私にいつまで勉強させてくれるの?
卒業まであとわずか、ここまで来たらパソコンはちょっと脇へ置いておいて、ひとつ本格的に勉強に専念して・・・・・・などと言っても、とうてい聞き入れるはずもない龍司。
この子には昨今の中学生が口にする、『キレる』とういう感覚もないらしく、頭の中は、今興味を持っているネットワークプログラミングの事や、ユーザーから届いた改善依頼の方策などが、スロットマシンのように目まぐるしくぐるぐる廻っていて、ふとした何かのきっかけで解決の糸口が見えると、勉強中であろうが、テスト前日であろうが、どどどっと指先からはけて出るような生活。プレッシャーがかえって良い引き金になってたりして、
「こういう時間のない時にかぎって、いいアイディアが浮かぶのよ」
と満足気。
不安な私の気持ちは、私自身で処するしかないと、最近また啄木を引っ張り出してきて読んでみる。
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
たとえば今どきの子が好きなCDを四六時中聞いて過ごすように、
「私は中学三年生を石川啄木の一握の砂で過ごした」
などと言うと、自分があんまり古臭い人間のようでちょっと照れるけれど、また、けっして暗くてまじめ一辺倒の生活でもなかったけれど、読み始めたらすっかり取り憑かれたようになって、三年生の後半はかなり啄木に染まってたような気がする。
“言葉”というものがいきなり心臓をつかんで、ものすごい力でゆさぶりをかけてきた、というような感覚。出会うべき時、出会うべくして会ったという一冊で、以来後にも先にも、あんな不思議な感覚で読んだものはなかった。もしそれより前に手にしていたなら、おもしろくないと投げ出していたかもしれないし、今読んで同じ感覚を味わえるかというとそうでもない。大人になってアンテナが鈍感になって激しくは響いてこないけど、少なくとも、十五才の頃のことなど思い出させてくれるかもしれない。そんな気持ちで、啄木歌集をかたわらに置く。
砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日
いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
しつとりと なみだを吸へる砂の玉 なみだは重きものにしあるかな
大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり
飄然と家を出でては 飄然と帰りし癖よ 友はわらへど
浅草の夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心
ある朝のかなしき夢のさめぎはに 鼻に入り来し 味噌を煮る香よ
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
己が名をほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへる術なし
不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心
夜寝ても口笛吹きぬ 口笛は 十五の我の歌にしありけり
自分がどうにも思い通りにならない漠然とした不安、保育園の時から同じ仲間と、同じ小学校、中学と生活してきて、長年の気楽な付合いも卒業と同時に離ればなれになる一抹の淋しさ、勉強のこと、将来のこと、そんなもろもろの不安な気持ちを誰もがみんな感じていた。
木造のおんぼろ校舎の教室で放課後、男の子も女の子もみんなすぐには帰らないで、ストーブのまわりでおしゃべりをしていた・・・・・
ラジオの深夜放送を聴くために夜中起きる子、前夜の内容を必ず語り復唱してた。いつもアイドル歌手の歌を四、五曲も歌ってから帰る子。黒板に漫画を書くのが日課の子。床下に通じる秘密の通路、といっても、釘がばかになっている床板をはがして、そこへもぐって変な雑誌をひっぱり出してきて見てるやつ。思えば、今どきの週刊誌の表紙ほどの刺激もないようなものに喜々としていた・・・・・宿題を教え合っている子もいたし、けんかしている子もいた。たわいない毎日。
「おい、勉強しとるかよ?」
「あんまりしとらん」
「お前、もういいかげんに告白したらどうやよ。
俺それとなく聞いてやろか?」
「いらんことするな、黙っとれ」
「なんかこう、思いっきりわーっと叫びたくなる時ない?」
「そうそう、思いっきり、わーってね」
黒板の隅に、〈卒業まであと〇〇日〉と書いてあり、その数がだんだん少なくなっていった頃。ただなんとなく、そんな雑然とした空気を小一時間も吸うと、みんなそれぞれ帰ってゆく。そんな会話のやりとりに少しは癒されていたような・・・・・
満たされない思いや抑圧されている感覚は、現代っ子ばかりでなく私たちも持っていた。けれどもそれを激しく外にむき出したりはしなかった・・・・・
テレビのインタビューで語る中学生、
「ナイフを持っていないと不安。護身用だよ。
世の中、やばいこと多いから。誰も信じられない、
ムカツク、メッチャムカツク、友達も先生も」
なぜだろう、いつからこんなになってしまったんだろう、子供たちの生活。
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊まりし宿屋の 茶のぬるさかな
