演依頼がありました。
神戸でおきた連続児童殺傷事件の同級生世代として、何かと話題の多かった17歳18歳が、「なぜ少年が犯罪に走るのか、凶悪事件を起こす子と、踏みとどまる子のその差は何か、命の大切さとは何なのか」などについて語る、スタジオで4時間半に渡る生番組でした。放送中からたくさんのファックス、メールなどで反響があり、しかも多かったのは子供たちからの声。自分も死にたい、殺したいと思ったことがある、という内容だったそうです。
出演者として呼ばれた10人のうち、犯罪や自殺に走る子の気持ちに共感するところがあると言ったのは8人。自殺や人殺しをする子の心に絶対共感がもてないと発言したのは、龍司ともうひとり、つまり8対2。そのせいか、討論というよりは、『少年犯罪の心理に共感する子たちの、心の闇を聞きだす』ことに重点がおかれたようですが、自殺したいと思ったり、いじめをしたり人を殺したいという衝動に駆られることもあるという子の意見を聞いていると、子ども達をとりまく環境、とくに個々の生活に対する考え方が、かなり閉塞的状況に追い込まれている印象がありました。
多くの少年・少女が、罪を犯した子に、大なり小なり共感する気持ちがあるというのは、どういうことなのだろう。とくに最近の傾向として、どこにでもいそうな、ごく普通の少年が、いとも簡単に犯罪に走るという。世の中の多くの少年、少女らが、いじめや自傷行為に意識が集中することは普通のことで、時には殺意を抱くことさえも普通で・・・・・それが実際に行為に及ぶか及ばないか、紙一重のところでみんな苦しんでいるという。
えっ、でも・・・・・それが『普通』なの?
そんな考えを『普通』と認めてしまっていいの?
そんな『普通』に慣れてしまっていいの?
『そりゃ普通じゃないんだよ!』と、なぜ回りの大人は声を大にして言わないの?
彼らの、その行き場のない混沌としたエネルギーを、別の場面に向けることができたら、もっと晴れやかになれるだろうに、でもそうできない根本はなんだろう・・・・・
多くの疑問が尾を引いたまま、相変わらずめまぐるしく過ぎる毎日の中で、私もなんとか日常の仕事をこなしておりました。
片付け物をする間もなく夏物と冬物が混在していた家の中を、ようやく遅めの冬支度を整え、こたつでうとうととしていた夜、つけっぱなしにしていたテレビの深夜番組が、どこかの古代遺跡滅亡のなぞを解いていた・・・・・・・・
夢とも現実ともはっきりしないまどろみの中で、私はひとりの旅人になったように、その遺跡の道を歩いていた。砂漠だったろうか。聞こえてくるテレビの声をたよりに、勝手にその映像を夢の中にむすんでいたのだろう・・・・・・乾いた砂の道を何かに導かれるように、ふらふらと歩いていた。寝ているのか起きているのか、生きているのか死んでいるのか、実感のない歩み。ふらふらとひとり。
気が付いてテレビを消せば、静寂の中に龍司のキーボードをたたく音。もう何年も聞いてきた、我が家ではあいも変わらない普通の音。普通の夜。
龍司には龍司の歩むべき道、私には私の歩むべき道がある。夢でない現実の道、今やらねばならないこと、明日やるべきこと、あさってやるべきこと、少なくともその程度の見通しさえあれば、死にたいなんて言えない。まして憎しみや殺意なんて生まれようはずもない。生きるための勇気なんて、なにも大袈裟なものではなくて、支えあう身内や仲間の、ほんのささいな言葉の中に潜んでいるもの。
「ほら、もうそろそろ寝ないと、あした学校もあるし・・・・
がんばりすぎて体こわしたら、もともこもないから・・・・・」
幾度となく、同じこと言い、同じこと繰り返し、龍司は毎夜キーボードの音をこの家の中に響かせてきて、それがいつしか我が家の日常となり、普通となった。 ―――― この普通という言葉の中に、憎しみや殺意など、私は許容したくない。してしまってはいけないと思う。
ルポライターの鎌田慧さんが、プレジデント誌の取材で我が家にいらしてくださって、同誌2000年12月18日号で、中見出しにこう書いて下さった。
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