吉本龍司直筆原稿発見!
夏休みも終わり、不規則な生活もどうやら正常に戻ってほっとしているところ、一枚の原稿用紙を発見、中身は家庭の日にちなんで、自分の『家庭』について何か書くという国語の課題のひとつらしい・・・・・・
以下、全文掲載
家庭ということ
坂下中学校 三年 吉本龍司
家庭とは、生活をともにする家族のあつまりである。と辞書にありました。
でも、実さいは、その中にいるせいかよくわからない。
いままでは、ごくへいぼんな生活を毎日くりかえしてきただけだから、家族がいなくなったりしないと気がつかないのだと思う。
だから、いままでも、こういう感じのテーマの作文をまともに完成させたことはない。だから、そういうことに気がついたときに、もう一度かんがえてみたいと思う。
それに対する 国語担当の原先生の赤ペンの記述
親がいなくなったときに考えていては、おそいのではないかな。
ぜひ、今、考えて下さい。想像する。そのための材料は普段の生活の中にいくらでもころがっています。
おいおい、これが『二十一世紀情報社会を生きる』をまとめたと同一人物の作文か???
別のページでもちょっとふれたけど、本当にキーボードなしで、原稿用紙に鉛筆書きだと、このていたらく。く、く、く、情けない。
よーしそれでは親の生きているうちに、すこし解説しといてやろう。これでは安心して死ねやしない!
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入試や就職の時、自分の家庭について簡単に問われることがよくあるが、無難なまとめ方のパターンとして、まず一番に家族構成をあげる。両親や祖父母の場合、年齢まで説明する必要はないが、兄弟については、自分との年の差や学年くらいはあげておいたほうが、読み手に兄弟との関係がよりわかりやすく伝わる。状況を的確にイメージしてもらう材料をまず書くことが大切である。
題目と氏名とこの部分で、すでに原稿用紙の百五十字から二百字ぐらいは埋まるはずである。三枚も四枚も書くことを要求される時は家族それぞれの性格のようなことにまで触れてもいいが、一、ニ枚で仕上げる時にこれを始めては、家族紹介だけに終わってしまう。
この手の作文に要求されることは、単なる家族紹介ではなく、自分がその家族の一員として、どう暮らし、どうかかわっているか、ということなのだから、できれば、それを具体的に語れるようなエピソードをまじえて中盤を埋めていく。それは何気ない会話のひとこまでもいいし、家族にまつわる祝い事や事件でもいいが、たいそうに考えなくても、スナップ写真のような気軽さでとらえればよいのではないか。
最後に一番大切なのは、自分の考え、感想、心構えなど、ひとことでもいいから必ず入れる。これがないとしまりの悪い文になる。これでばっちし!
あとまあ、原稿用紙の使い方、段落わけ、句読点など今更説明するまでもないと思うが、それさえいいかげんでは話にならない。漢字を使うべきところは漢字で書くこと。同じ語、とくに接続詞や形容詞を一文の中で何度も繰返さないこと、背伸びして難しい言葉を使わず、自分にぴったりと思う言葉を選ぶこと。日本語としてのリズムをととのえること・・・・・
それから大切なことは、プラス志向で物事をとらえ表現すること。よく、何事も悪いように悪いように取る人 ―――― たとえば、家の中で物がなくなったりした時、「あら、どこかに置き忘れたのかしら?」と思う人と、「あら、誰か盗んだのでははないかしら!」と不安になる人がいるが、後者は自分の思考回路をますます暗い方へ暗い方へと引き回してしまう。
「僕にはそんなことは出来ないかもしれない」と書くと、もうその先がないような淋しい雰囲気に包まれてしまうが、「僕には難しいが、頑張ってみたいと思う」と書けば、なんだか活力が湧いてきそうだ。こういう気の持ちようというものは、書くことで心の中により決定付けられてしまうのではないだろうか。嘘でも頑張ってみたい、と書けば、その嘘はもう嘘でなくなって、頑張ってみよう!という気持ちになるだろう、ならないか?
