『走れメロス』
このページに、検索エンジンを利用して来た場合、どこの検索から、何という語を入力してここにたどり着いたかという事が、龍司の細工でわかるのですが、夏休みが始まる頃から、この、『夏休み』という語での検索が多くなります。八月になると一層増え、『夏休み+宿題』とか、『夏休み+一研究』、『夏休み+作文』、八月も後半になるとその数もピークに達し、親があせっているのか、子があせっているのか、インターネットを駆使して宿題に追われている様子が見て取れます。
日本全国いずこも同じ、ひーひー言っているのは我が家だけではなかったわい。龍司も、厖大な量の数学など、盆を過ぎても手付かずだったけど、強力な助っ人(チャット仲間の数学の先生)のお力添えもあり、どうやら滑り込みセーフで終わったようだし・・・・・・あれれ、今ごろになってまだ、『夏休み+宿題+読書感想文』などといってアクセスしてきている人もいる・・・・・・間に合うんだろうか? などと、対岸の火事よろしく、よそのお宅を心配していたら、足元に火がまわっていた。
明日からニ学期という日の前夜、しかも午後九時。次男がとぼけた声で
「おかあさーん、読書感想文、手伝ってぇー」
あほー−−ーーうっ、そんなもん手伝えるかーーーーーっ!
「もう、時間ないで、すぐ読めるやつしかダメなのよ、
それで・・・・・・国語の教科書にある『走れメロス』読んで書く事にしたんやけど・・・・・字が読めーん!」
むむ、この期に及んでなにをぬかすか、不埒なやつめ、打ち首獄門、覚悟!
(エサをねだって媚びふる犬のように、細い目をいっそう細めちゃって)
「わからん字のほうが多いで、読んでほしいのよ。自分で読むと意味わからんし、もう時間ないんやてぇ・・・・・」
ありゃりゃぁ、情けなくて、振り上げた名刀もぐにゃっと曲がってしまうわい・・・・・・・・自分で読みなさいよ。
「 『走れメロス』
メロスは・・・・・・メロスは・・・・・・
その次がもうわからん」
激怒!
メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。――――
お母さんは情けなくて、激怒する気にもなれない・・・・・
「あれっ?・・・・・お母さん、なんで本見ずに読めるの?」
あたりまえじゃ、走れメロスの冒頭ぐらい、誰でも覚えてる!
『我が輩は猫である』と同じくらい、一般常識よ。
「じゃぁ、その次言ってみて?」
そんな先まで知るか!
しかたない、どれどれ、読んで進ぜよう。
ということで、幼児に読み聞かせるように、突然の朗読となったわけです。
次男は目の前に原稿用紙を広げ、鉛筆を握り、まるで神事で投げ餅をする前の祝詞(のりと)を聞くように、神妙な面持ちで聞いておりましたが、実のところいかにして餅を拾おうか、いかにして感想文を書こうかの算段に気を取られている様子。おいおい、こういうのは細部にこだわらず雰囲気に酔え!
それでもせっぱつまればなんとかなるもので、聞き終えると一気に書きあげ、一応感想文の体をなしてはいたが ――――
僕ならこんな苦しい思いをしてまで友達を助ける事はできないのですごいと思った―――― というような調子。
私ならちょっとひねくれて ――――
警視庁や防衛庁の中にさえ、不正を働くやつがいる今の世の中では、こんなメロスの正義感は、絵に書いた餅だ、おまけに黴まで生えている ―――― と書くかもしれない。
その夜は宿題の手伝いに恩をきせたが、実のところ懐かしさにひかれて、メロスなら読んであげよう、という気になったのです。空んじた一節が教科書にピタリ合って、次男の細い目が一瞬丸くなった事に、気分を良くしたのも事実です。
私達の頃も教科書にあった、あの『走れメロス』を、私はあまり好きではありませんでした。
“太宰らしからぬ作品”という印象で、太宰治はあくまでも、うじうじめそめそ、女性的な文体で“生まれてすみません”と言ってるほうが似合ってる。こんなにさわやかに正義や友情を語るべきでない・・・・・と、当時そこまでませた考察でいたかは疑問ですが、なんとなく偽善めいて好きではなかったのです。
ところがかなり後になって、壇一雄の作品、『小説 太宰治』の中で、愉快でならない事情に出会って、胸のすくような思いで、この『走れメロス』を読み返した事を覚えています。
それは、友人太宰を回想する形で綴られているのですが、ある時、執筆のため熱海の旅館に逗留していた太宰であったが、良くない生活をしているやも知れぬ、資金もつきる頃だし、行って連れ戻してきてほしいと奥さんから頼まれた壇が、旅館の支払にこと欠かないようにと、幾らかのお金も預かって行ってみると、太宰は大喜び。帰るどころか、壇を引き止めて一緒に飲み歩き、とうとう全部使い果たして、飲み屋の付けやら宿の支払も出来ないので帰るに帰れない。
そこで太宰は、東京にいた文学の師、井伏鱒二に頼んで、お金を借りてすぐ戻るから、それまで壇に人質となってここで待っているようにと言い残して東京へ向かう。
ところが数日待っても音沙汰なしで、とうとうしびれをきらした壇が、宿屋や料理屋には事情を話して支払を待ってもらい、井伏鱒二の家にかけつけてみると、二人は呑気に将棋をさしていたという。人の心配を顧みない太宰に、壇こそ、激怒したかったに違いない。
太宰の心情としては、それまでも散々迷惑をかけてきた井伏に、このうえ借金の申込みもおいそれとできず、切り出すタイミングを逃して迷いあぐねていたようで、その時の太宰の言葉が、
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」
壇一雄の、これもまたぐっとくる文章である。
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