発刊にあたって
私が吉本龍司君に初めて会ったのは、三年前、中津川市で行われた岐阜サマーサイエンススクールの会場であった。少し眠たそうな顔を見ると、噂に聞く天才少年とは思えなかったことを覚えている。
龍司君については、彼の通う学校に私の同級生が勤務していたため、話には聞いていた。その話によると、小学生の時からパソコンに興味を持ち、本文にも出てくる「カブトムシの研究」を手がけ、孵化には失敗したが、それに関するプログラムを作成していたようである。中学生になり、現在のホームページの元になった「情報化社会」についての研究に取り組んでいたが、パソコンだけでなく多種多様の知識を豊富に持ち合わせていたようである。国語の時間には、彼独特の考え方による、とてもユニークな発表がされていたようだ。いつもにこにこしており、卓球部でもある程度の力を出していたということであった。 しかし、実際にこんな理想的な学生であれば、お母さんが彼の成長をこれだけ長く書き続けることはなかったと思う。
龍司君のことを一言でいえば、「面倒なことが大嫌いな少年」なのである。プログラミングなどという大変面倒なことをしているにもかかわらず、生活面では、作文は面倒くさい。布団まで移動するのが面倒くさい。受験勉強は面倒くさい、という具合なのである。数学の宿題が溜まっていても一向に気にしないため、私の方が気になり、協力したこともあったが、本人はいたってのーんびり。
こうなったのは、明らかにお母さんの今までの教育方針によるものだが、お母さん自身は認めようとしない。まったく楽しい家族である。
そのうちに、吉本家の暖かさと、私のずうずうしさが重なって、お家に何回もおじゃまをするようになっていった。私だけではない、なぜか龍司君の周りには人が集まってくる。電気屋さんの店員さん、お世話になっているプロバイダの社長さん、話を聞きつけた学校の事務官など、気がつくととても多くの人が集まっていた。それに加えて、時には龍司君の提案によるチャット大会まで開かれていた。常に龍司君中心に動いていた。とうとう勝手に「龍司君を囲む会」を作り、飲み会まで開いてしまった。本文にもある新年会もその中の一回である。
再度確認しておくが、こんな魅力のある龍司君になったのは、間違いなくお母さんの影響である。龍司君の成長の中に、自分の生き様を重ね合わせ、「たわごと」を書きつづけこれだけの量になったのである。のびのびと育つ龍司君を見つめながら、忙しい生活の中でも自分を見失わないように、こつこつと書いてきた。しかも、おもしろいのは龍司君自身が彼のポームページ上で、ひとつの読み物として、これを公開していることである。 そのため、最近は龍司君だけでなく、お母さんのこの「母のたわごと」にも関心が集まってきた。新聞社や雑誌社が龍司君の取材に来ると、「母のたわごと」の話もしていくことが多くなったようである。
とてもうれしいことだ。「今の子育て」とか、「最近の教育」とか、「理想の親とは」などと難しいことは考えずに、ただただ気楽に読んで頂きたい。読んだ後に、「なるほどね」「そういうこともあるなぁ」などとうなづいたり、ほんわかとした気持ちになれる、なんと言っても、楽しい家族の楽しい話なんですから。
中津川市立落合中学校教諭
岩腰 清
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