よしんば、蜘蛛の巣だらけの部屋に二十ワットの裸電球ひとつきりしか灯ってないような、どうしようもなく暗い家庭があったとしても、それをそのまま書いてしまっては、救いようがない。ものは考えようで、たとえば、
『僕の父は、ひとつのことにねちねちねちねちこだわって口うるさいし、母親はいいかげんな性格というか、なにかにつけてルーズだし、それを父がまたいつもうるさく言って、家にいるとむしゃくしゃする、家にいても何もおもしろくないから、友達と外に出る』
という文章をプラス志向に変換すると、
『僕の父はどちらかと言うと何事にも厳格な性分で、逆に母はおおらかと言うかあまり細かなところにこだわらない。そこで時々喧嘩にもなるが、でこぼこコンビでなんとかやっているようだ。僕は友達も多いし、友達といるほうが楽しいから、最近では家族と過ごす時間が少なくなった』
こう変えただけで、どうしようもなくやり場のない思いも、どうにか爆発しなくて済みそうな雰囲気になってくる。書き言葉だけでなく、ふだんの会話もなるべく負のイメージのつきまとう言葉は避けたいものだ。これはお母さん自身への戒めもこめて・・・・・
「簡単に言うけど、そんなこと言ったって、どう書きゃいいよ」
と龍司のぼやく声が聞こえてきそうだ。お母さんだって、口で言うようにそう簡単にゃ書けやしない。
やっぱりひとつの文章をまとめるとなると、いろいろ悩むことは多い。何がそんなに難しいかって、自分の思いを素直に言葉にするということ、これが簡単にできないから、すらすらと書き進むことができない。自分の気持ちを素直に表現するということは、かっこよく体裁を整えて書くことより数倍難しい。
お母さんが中学三年生頃には、龍司に比べたらずいぶんましな作文を書いていたと思うが、(プログラミングは完全に負けたが、この点については、勝っている! 早くお母さんを追い越してみたまえ。と腰に手をあててふんぞり返る)それでも、この、「体裁を整えて書く」ということに懸命で、自分を素直に表現するということにおいては、てんでなっていなかった、と今にしてみれば思う。おいおい、これは本当に難しいことなのだよ、今だに手さぐり状態だ。
***
こういうふうに迷ったり、悩んだりする時、素晴らしい一文に出会うということは、とても勉強になるもので、プログラミングの技術書ばかり読んでいる龍司には、文学を味わう、という醍醐味はわかってもらえないかもしれないが、是非紹介したい作品がある。
丸谷才一という作家がいて、この人の頭の中には、古今東西あらゆる言語の辞書や論文がそのままデーターベースとして蓄積されているのではないか?すごいチップが埋め込まれているのでは?と思うくらい、知識人で、しかもユーモアのセンスも抜群で、魅力ある人。小説だけでなく、書評や論文を数多く書いておられが、これがまた楽しい。
その丸谷才一氏のデーターベースを持ってして、名文中の名文と推する一作。
佐藤 春夫の 『よき友』
(二千字たらずの小品なので、ここだけは速読せず、しっかりと読んでほしい)
私の交友は誰々かとお尋ねになるのですか。貴問は私を怏々とさせます。私には友達といふものがないからです。それは私の孤独な、人と和しがたい性格から来てゐるのでせう。どうもさうらしい。
考へて見ると、私には少年時代の昔から友達といふべき者はなかつたやうな気がします。私が十二歳の時、私はちやうど、今日貴社から与へられたと全く同じ質問を、小学校の先生から与へられたことがありました。その時も私は今日と同じやうな不愉快を感じました。
