しあわせを感知するアンテナ
生活していく上で、毎日毎日本当に多くの人に支えられているのだけれど、感謝の気持ちをいつも忘れないでいる事はなかなか難しいね。自分ひとりで頑張っているような気になって、それでうまく行かない事が起きると、環境が悪い、社会が悪い、誰々が悪いと、自分以外の悪い理由を見つけたがる。
けれども・・・・・・むかつく、切れる、あったまくる、さらにその上に"超"とか、"すっげぇ"などという強調語まで付けて言うほど、世の中そんなに悪い事ばかりだろうか。
たしかに、思い通りにならない事は多い。不安の種も多い。お母さんにしてみれば、龍司達がなかなか言うことを聞いてくれないのも、"すっげぇむかつく"うちのひとつだし、この子らが生きていかなければならないこれからの社会も、いったいどうなることやら、予測のつかない時代のようで不安はつきない。暗い事件も多いしね。
でも、しあわせを感知するアンテナをしっかり立てると、少し気持ちが楽になりはしないだろうか。
"超ラッキー"な出来事や、"すっげぇ幸い"と思えるような出来事は、まずない。絶対にない。頑張ればいつかしあわせになれるなんて、そんな気休めはもう通用しないと、お母さんも思っている。
宝くじで一等が当たるとか、サンタさんがプレゼントを運ぶような大きな袋いっぱいに、どこからか、どさっとしあわせがもたらされる? いいや、袋の中にどんなに多くの金品が入っていようと、それはあくまでも物であって、しあわせとはほど遠い ・・・・・ なぜって、そういうものにはすぐ飽きてしまい、次にしあわせを得ようとするなら、もっと大きな袋でしか満足できないようになってしまうから。そうやってエスカレートして、どこまでいっても虚しいまま。
しあわせは、どちらかといえば封筒のような、ほんの小さな袋に入っていることが多いのだけれど、時には見過ごしてしまって気がつかないのかもしれないね。あるいはまた、微弱電波のように、頭の上を飛び交っていても、感度が悪くてなかなかとらえられないのかもしれない。
少し前の話になるけど、龍司のことが新聞に載った時、おばあさんを介して、おばあさんの青春時代からの友達で遠くに住んでいらっしゃる人から、手紙をもらったことがあったよね。
早くにご主人を亡くされ、一人息子さんも結婚して家庭を持ち、今は退職して、年取ったご両親と三人で暮らしていらっしゃる人。お母さんも小さい時から知っているし、龍司も以前おじやました事もあって、その手紙には、
―――― まだ小さかった頃、おばあさんに手を引かれいらして下さった時の、あのなんとも笑顔のかわいい坊やだった龍司君をありありと思い浮かべております ―――― 云々。
暗いニュースの多い中で、龍司の作ったソフトが好評を得ているという話題が、自分達の心を明るく楽しませてくれ、皆で喜びあったと、身にあまる感謝の文面。そのあとに、老父母の世話をしながら、気楽に余生を送るのが自分なりの大切な日々であり、楽しく笑顔で暮らせるよう心掛けていらっしゃる旨。そして、相田みつをの、
しあわせは いつも じぶんの こころが きめる
の書のコピーを同封され、私はいつもこの言葉を励みにしているというような事が書かれてあったね。
相田みつをの、太くて丸っこい、力強い字体と、それを送ってくれた人の、隅々まで心遣いの行き届いたやさしい手紙に、こちらこそ喜びを送られたとあらためて感謝。なんとありがたい便りであることか。
相田みつをの息子さんの書かれた、『父 相田みつを』と『書 相田みつを』を読んだのでまた思い出して、おばあさんからもらってあった手紙のコピーを読んで、益々その人のやさしさをかみしめていたところです。
今までの苦労にぐちひとつないばかりか、ご両親の世話を重荷と思う気持ちの微塵もないことが伝わる文面は、相田みつをの言葉にけっしてひけをとらない。
ありがたいと思うのは、龍司とはあまり近しい人でないこういう人までも、龍司に声援を送ってくれること。そしてまた、手紙に見て取れるこの人の生きる姿勢が、私達にも勇気を与えてくれること。これぞ"しあわせ"というべきもの。
お母さんはいつも、龍司に頑張れと言う。頑張れ、頑張れ、・・・・・・すると龍司はまたいつものボーっとした、ちょっと憎めない顔で、
「えーっ、何をこれ以上頑張れっていうのやよ。ちゃんとやっとるけどなぁー」
でも、お母さんから見れば、まだもの足りない。手抜きが多い。やんちゃくそぼうずだ。頑張りさえすればしあわせになれるなんて、お母さんはそんな保証はしない。一生懸命努力しても報われない現実はいくらでもある。でもこうやって遠くから、励まして下さる人もいる。龍司の頑張りをちゃんと見ていてくれるんだよ。龍司の話題で、ひととき、心和んでもらえたじゃぁないか。ありがたいことだ。
そうしてその喜びが小さな封筒に入って、またお母さんの元へ戻ってきた。サンタの袋より何倍もの大きさだ。それもこれも、龍司の頑張りによってもたらされた喜びだ。時にはこうして龍司に感謝もしておこう。だからね、やっぱりもっと、努力してもらわねば。
