文学部学生諸君!
このページで小説家や詩人の文章を引用したり、その作家についていろいろと思うところを書きとめたりしているせいか、時々、文学部の学生と称する方々から課題レポートや卒業論文を書くにあたっての質問が寄せられるのですが、いやはやどうも。
私は、きちんと学問を積んだ者でもなければ、まして教師でもない、知ったかぶりしてそのへんうろうろしている無学なおばちゃんです。語義のいわれや文法など、難しいことを聞かれても困ります。
無学なりにも、筋の通った質問には、出来得るかぎりの返事をし、また私自身興味をもったことは調べもしますが、それよりももっと困るのは、こんなことまで人に聞くなよ、と言いたくなるような愚問です。
メールで作品についての感動や心情を交換し、言葉を交流することにはいささかの億劫も感じないけれど、
「ごちゃごちゃと書いているおばちゃんがいるぞ、このおばちゃんなら、レポート助けてくれそうだ」
そんな安直な思いつきで、質問事項を箇条書きにしてよこされても、一寸の虫にも五分の魂ではないが、無学なおばちゃんにも五分のプライド。便利屋よろしくそう簡単に利用されても困りもの。
こんな道具が出来たおかげで、キーワードを入れて検索ボタンぽんと押せば、その本文から評論に至るまで関連事項五万と引き出してしまえるし、わからないことがあったら、知っていそうな人にメールでどんどん質問しちゃえって気持ちも、わからなくはない。
当ページへも作家や作品名をキーワードに、検索サイトからやってきたとみられるアクセスがひきもきらない。このように、私がだらだらと書いたものを読んでいただけるのは光栄なことで、「レポートの参考にさせて頂きました」などと、ひとこと書いて下さるの嬉しいけど、明らかに、「それはもう少し時間をかけて、あなた自身に問うべき問題でしょう」 というような直球を、かまわず投げてよこすのはいただけない。
ひとりの作家が、巷をさまよい、心体を病み、家族をどん底の生活に貶めてまで追求しようとした命題を、挨拶もそこそこに2、3行の短いメールでいきなり問われても、その理由は、これこれしかじかです・・・・などとは、私でなくとも、エライ先生であっても、そんなに簡単に答えられるものか。
インターネットで見たこと聞いたことそのまま連ねて、はいレポートですと献上するには、それは作家に対して、作品に対して、あまりに失礼というものです。地理に不案内なものが道を聞くとか、安いチケットはどこに行けば手に入るかというような質問とはわけが違います。それは答えがひとつでない、どう生きるか、どう生きたかということに直結する問題だから。
また、いろいろと文献ひっくりかえして全部読むのは大変だから、必要な箇所だけあらかじめピックアップして、効率よく済まそうとするのもどうでしょう。たとえばこんな例。
山頭火について卒論を書くつもりだが、「本学には山頭火に関する教授陣は無知に近い状態です」ので教えてほしいと前置きをつけて、山頭火はなぜ戦時下においても漂浪を続けられたのでしょうか? 戦争へはなぜ参加しなかったのですか? なぜ海に嫌悪感をおぼえていたのでしょうか? ・・・・・他にも、彼の名前のことなどいくつか。
どの戦争のことを言っているのか不明ですが、それこそ、ネット上で検索した簡易年譜でも見て、戦争のあった年と、彼の履歴や行動、年齢を比べただけでも、徴兵の命が下るには無理があるのではないかと思うのですが。また作品を読めば、彼が武器を取って人を殺すことに耐え得る性格かどうか、おのずとわかるでしょう。しからばそのあたりから考察を進めてください。
山頭火が海に嫌悪していたということは記憶がなく、私は専門家ではないので、多くの誤読や見落しがあると思いますが、もし彼が嫌悪感をおぼえると書いていたなら、それはよく試験の問題に出る例文と一緒で、答えは必ずその周辺にあったはずです。まずその、嫌悪を覚えると書いた場所、句であらば、その読まれた背景を探ってください。そもそも山頭火の何について追求しようとしているのか、こういう質問の趣旨を理解しかねます。論文のサブタイトルくらい示してもらわないことには、答えようにも、どうにもピントが定まらない。
ご本人には大変申し訳ないのですが、学生さんから頂く質問メールの典型文体なので、例にとってもう少し言わせてもらえば、「戦争に参加する」などという言葉を使うこと自体、その頃の時代背景を大きく読み間違えています。私だって戦争は知りませんが、戦争とは、一個人のレベルで、参加するとか、しないとか、そんな言葉の範疇にはないものと思います。
また、既知の仲ならいざしらず、会ったこともない初めての人に依頼文を書くような場において、その冒頭に「教授陣は無知に近い状態です」というように、我が身の非でなく、他人を非難する「負の言葉」を持ってくるような文章にこそ、私は、嫌悪感を覚えます。
