最近地元に流れる龍司にまつわる怪情報
近頃、うちの店に来て下さるお客さんや、私が買物などで外に出た先で、龍司のことで声をかけられることが多くなりました。
「ちょっと、あんたの息子、なんやかようわからんけどすごいらしいに」
「ちょっとちょっと、新聞に載ったんやって、何やらかしたとこ」
「なんやか知らんけどすごいって聞いたが、何をやっとるとこ?」
こうやって言われる人は口から口へ、かなりまた聞きで、“何かすごい事をやっている” という情報のみを入手した人。
「いゃー、ちょっとパソコン気違いで、馬鹿の一つ覚えというやつで・・・・・たいしたことありません」
「あんたの息子、パソコンがどえらいできるってねぇ・・・・・」
「なんやか、パソコンの中身を作っとるってきいたけど・・・・・」
「インターネットをやっとるそうやが、何をそんなに買物するものあるよ」
こう言う人はとりあえず、パソコンを使う事は理解している人。けれどもインターネットイコール買物と短絡するあたりはどうも・・・・・・
ホームページで情報発信をするとか、ソフトウエアを作ってインターネットで配布しているということがどういうことなのか、いまいち年配の人には理解されがたいことのようなのです。
「ちょっとしたソフトを作ってインターネットのホームページで見てもらっているだけで・・・・・」
ここまでは、通りすがりのあいさつ程度で済むことなのですが、ここから先はちょっと話がややこしい。
「パソコンで手に職付けてまって、もう一人前に食っていけるぐらいやって話聞いたが・・・・・・」
「インターネットで儲かっとるって聞いたが・・・・・・」
「ソフトがどんどん売れとるそうやが・・・・・」
これには、びっくり。ソフトウエア業界がいくら人手不足といっても、中学生が食い扶持を稼ぐほど、世間様は甘くない。
うわさの根拠は多分、“ソフトは高額・一本作ればかなり儲かる・インターネットは商売になる” というような、マスコミ等で聞きかじったあやふやな予備知識に、“龍司がソフトを作っている。インターネットでホームページを持っている” という情報がプラスされて、イコール、”儲かっている” という話になっているらしいのですが、とんでもないこと。
たしかに、豆単君はシェアウエアになっていますが、送金してまで使って下さるのは、確率からいえば、数パーセント、いや、0.00何パーセントぐらい?で、アプリケーションを作るための言語ソフト代ももとが取れないのが現状です。本代やら通信費やら次々と持出しの多いこと。
もともとお金を稼ぐということより、息子の作ったソフトを、お金を払ってまでも、使いたいと言ってくれる人があるだろうか、という腕だめしのつもりで、シェアウエアにしただけのこと。シェアウエアは、どこのパソコンに行っても使われている、というくらいヒットしないと、儲からないというのが定説です。
そもそも、ホームページを開いておくと、見た人がいくらかづつ払ってくれるものと勘違いしている人が結構いるのには驚きます。
「おい、何人くらい見てくれる人があるよ」
「もうすぐ、ニ万人くらいにはなると思うけど」
急に声をひそめて、(まわりに聞こえないように気を使ってくれたつもり)
「それで、ひとりあたり、いくらもらえるのよ?」
「お金なんて入りませんよ!」
「そんな事ないやろ、俺はぜったいに口は固い、誰にも言わんで本当の事言えよ」
「ただですよ。そんなのお金とったら、誰も見ないですよ」
「なんや、そんなら損するだけかよ」
「ご期待にそえなくてすみません」
たしかに有料のサイトも最近出てきて、そういうことが話題にもなっていますが、かなり知名度があって、おいしい内容でないと。まして個人でお金を稼ごうとしたら、それこそやばい画像でも扱わない限り・・・・・そりゃ私だって、息子のためなら体を張ってでも力になりたいと言いたいところですが、残念ながら、ホームページに貼るような体は持ち合わせていません。・・・・・豆単君も、きわめてまじめで健全な学習ソフトです。