その時先生の質問といふのは、生徒たちの学校外での生活を知るために、各の生徒たちが持ってゐる友達を五六人数へ上げよ、といふのであつた。雨の日の体操の時間で、雨天体操場などのあるべき筈もない田舎の小学校では時をり、そんな機会にそんな事をする時間があつたのです。先生が紙をくばつてくれると、生徒はそれへ返答するのです。人に見られないやうにと肘でしつかりと囲をして、それぞれに小さな頭と胸とを働かせながら書くのです。割合に自由な時間なので、いつもこんな時には、私は楽しかつたものです。一番好きな歴史上の人物は誰だとか、或は誰でも教壇へ出て面白い話をしてみよとか、つまり雨の体操時間といふのは遊びの時間だつた。それだのに、その日は何だか試験の日のやうに緊張した感じがあつた。私はといふと、試験ならば即座に答へてしまへるものを、この日のこの質問には本当に悩まされた。答へようにも私にはひとりも友達らしいものはなかつたからである。
しかし、ひとりも友達がなかつたと言つて、私は人に馬鹿にされて相手になつて貰へなかつたのではない。却つて私は人に畏れられてゐたのである。私は大人びた子供で学科も不出来ではなかつたし、私の家は医者だといふので田舎町の純朴な人たちは尊敬してゐてくれた。さういふわけで、小さな我々の仲間までが、私をへんに畏敬する風があつた。それに私は、いつもひとりで遊んでゐる無口な子供ではあつたし、誰も用事の時の外には、気軽に口を利いてもくれなかつたのである。それを、私はふだんは大して不幸にも思つたのではない。しかし、今日かうして、お前の友達は誰々だと問はれると、直ぐに答へ得る名のないのを淋しく思つたのです。その上、私は先生に向つてきつぱりと友達はひとりもないと書くことは出来なかつたのです。どうしてだか知りません。いろいろと考へた末で私は、教室に於ける自分の座席のぐるり四五人の子供の名を順々に書き並べたのです。何故かといふのに、その子供たちが、さういふ位置に置かれた自然の関係として、自然と、最も多く私と口を利く機会が多かつたからでした。
その時間が過ぎてしまつて、自由な時間が来た時、子供たちは、今のさつきの先生の質問をさも重大な事件のやうに話し合つてゐた。彼等は皆、人々に、俺はお前のことを書いたといふやうなことを言ひ合つてゐた。しかし、私に向つてそんなことを言ひかけた者はひとりもなかつた。すると、いつものやうに黙つてゐる私のところへ来て、ひとりの子供が話しかけた ―――
「あんた。誰書いたんな?」
その子は快活な口調で言つた。それは教室で私のすぐうしろに居た子供であつた。きさくな性質で、気むづかしげな私に対しても常から最も多く口を利いてゐた。彼に対して私は答へた ―――
「おれはあんたの名を書いたんぢや」
その答へとともに、彼のはしやいでゐた顔は一刹那にがらりと変化した。しばらく無言だつた彼は、やつと私に言つた。―――
「こらへとおくれよ。なう、わあきやあんたをわすれたあつた。わあきやあ、ぎやうさんつれがあるさか」
二十年を経た今日、彼のその言葉を、私はそつくりとその田舎訛のままで思ひ出す。さうして私は彼のこの正直な一言に、今も無限の友情を見出すのです。ひよつとすると、これが私のうけた第一の友情ではないかとさへ思はれるくらゐです。
貴問に対して私は、仮に三四の名を挙げることも出来るでせう。しかし、その人たちが数へ上げた名のなかには私が無かつた時に、彼等は私に対して、果たして、
「恕せ、友よ、予は君を失念しゐたり。予は多くの友を持つが故に」
と、さうはつきりと私に言つてくれるだらうか。どうも覚束ないやうな気がするのです。
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或る時、私は、或る雑誌社から『吾が交友録』といふ題で一文を求められた時、それに答へようと思つて以上のやうな文を書いた。しかし、あまりにひねくれた言ひ分だと人が思ひはしないかと思つて、書いたままでそれをまるめて、屑籠のなかへ入れてしまつた。
かなづかいは原文のままに、旧漢字は新字体に変換して掲載
昭和五十二年丸谷才一『文章読本』 第二章 名文を読め(中央公論社)より
原文出所は昭和四十四年 佐藤春夫全集第十一巻(講談社)とあり
書いた本人が大作家で、推薦人がこれまた一流となると、お母さんが解説するまでもないが、龍司にはさらに噛み砕いて説明しなければなるまい。