こういうくだりは、たとえば文学作品の中で主人公が薬物中毒に落ち、前後不覚となって誰彼かまわず非難したり借金を申し込んだりする、その錯乱振りや身勝手さを表すときに功を奏するもので、たとえメールであれ、出会いの始めにこういう表現を用いることは、あなたがどんな博識であったにしても、あなたが劣ると見た教授陣よりもさらに下に、あなた自身を位置付ける結果となってしまいます。そういう日本語の恐るべき効果を、本気で学んでみましたか。そもそも山頭火に関するる記述を、どれだけお読みになりましたか。そしてそれは、「本学の無知な教授陣よりも」と、誇れるレベルですか。仮に、質問に逐一即答してくださる有能な教授が学内にいらしたとして、作品からでなく、教授から答えを得ることが、あなたの望む学問ですか。
・・・・・とね、理由はこのように、えてして問題のキーワードの、前後近くに書くものです。
山頭火を論文にとりあげるなら、なぜ放浪・漂泊を続けたのか、それを読み解くことが、おそらく核となると言ってもいいのではないでしょうか。ですから、たとえ面倒でも、まず全作品をお読みになって、ご自身で推察すべきであり、じっくり考えた上で質問をなさるべきで、そうした「あなたの読み」の披瀝が、あなたの論文となるのです。
ご本人が、再びこのページを覗いて下さるかはわかりませんし、山頭火の検索で上がってきたありとあらゆる場所に同様のメールを出されて、丁寧な回答をどこからか得られた場合は、もう素晴らしい卒論が書きあがっているかもしれませんが、私はあえて、ある種の愛情を持って返事を差し上げなかったことを、この場でお詫びいたします。
同じような書き方をしてくる学生は多く、一作家をとことん見極めようとする「読み」よりも、書くために履歴を追うことや、安直に答えばかり急ぐふうが目についてなりません。また一様に質問の仕方がへたなのも気になります。中学生や高校生ならまだしも、これから大学の卒業論文を書こうという段になってこのようでは、山口百恵ではないけれど、「いったい、何を、教わってきたの」と、鋭い目つきでドスきかせて、歌でも歌ってしまいたい気分に、なってしまいますことよ、ほんと。
こんな時代、便利な道具が目の前にあるから、何も回り道しなくとも、最短距離で目的に達しようという気持ちはわかりますが、他ならぬ文学部と肩書きする学生にとっては、自分で読み、自分で感じ、自分で考え、自らの言葉を紡ぐ、この回り道のように見える過程こそが、学問ではないのでしょうか。―――― まずはじっくり読んでみなさい。そしてその問いは、己が心に問えと返したい。その上で、一方的な答えでなく、双方向の会話を持ちかけられたなら、私も負けずに勉強して、その議論、いつでも受けてたちますよ。
―――― 山頭火はね、俳句とは何ぞや、文学とは何ぞや、その答えを見つけるために、家も捨て家族も捨てて生涯そこら中ほっつき歩いて、必死で答えを探しまわっとったんや。その問いを、そーっとめくって見るとその下に、生きるとは何ぞや、と書かれてあった・・・・そんな愚直なやつやったから、神か仏か知らんが、坊さんやから、神は関係ないのかしれんが、「お前はもう、どないなろうと、わしゃ知らん、戦争のことなど考えたら、話しがよけややこしゅうなる、そうやってほっつき歩いとれ」 と、勝手気ままを許してくれたんや ――――
とは、私のたわごと。このままレポートに引用したら評価を下げます。
けれども山頭火が、それを己が心に問うた言葉は、日記の中にも数多い。答えを人頼みにせず本当に生涯をかけて、探し続けていたんだね。
学生がキーワード検索に打ち込むような作家の多くは、その言葉の下、一枚めくったところで、愚直に解を見出そうとする苦悩が、いつもついてまわっている。スマートに生きなくちゃと無理をして、ポーカーフェースを強いられている者にとって、堂々と、ぶざまにのたうちまわることの出来る彼らは、時に、我が身の代弁者となるからだろうか。卒論に取り上げようと思うくらいなら、人に聞く前にまず、その苦悩の痕跡まで、自身で読み取ってみなくちゃね。私のようなものが、簡単に答えられる問題ではない。
お説教相手がそばにいなくなったものだから、ついついよそのお子さんまで、叱ってしまった。許せ、文学部学生諸君!
メール書いてくる子はすべて我が子と・・・・重厚にして壮大なる愛をこめて。
いらぬお節介? ・・・・はいはい、母の愛とはその大部分、節介質で出来ております。 当の我が子は大丈夫かしら。
ところで、私がネット上に山頭火のことを書いた当初(96年)、「山頭火」というキーワードで検索に上がってくるデータは、ラーメン屋さん情報が数件と、俳人種田山頭火に関するホームページが数件で、あわせて10件にも満たなかったけど、最近では、種田山頭火に関するページもさることながら、ラーメン屋さんのチェーン店やたら増えたし、またその味についてうんちくを傾けるページの無数にあること。その名が広く、世間に認知されたはいいが・・・・・・・
分け入っても 分け入っても 山頭火ラーメン
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