しあわせは いつも じぶんの こころが きめる
暮らし向きより何よりも、自分がどこに価値観を置くかによって、生活を楽しいと思うかどうか、苦しいと思うかどうか、しあわせと思うかどうか、決まるんだね。自分が決めるんだね。龍司も決めるんだよ。しあわせは、プレゼントのように、誰かから、ぽんと与えられるもんじゃない。自分で見つけて感じるものだ。人に与えられるものをあてにしてると、いつまでもそれがかなわない現実に、超むかついたり、すっげぇ腹たてたりしなくちゃいけない。
毎日毎日の暮らしの中で、ほんの少し、心がぬくもる程度のことでいい、見いだして、感じる努力をしよう。お母さんは楽な生活もしたいけど、こうやって、他の人の書いたものに感動したり、封筒や電子メールで送られてくるぐらいのしあわせには、もっとうんと欲張りでありたい。
しあわせを感知するアンテナをしっかり立てて、うんと感じ取ろうよ。みんなに支えられている。ひとりじゃない。このことがすでに大きなしあわせだ。ひとりじゃない。そう思うだけで、なんと勇気付けられることか。
『若いうちの苦労は買ってでもしろ!』とはよく言うが、まだ今ほどパソコンが生活の中に浸透していない頃に、小学生の分際で難解なプログラミング言語と、それができるパソコン買ってくれなどと、まさに文字通り高いお金出して苦労を買うような、こんなへんてこりんな息子持って、どうしょう!小学生が興味を持つような事にはぜんぜん無関心だし・・・・・と、ひとりふさぎ込む事もあったけど、このごろは、龍司がこうしてホームページを持ったことで、そのことが縁でいろいろな人と知り合いになることができ、オンライン、オフラインともに励まされ、あらためて、ひとりじゃない、と心強く思っている。人の輪が広がるというのは楽しいね。だから最近、まあこんな変わり者もいてもいいかな・・・・・と、ちょっと思い始めている。
龍司を見守ってくれる、多くの人がいる。このことは、忙しい日常の中でつい忘れがちだけど、お母さんにとっては、サンタの袋にもまさる大きなしあわせだ。そういうしあわせを感知するアンテナを、自分の中で錆つかせないで、いつも磨いていたいと思う。
龍司は、きっと競争社会の第一線に立つようなタイプじゃない。そういうところから一歩退いたところで、マイペースでこつこつと、もくもくと、職人気質ななりでいそうだ。
どういう道を歩もうと、人に憎まれるような人間でない、そのことだけはお母さんも確信している。そしてまた、一生懸命なにかに没頭し、それをやり終えることが、濃厚な享楽であるということを幼い頃から体験してしまって、それを模索しないではいられない性格だということも、わかっている。
人から見れば、なんとつまらない苦労だと思えるようなことも、龍司にとっては Enjoy life ――― 享楽なんだ。それが龍司の、価値観の置き所なのかもしれないね。
しあわせは いつも じぶんの こころが きめる
おばあさんの友達から送られたその言葉に、口数の多いお母さんは、もういくつか、相田みつをの言葉を添えて、そんな龍司に転送しよう。
生きていて
楽しいと思う
ことの一つ
それは
人間が人間と
逢って人間に
ついて話をする
時です
ただいるだけで
あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる
あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ
そんなあなたに
わたしもなりたい
つまづいたおかげで
つまづいたり ころんだり したおかげで
物事を深く考えるようになりました
あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました
何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました
だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして・・・・・・
身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いま ここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました
人のいのちの尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
人のいのちを ほんとうに大切にする
ほんものの人間に裸で逢うことができました
一人の ほんものの人間に
めぐり逢えたおかげで
それが 縁となり
次々に 沢山のよい人たちに
めぐり逢うことができました
だから わたしの まわりにいる人たちは
みんな よい人ばかりなんです
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