原先生が赤ペンで書いておられた、―――― 材料は、普段の生活の中にいくらでもころがっています。―――― このことをまさに証明しているではないか。
舞台は、はでなしかけもなにもない、雨の日の教室のひとこま。こんな大作家でさえ、学校生活の中の見過ごしてしまいそうなゆれる心のひとこまを題材にもってきている。
そこでの自分の置かれた立場を読者に的確にイメージさせるための無駄の無い歯切れのいい状況説明。友達付き合いに関しては一歩気後れした、作者の正直な心情の吐露。友達の表情の描写。淡々と語られる地の文に対して、方言の挿入が、田舎の少年の裏表ない純朴さをいっそうきわだたせている。
古い話ではあるが、ひょっとしたら、こういうふうに、今一歩踏み込めない友情関係への迷いや悩みは、複雑になった現代の中学生の方が、もっと多くどろどろしたものを抱えているのではないだろうか・・・・・そういう意味で、これは今読んでも決して古臭くなく、じーんと伝わってくるものがある。のではないか? おいおい、龍司、眠るなよ。
雨の日の、先生が気まぐれに出した課題にまつわる何げない一個人の思い出を通して、思春期の子供にありがちな、普遍的な迷いや不安を、さらりと書いたところに、やはり文豪たる技がさえる。何よりも、自分の気持ちを素直に書くという難しいことが、しっかり細かく出来ている。と、丸谷氏の推薦にも納得。
***
こんなすご技を、いきなり龍司にまねろ、とは言わない。でも、龍司のあれは、ちょっとひどかぁないか?――― そういうことに気がついたときに、もう一度 かんがえてみたいと思う。――― だって・・・・・
その場しのぎの言い訳を書いたに過ぎない。それにしても書き直しを命じられなかったとは、先生はなんとやさしいことか。(言っても無駄だと悟っていらしたかも?)
本当言って、龍司がこういうテーマをどうとらえ、どういう言葉で表現するかとても興味があった。もし書いていたなら、家に持って帰って、目に付くような所にほっぽっておかないだろうし・・・・・どちらにしても謎である。
龍司にとって、多分キーボードに向かった時は武装した状態であり、得意な分野だから、ある程度自信を持って書き込んでいけるのだろうが、鉛筆に持ち変えた瞬間、裸になったような気持ちで、きっとおどおどしてしまい、てれとためらいで一歩も動けなくなるのではないだろうか? 殻をぬかれたでんでん虫みたいに。
恐れることはない、そのままの弱い自分を素直に書くだけでいいんじゃないかな。背伸びするから書けない。未熟な文章でも素直な気持ちが伝わればいいではないか。字がへたくそだとか、原稿用紙の使い方がまずいだとか、文法的におかしいとか、こういうことは、受験のためにはちょっとやばいが、自分をしっかり見つめるという意味においては、素直に綴るということが出来ただけでも合格点をあげたい ――― とお母さんは思う。
(お母さんだって、こういう文章を先生に添削してもらったら、ずいぶん間違いを指摘されそうでこわいから、ちょっと言い訳のつもりで・・・・・)
自分の気持ちを素直に表現するということは、かっこよく体裁を整えて書くことより、数倍も難しい。でも、人に何かを伝えるために、あるいは、自分を人に理解してもらうためには、この難しいことでも、くらいついてやらなければならない時が、長い一生のうちには何度かある。そういう時のために、今から少しづつでも、気持ちのこもった文章が書けるようになってほしいな。てれず、きどらず、ためらわず。
言葉をおぼえる ―― 文字をおぼえる ―― 文字を書く ―― 文章を書く ―― こころを描く ―― すなわち自分をみつめる。お母さんの場合、このあとに「恥をかく」がつくかもしれないが・・・・・
お母さんは今、他人でなくわが子に気持ちを伝えるため、一生懸命ない知恵を絞って書いている。恥をかいてもいい覚悟で!
