• ネット上の人格



       年末年始にかけてインターネットがらみの犯罪が目立ったので、ニュース番組などでメールやチャット、掲示板の説明を耳にすることが多かったのですが、こういう問題に関心を持つ龍司としては、いちいち持論をコメントしつつ私と一緒に見ておりました。匿名といってもどこまで身元を追求できるか、犯罪捜査はどこまで可能かなどなど、こういう時の龍司はあまりにも饒舌。うるさいうるさい。
       オフラインとオンラインの人格を完全に使い分けている人、年齢を変えている人、中にはおじさんがOLになったりと、皆さんいろいろな楽しみ方があるようで・・・・・・でも男性の方、気をつけた方がいいですよ、若い女の子と何通もメールのやり取りをして、かなりいい線まで行って、やっとの思いで実際に合う約束を取りつけて楽しみにしていた矢先、捻挫をして歩けないとか、親戚に不幸があって急に行けないとかいうことがあったら、少し疑ってみる必要があるようです。夢にまで見た彼女は、実は男かも知れないと・・・・・それで最後は、お父さんの転勤で海外に行かなくてはなりません、電話も電気の供給も不安定な所です・・・・・などとなったら、それはもう完全に男性です。
       きわめつけは、――――― 明日旅立ちます。お別れを言うのが辛くて辛くて、今までお伝えする事が出来なかった私の気持ちを察して下さい、これが最後のメールです ――――― うぅっ、もうなすすべがない。いい夢を見させてもらったとあきらめるしかない。次の日には彼女、いや彼は、父の転勤で海外から帰ったばかりの少女にでもなって、また他の誰かとやっているかもしれません。

       で、龍司ですが、ネット上では別に身分を隠しているわけでもないし、とくに大人っぽく見せようとしているわけでもないのですが、案外高校生ということが知られてないらしい。とくに雑誌のオンラインソフトの紹介などを見て、最新版をとりに来たような人は余分なページを見ないから、トップページやソフトのイメージだけで判断されるらしく、始めてメールを下さる時は、非常に丁寧な、敬語の多いメールがあったりするのです。
       その後何度かやり取りするうち、今日は大雨洪水警報が出て学校が休みになったので・・・・とか、学校行事が忙しくて・・・・・なんて書いたりしたのを見て始めて、えっ、いったいこいつは何者なんだと、あらためてプロフィールを見に来るという事が多いらしいのです。
       メールにしたって、なんだかおじん臭い言いまわしが多かったりして、ちょっと年齢不詳のところがあります。
       弁護するわけではありませんが、ホームページの中の龍司もけっして偽りではなく、日頃の会話も妙に分別臭い、達観したような言い方をする時もあり、ホームページのクオリティについてもかなりこだわりを持っています。が、外見はどこから見ても、高校生そのまんまであります。いいのか悪いのかわかりませんが、そのアンバランスが龍司らしさだと思っています。

       けれども、実際に本人を知る人たちは、皆さん口を揃えておっしゃいます。
      「こんなやつが、このホームページを作っているとは絶対思えん!」

       インターネットを通してご縁のある近隣の方々に、お正月我が家に集まって頂いて、新年会をしたのですが、その席で、でんと座ったきり少しも私を手伝う素振りを見せない龍司に、
      「おまえは、ほんとうに何にもせんやつやなあ・・・・」
      と言われ、
      「そうなんですよ、今日朝起きてした事と言えば、顔洗って、服着替えたくらいなんです・・・・」
       と私が答えて、ふと龍司を見ると、なんと、そのトレーナーがどうもおかしい・・・・・後ろと前が逆なんです。言われてあわてて、にやけた顔で袖を抜いて前と後ろをくるっと交換した龍司でしたが、正直私のほうが恥ずかしかった!
       おいおい、今どき幼稚園でもそんな着方した子は見かけない。でもまあ良かった良かった、ここで失敗しておけば次からはちゃんと気を付けるだろう・・・・・
       大江健三郎さんもおっしゃっている。

        『家庭というところでは、失敗を通じての謙譲の徳というものを柔らかに獲得することが出来る。もう一度言いますが、日常生活の中で、お父さんやお母さんが、子供に教えてあげることの中心にあるのは、注意力ということです。・・・(中略)・・・両親はね、子供との関係において、自分の注意力の不足、謙譲の足らなさをしばしば、ゾッとするようにして自覚するんですよ。
         家庭とはほんとうに私達が安心して失敗することの出来る場所。失敗してもそれで迷惑をかけた相手に憎まれないというか、その上であらためてお互いに和解し合うことのできる場所、その基本的なモデルです。』と。

      『あいまいな日本の私』 ( 「家族のきずな」の両義性 1194・11・26上智大学講座)
      岩波新書

       まさに、ゾッとして自覚させられたね。でも良かった良かった、皆さんに新春の初笑いをしてもらえたし、お笑いの吉本だもの、サービスギャグだよね、そうだよねーえ、知っててわざとやって、早く誰か突っ込んでくれぇーって、待ってたんだよねえ・・・・

       物事は時にこうやって楽観的に捉える事も大切な事、と自分を慰めている母であった。

       で、私はと言うと、ひょっとしたらこの場で人格を偽って、よき母親役を演じようとしているのかもしれない・・・・などと思う今日この頃。

       こんな息子ほかっておいて、私もネットに身を漂わせ、都会の高層マンションの最上階にでも住む、ちょっぴりわがままで、そして妖艶な水商売の女とか、はたまた、右も左もわからない清純な乙女にでもなって、男心をくすぐってこようっかなぁーっ。
       でもこれじゃあ、見捨てる訳にはいかないか。忙しい忙しい。たよりない息子に注意力を与えるため、人格に偽りありと言われようが、もうしばらくこのスタイルで書き続けなければ。
       お洋服はね、あきが深くあいている方が前で、タグが付いていたりしたら、それが後ろなんだよ・・・・・・・・


      平成11年1月20日




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