よりそひて 深夜の雪の中に立つ 女の右手のあたたかさかな
よごれたる 足袋穿く時の 気味わるき思ひに似たる 思出もあり
さりげなく言ひし言葉は さりげなく君も聴きつらむ それだけのこと
かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど
真白なるラムプの笠の 瑕のごと 流離の記憶消しがたきかな
山の子の 山を思ふがごとくにも かなしき時は君を思へり
手套を脱ぐ手ふと休む 何やらむ こころかすめし思ひ出のあり
自分の中の、どうにもならない不安や焦りは、薄い膜ひとつ隔てて、啄木の歌と共鳴するところがあり、しかし、啄木のそれはもっと深く救いがたい広大な苦悩の海のようで、自分のことなど取るに足らないちっぽけなことと、すこし気が紛れた・・・・・・・
私は、雑然とした教室の中で、時々おどけた会話に加わり、また時折は、そんなみんなをぼーぅっと眺め、こんな時間がもっとずっと続けばいいと思っていた。
十四の春にかへる術なし・・・・・・十四でなく、十二くらいに戻りたかった・・・・・ 早く大人になりたくなかった。
自分に自信が持てなくて不安だった・・・・・・・
ため息をつきながら、心の中で啄木の歌を繰り返した日々。
あの頃読んだ歌集は、そんな事など思い出させてくれる。
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テレビはあいかわらず、評論家のどうどうめぐりのコメントと、似たりよったりでぶっきらぼうな子供たちの声、批判、批判、どっちをとっても批判ばかりで解決の糸口が見えない。
別の番組でバングラディシュの十五才の子が、親に問いかける映像。
「ねえ、お父さんとお母さんは、私にいつまで勉強させてくれるの?」
「いつまででもさせてあげたいが、お金がね・・・・・」
貧しくて公立の学校に行けるのはわずかで、多くはボランティアのトタン張りの小屋のような学校で、小さな黒板を使い廻して学んでいるという。その目がみんなとても輝いて美しい。
「私にいつまで勉強させてくれるの?」
もっともっと勉強したいという気持ちが溢れたその問いかけが、ぐさっと胸に刺さってくる。私たちの世代ですら、とっくに忘れていた言葉だった。
今からおよそ百年も前に、啄木がこんな事を書いている。
「教育の真の目的は『人間』を作ることである。決して学者や、技師や、事務家や、教師や、商人や、農夫や、官吏などを作ることではない。何処までも『人間』を作ることである。・・・・・これで沢山だ。知識を授けるなどは、真の教育の一部分に過ぎぬ。・・・・・生徒がどれか一科目でも四十点以下になると、あたかも『人間といふ資格も矢張りそれで欠けて居る』ように考え・・・・・日本の教育は、人の住まぬ美しい建築物である。別言すれば、日本の教育は教育の木乃伊(ミイラ)である」
(林中書 明治三十九年 抜粋)
この、明治三十九年に書かれた論説が、今取ってきても充分通用するのはなぜだろう。毎日のように同じことが語られているのに、いっこうに変わらないのはなぜだろ。
あたたかき飯を子に盛り 古飯に湯をかけ給ふ 母の白髪
家庭で子に盛るべきは、こんなささいな心づかいでいいのに、何でも揃えてやることに力を注いで、肝心な心づかいを忘れてはいないか。我が家にも思い当たるふしあり。
怒る時 かならずひとつ鉢を割り 九百九十九割りて死なまし
いらだてる心よ汝はかなしかり いざいざ すこし欠伸などせむ
人といふ人のこころに 一人づつ囚人がゐて うめくかなしさ
「さばかりの事に死ぬるや」「さばかりの事に生くるや」
止せ止せ問答
深くひと呼吸してみれば、不安や苛立ちの半分はどうにかなることを、私はもう一度確認し、子供たちにも伝えたい。あとの半分は、働いたり、創作したり、遊んだりする中で、自分の努力でなんとかするしかない。むかついたり、いらついたりする感情を自分でコントロール出来るようにする事こそ、今大切な勉強だ。
世の中、思い通りにならない事の方が多いのだから、怒ってみても、怒りや不満はきたない澱(おり)となって自分の中に溜るだけ。その澱は、溜れば溜るほど自分を腐らせる。
こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ
こんな歌などに思いを重ねた、若い頃、幼い頃を懐かしむ。数多くの歌の中でも、きっぱりと言いきったいさぎよいものではないだろうか。
かつて年上の人であった啄木は年下の人となり、啄木の命よりもすでに長く生きてきた私だが、人に誇れる仕事とて何ひとつなし。けれども、学びたい事はあの頃よりたくさんある。
「私にいつまで勉強させてくれるの?」
そんな言葉に刺激され、私も自分に、いつまででも勉強させてあげたいと思う。子供たちに負けてなるものか。あせらず、あわてず、こつこつと。
深夜、強弱のある雨音が響いている。大地を緑にする雨音。こんな雨にも、こころ鎮める力がある。もうすぐ暖かい春が来る。
春間近の雨音を聞きながら、頁をめくり、偽作一首を龍司に捧ぐ。
こころよく 龍にはたらく仕事あれ それを見遂げて死なむと思ふ
参考 石川啄木集 集英社
文芸読本 石川啄木 河出書房新社
石川 啄木 碓田のぼる著 (株)東邦出版社
啄木のうた (株)童心社
平成10年2月19日