わが子のための作文講座 補足
漢詩の絶句に起承転結という組立ての決まりがある。必ずしもこだわる必要はないが、文章もとくに少ない枚数でまとめなければならないような時は、このことを念頭において書くと、すっきりとまとまりやすい。あるいは、序論、本論、結論でもいい。
お母さんも普段は思いつくまま、だらだらと書いてしまってあまり意識したことはないが、今回は、いかに龍司に文章の組立てを理解してもらうかに苦心し、まずこの起承転結に沿って書いてみた。
***のマークで区切ったところが、それぞれ起・承・転・結・の境目である。
まず、『起』であるが、これから何について書くのか、どういう経緯でこの文章をかくのか、というような事を書けばいいのだが、龍司の場合の、
『・・・と辞書にありました。でも実際はその中にいるせいかよくわからない。』
という書き出しのくだりは、読み手を本文の入り口まで導いてくるという目的は達成されているから、まずは合格。
お母さんの場合では、あまりにもふがいない息子の作文を見て、これでは情けないから、よっしゃ、いっちょうもんでやろう、という気になったことを宣言したところが『起』である。
『承』あるいは、『本論』では、起をうけて具体的中身について書き進めばいいが、龍司の場合はこれがぜんぜん抜けている!入り口まで案内されたのに、すぐ出口から押し出されたようなものである。
お母さんはここでは、文章を書くにあたっての基本的な注意事項をあげたつもりであるが、そのへんはプロではないから、間違っているかもしれない。こういうことを普段の授業の中で先生にしっかり教わってくるように。
『転』はその字のごとく、話の流れを転ずることによって、内容に厚みをもたせたり、文章をだらけさせない効果もあげる。この場合、中学生に身近に感じてもらえそうな例文を引用することによって、より具体的に、作文を書くきっかけやこつを理解してもらいたかったわけであるが、龍司にその効果が期待できるかどうだか・・・・・
『結』もその名の通り『むすび』『結論』、ここまで読み進んできて、作者がいったい何を言おうとしているのか、さっぱりわからないような文章は不合格。なぜそうなるかというと、作者の思い、願い、決意などが書かれていないか、あっても押しが弱いため、理解されるに至らない。文章が複雑になればなるほど、最後に簡潔な一言で締めるよう心がけることが肝心。
お母さんは『結』に至ってもまだ、だらだらまわりくどい事を書いたようであるが、これはあえてこのまま悪い見本としておこう。親とは、こういうふうに余分な事をくどくどとうるさく言うものと相場は決まっている。要は、不得意な分野だといって尻込みせず、てれず、きどらず、ためらわず、しっかり自分を見つめてほしいという事が言いたかった。国語に限らず、ほかの勉強や生活全般についてもしかり。文意が伝わらなかったとしたら、お母さんの力量不足だが。(ああまたくどいことを言おうとしている・・・・)
以上が起承転結というひとつの構成方法である。が、本来、文章は山あり谷あり、二転、三転するところに、おもしろみがあり、それが個性である。のびのびと自由に書いてみなさい、中身のある文章を。
これは、一見親切な作文講座の形をとっていますが、いわゆるひとつの、マルチメディアを応用した、我が家における『インターネット説教』なるものの試作版であります。直接言おうとするとすぐ逃げられて、こう多くは語れないのですが、パソコンというものをひとつのクッション材にして、『情報は世界をかけめぐる』ふりをして、発信元にいちばん響けばいいかな・・・・と。
けれども『灯台下暗し』ということわざもありますし・・・・
只今試験運用中!
(インターネットの新らたな利用法を考える会坂下支部母親部会!?)
平成9年9月8日