• その子二十歳



       当ページをご愛読の皆様、大変ご無沙汰いたしました・・・・といって、はたしてどれほどいらっしゃるのか。広いホールの最前列に、座布団持参で座ってみていて下さる方が、4.5名は確認できるのですが、その後ろには、ひと気のない、はてしない闇が続いていそうです。その最前列からも、座布団が飛んでこないうちに、そろそろ再開。



       この半年あまりの間に、身近な人の幾人かを遠くへ送り、大小2.3の旅行もし、それ以外は、日常のこまごまとした雑事に追われながらも、暑い夏を乗り切り、今朝は乾いた気温20度を、肌に心地よく纏う。

       日曜日、午前7時。卓球の試合に出かける三男に弁当を作って送り出し、朝食の後片付けも済ませ、洗濯物も干した。
       ああ、日曜日!
       といっても自営業の今は、外に仕事を持っていた頃に比べたら、日曜日への期待度も格段に違いはするが、それでも、「ああ、日曜日!」である。
       天気がよければ、お布団を干そう、あれを片付けよう、これをしよう。いつでも欲張ったスケジュールは、結局半分も片付かないうちに一日が終わり、夕暮れには、やや落胆ぎみの「ああ、日曜日」・・・・なのだが、それでも、今日はお天気も抜群な、日曜の早朝なのだ。


         その子二十櫛にながるるK髪のおごりの春のうつくしきかな
       

       明け方まで無心にキーボードをたたき続けて、疲れきったうちの「その子」は、そのまま近くのソファーにごろんと横になったまま、今度は無心に眠っている。
       もちろん「その子」には、与謝野晶子に歌われたような流れる黒髪はない。いが栗頭の剛毛だ。
       けれどもこんな剛毛短髪にも、二十歳というだけで何ものにも比較し難い美が溢れていると、母は横で二十歳になったばかりの息子の寝姿をこっそり鑑賞する。このいが栗頭め。


       「はたち」という響きは、こんな日曜日の午前7時のように、やりたいことがいっぱいあって、あれこれといろいろな事が出来そうな予感がして、すがすがしい朝のよう。
       二十歳という時間が、一瞬に過ぎて行く躍動美であることに、たぶんその子は気付いていない。今、只中にいるその子。

       私自身も、そんな自覚のないままに二十歳の終わりに結婚して、二十二歳で「その子」を産んで、次々と子供たちと夢中に過ぎてきて、今、日曜の夕暮れの「ああ」のように、やや落胆ぎみの声で、遣り残した仕事をかぞえてもみる。あれもやりたかった、これもやりたかった、と。
       掃除・洗濯・食事の仕度、子らの訴えを聞き、叱り、励ましてここまで来、思えば母業もまた二十歳。

       日曜日の雑用を今日もこなす。月曜も、火曜も、水曜も・・・・
       飽きもせず、そうして平凡な日常をこつこつと重ね、とどまってなどいられない。
       こんな朝には、時隔てても尚せまりくる晶子の気概と、今そばに居る二十歳のその子の活力を少しわけてもらって、すがすがしい朝を我がものとする。ピュアな気持ちを思い出す朝。

      その子二十櫛にながるるK髪のおごりの春のうつくしきかな
                                  (与謝野晶子)


      平成14年8月25日




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