98年の最後に思う
この子がいなかったら、私こんな事にまで手を伸ばさなかっただろうに、と思うことのひとつが、深夜のチャット。
息子のまわりになんとなく出来あがったネットコミュニティに、ついしゃしゃり出て、近頃何となく日課のようになってる・・・・・・と言っても、私が高校生を相手にというのではなく、私と同世代の人達の中に龍司がいるというような状況。
大人の中にいても、違和感なく対等に渡り合えるのは、この子の特権? 不思議な性格。もっとも龍司は龍司で、若者の仲間にも応答しつつ、私達のところへも参加しながらプログラミングをしたり、たくさんのメールに返事も書かなくっちゃと、なんとまあ忙しいこと。
龍司のたくらんだ吉本家電脳化計画は着実に前進しつつある。ソフトのお膳立てをしてくれたのも息子ならば、そういうコミュニティの核となっているのも息子のような・・・・・・・知らず知らず彼の敷いたレールの上を走らされ、だんだん私もはまっている、このネットコミュニケーションの世界に。
龍司が遅いのでついつい私の寝不足もエスカレートするのだけれど・・・・・・何でこんないい年して、夜な夜なチャットに出没するのと自問自答。龍司に早寝を促すつもりがどうも・・・・二人してはまっている、ミイラとりがミイラとはこのことか。
同じパソコンを相手でも、仕事してる時のような構えでなく、完全にくつろいじゃって、打った文字が多少違っていようとそれも愛嬌。
それに最近各所で会議室やら掲示板も大賑わい。物々交換や井戸端会議のようなものから、政治論、経済論まで喧々囂々。メールを頂いて行って見ると、私のことを"フーチャン" などと呼んで、噂しているページまである・・・・・わおぅっ、すごい誉め言葉!
その人の出入りする他の掲示板にまで、「このページみてよー!」って書き込んでくれたよう。私は今までフーチャンなどとかわいらしく呼ばれたことがないので、なんだかお尻がむずむず。
私の産まれた当時は、電話ですら一軒に一台づつもない時代。うちは商売をしていたから、物心ついた時には黒電話でハンドルをまわして交換局にかけるのがあったけど、『呼出』という習慣があって、隣や、そのまた隣の用件まで、電話が来ると呼びに行って取り次いだりしてた・・・・・隣と言っても、都会の隣と違って、間に田んぼがニ、三枚あったりする隣。よっぽど緊急の用件しか取り次ぐこともなかったし、その緊急な要件などめったになかったのどかな時代。
線の中を声が通って行く事さえ不思議だったけど、今やその線もなくなった携帯電話などというものが一人一台。いわんや字を書いて遠くにいる人と瞬時に語るなんて。実際に話して伝える雰囲気とはまたひと味違う。これはおもしろいメディアになってきた。
このまま行くと、私達はパソコン少年ならぬ、パソコン老人になるのだろうか。各々家庭にいながら、囲碁や将棋はもちろんのこと地区対抗バーチャルゲートボールだとか、いやいや、どうせ座ったままやるのだからもっとアクディブな競技、アイスホッケーとか、サッカーリーグ戦とか・・・・・そういう対抗戦の召集も電子回覧板で届く。
興奮して心臓麻痺なんか起こさないように、ペンダントのようなものを身に付けておくと、異常が起きた時すぐかかり付けの病院の個人データと照合され、医師とコンタクトがとれる。血圧の変化に応じてメンバーチェンジの警告が下されるとか。
伴侶を亡くされて淋しい方はバーチャル恋愛。最近めっきり聞かなくなった、"プラトニック・ラブ" などという言葉も復活して、十代、二十代に戻った気持ちでどんどんラブレターなんか出しちゃって。足腰が立たなくっても大丈夫。老人ホームのベットの上で、パソコンに向かってひとりにやけているおじいちゃんなんて、ちょっと不気味?
