10秒のレクイエム
坂下・落合・中津川・美乃坂本・恵那・武並・釜戸・瑞浪・土岐市・多治見・古虎渓・定光寺・高蔵寺・神領・春日井・勝川・新守山・大曽根・千種・鶴舞・金山・名古屋。
JR、中央西線、坂下から名古屋までの駅名をずらっと上げると22駅、蒸気機関車が走っていた頃は、名古屋まで3時間以上かかったが、今は直通電車なら1時間40分あまりでいける。行かないで、駅名を読み上げるだけだと超特急で10秒。
昔、国鉄に勤めていた叔父が、まだ独身で私の両親、祖父母と同居していた頃、この町から神領(じんりょう)という駅まで通っていた。
私が7歳頃のことだったと思うが、何かの話しのはずみで、坂下から名古屋までの駅名全部、ひと晩でおぼえたら1000円くれると言うので、私は意地でも朝までにおぼえてしまおうと、書いてもらった駅名のメモを持って、布団の中に入ってからも、何度も何度も唱えて必死で暗記したことがあった。
翌朝6時前には出勤する叔父に向かって、私はその駅名をすらすらと暗誦すると、叔父は、まいったという顔つきでニヤニヤ笑っていたが、さて、その時1000円を手にすることが出来たかどうか記憶がない。どうも100円くらい握らされて、うまくまるめこまれたような気がしている。キャラメルやガムが10円で買えた頃だから、1000円といえば結構な大金で、叔父もきっと、からかい半分のつもりだったに違いない。
あれから三十数年が過ぎたけど、私は今でもあの時のまま、22駅は数珠繋がりの一語となって、10秒で暗誦することが出来る。
だからどうした、と言われそうで別に自慢するほどのことでもないが ・・・・ その叔父が、今年の元旦に亡くなった。59歳だった。4年ほど前から、骨髄性再生不良性貧血を発症して通院治療を続けていたが、大晦日の夜突然苦しみ入院、それから24時間とたたないうちに逝ってしまった。
死の一報を聞いたとき、不思議なことに、頭の中をふとよぎったのは、呪文のように記憶されたその駅名。言いようのない寂しさが、受話器を置くまでの短い間に過ぎていった。
冷たい頬に手を触れたとき、棺に花を入れるとき、また、葬儀のあとも、その記憶は、度々浮かんでは消えていった。
35年あまり前の、たわいない暗記ゲームは、まるでこのときのために、あらかじめ仕組まれてとって置かれた演出であったかのように。
民営化になってからもずっとこの路を通い、多くの車両整備に従事してきた叔父に、それは最もふさわしいレクイエムとして。短いけれども凝縮されたレクイエムとして。
――――― きっとあの時、私、100円しかもらわなかったよ。
それ、確かめないうちに逝っちゃってずるいよ。
小さな私が、絶対おぼえられるはずないと思ってたでしょ?
駅名言えたからって、あれ以来何の得にもならなかったよ。
神領の駅の構内で電車展があったね。
弟と一緒に、D51にも、ひかり号の運転席にも乗せてもらったよ。
職員食堂でカレーライス食べた。
ほら、私、今でもまだ早口で言えるよ、
坂下・落合・中津川・美乃坂本・恵那・武並・釜戸・瑞浪・土岐市・多治見・古虎渓・定光寺・高蔵寺・神領・春日井・勝川・新守山・大曽根・千種・鶴舞・金山・名古屋 ―――――
それなのに、
それなのに、叔父の駆動輪は、路線図にもない、名もない駅で、
最後のきしみの音を少しばかり、寒夜の闇に響かせて止まった。
昨年の祖母に続いて二つ目の、今度はあまりにもあっけない、えにしのピリオド。
その呪文のような駅名を、私はこれからもきっと、忘れることはないであろう。
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