しわくちゃな顔はそれなりに補正され、あらかじめ設定した年代の姿となって相手に届く。女性はお化粧品を選ぶように、より美しく見えるソフトを選択するのに余念がない・・・・・なんてことに。
おいらくの恋もあんまりお手軽に実現しては、おもしろくないのかなあ・・・・・
古来より、この国には素晴らしい書簡文化というものがあって、源氏物語の世界などはまさにそのやり取りが重要な構成になっていて、送る手紙のひとつにもその人の人柄がよく現わされている ――――― 紙の厚み、手触り、色、焚き染めた香の香り、墨の濃淡、余白の取り方、そういう隅々にまで気を使って送る大切な一通もあれば、実にそっけなく用件のみ伝える一通もあり、それぞれにその心の反映が面白いのですが、電話の発達が日本人からそういう書簡文化を奪ったかに見えていたのに、ここへきてまたEメールというものが、書いて何かを伝えるという、電話とはまた一味違う伝達の幅を広げた気配さえする。
筆不精の人には苦痛だった古い約束事をすべて取り払ったことで、『意を伝える』という原点に戻ったメールは二十一世紀の書簡としてどのように発達するのであろうか。
かつて、紙の色あいや手触り、香り、墨のにじみにまで表現しようとした心を、メールは新たな形でどこまで担うことが出来るのだろうか。言葉にならぬ思いを、行間から読み取ってよ、といった手紙独特の雰囲気は、廃れていくのであろうか。顔文字のような、新たなアイディアで、心の機微がやり取りされつつある。机上から机上へというダイレクトな面、時間を選ばす移動中でも読めるという手軽な点は、まださまざまな利用の膨らみが感じられる。
ホームページというものも、単に物の流通だけでなく、形のないものの流通に多いに威力を発揮している。振り返って、何かもの足りない情景を埋めたいような時、その『何か探し』をしたり、人が都会へ都会へと押し寄せ、高度成長のなかで、無価値と切り捨てていったもの、たとえば人と人とのしがらみとか、いたわりとか、趣味へのこだわりとか、もういちど拾い集めて探している。大切なのは、お金だけじゃぁなかったよ、って。
わずらわしい人間関係を合理主義の名のもとに排除してきたはずなのに、ビル風の中で心まで冷やした人たちが、逆にサイバースペースにぬくもりを求めているような・・・・・・現実社会の利害関係から開放されて、自然体で付き合える関係を手探りしている。
重い仮面を取り外して素顔になる人もあれば、逆に仮面をつけることによって、日常とは違う自分を演じる人もいる。
また、匿名という砦を築いて、ある一線ではかたくなに他を拒むやり方は、どこまで信頼関係を保てるのだろうか。掲示板で私のことが誉められていたから、これは素直に喜べたものの、逆に批判・攻撃にさらされた時にはどんなにショックか。人のページを渡り歩いて、波風をたてる事を楽しみとする人たちも現実に多くいることを、すでに各所で見聞きする。
知らなくていい情報を入手したばかりに、人生が大きく変わってしまうことだって起こりうる。巡り逢うはずのない人と巡り逢う不幸だってあるかもしれない。いずれこういうメディアが日常の中にもっと浸透して、あたりまえの事になってしまった時には、そういうものに左右される人生も、またあたりまえの運命と受け入れられるのだろうか。そうやって、電話も車も、みんな生活の一部として取り込んできたみたいに。
そう遠くない未来が電子機器の中にうずもれ、多くの情報が飛び交う中をますます多忙に動き回る事が、はたして本当に幸福に繋がるのだろうか。得るもの多ければ、また失うも多し。けれどけっして失いたくない、人が人らしくある暮らし。この便利さも今が黎明期、手探りの状況。
息子がホームページを開設したのは九十六年の夏。当初は検索したって吸い上げてくる情報も少なく閑散としており、あちらこちらで工事中の看板が目立っていて、まさに新地入植の感あり。
今ではホームページに工事中という看板も、すでに時代遅れの言葉のようで、わずかニ年と半年ばかりの間に、この世界もずいぶん様変わり。コミュニケーションのあり方が、大きく、そしてすごい速度で変わろうとしている手応えを今、感じている、このせまい私の机の上で・・・・・・
その九十八年もまもなく終わる。来年もつつがなく暮らせますように。素晴らしい出会いがありますように。いい年でありますように。
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