インターネットをすでに利用している人にとっては、こんなこと笑い話になるのですが、ホームページを見るだけで、ダイヤルQ2のような仕組みで、どんどん課金されて、そのホームページの開設者にもお金がまわっていくのではないかと思っている人がかなりいます。
それと、買物の件、マスコミがきそってインターネットを紹介しはじめた頃、さかんに、「家にいながらにして、商品を見ながら選べる」とやったので、インターネット=買物、という図式が、頑固なほどこびり付いてしまっている人がどれだけいることか。
この狭い町の中でさえ、私がこういう誤解に出くわすことが何度かあった事を考えると、全国的にも、このニ点の誤解はかなり高い割合ではびこっているのではないでしょうか。坂下町が、とくに情報僻地の特異な土地柄だというわけでもないと思います。
もっともこの町内のインターネット接続人口はまだまだ少なく、地元の人で、「ホームページ見たよ」と言う人はほんのわずかです。
龍司に関するこれらのうわさ話は、坂下町から都会に出ている人が、会社のパソコンなどから、自分の出身地である「坂下町」を検索して、たまたま見つけて、里帰りした際に親や友人に語ったというような事がもとになっているらしいのです。その証拠に、
「この前、盆にうちの息子が帰ってきて言っとったけど・・・・・」
とか、
「名古屋におる甥っこが言っとったけど・・・・・」
とか、
「娘が、坂下の事がインターネットに出とるって言って、電話してきたけど・・・・・」
という前置きがついたりする。
町外へ転出している人がネットサーフィンを始めると、必ず一度は自分の出身地を検索してみるというのは考えられる鉄則だから、そういう人達向けに、やはり町の公式ページなどで、ふるさと情報を流し、メール交換などで交流していくことが、若い人のユーターンとか、地元の活性化にもつながり、しかもあまりお金のからない事業だと思うのですが・・・・・こんなページへも坂下の情報を求めていらっしゃる方がけっこうありましたから。
この一年間、実は、検索機能で坂下町と入力すると、うちの子と、県のページにくっついている、坂下町(観光パンフレット程度のページ)以外にはなく、必然的にこのページの独壇場となってしまったようです。
最近ぼちぼちと坂下町在住の方の個人ページも出来てきましたので、注目度は分散されていくと思いますが、このようにして、一旦我が家から出て行った情報が、人の口を介して逆移入される形で舞い戻ってきました。そうして、人から人へ伝えられるとき、変形したり、誇張されたりしていたのです。
変わり種は
「息子さんすごいんやって、なんやか私も人から聞いた話で、ようわからんけど、大学の賞かなんかとったそうやに」
「えっ、えっ、えっ、」
親も初耳。そんなばかな。
これは、多分、昨夏の龍司の一研究『高度情報化がもたらす社会の変化と影響』の内容を、大学生が卒業論文の参考にさせてもらった、という電子メールが何通も届いた―――という岐阜新聞に紹介された記事が、人の口を経由するごとに、書き換えられて、“大学の賞”という言葉に変形したものと思われます。
さらにおもしろいのは、
「ソフト会社が製品にして売り出す前のソフトをこれでいいですかって、試してもらいに、持ってくるそうやに」
ほーう、そんなことまで言われているのですか・・・
世の中には、プロの作ったソフトなどを子供に試用させる制度もあるにはあるらしいのですが・・・・わざわざ我が家へやって来てお伺いをたてる会社は残念ながらまだありません。
いったい、何がもとで、こんな話になるのかと、これには私もだいぶ首をかしげましたが、ひとつの仮説として考えられることは、時々龍司の所へ友達がゲームをさせてくれと言って遊び来ます。パソコンがすぐ譲れる状態のときは龍司は作業を中断して、ゲームができる状態にしてやるのですが、ソフトのダウンロード中だったりすると、以前のパソコンはあまりマルチタスクに耐えられなかったので、しばらく待たせることになります。
友 「おい、今何やっとるとこよ?」
龍 「ベータ版のダウンロード」
友 「何、それ?」
龍 「まだ、製品版になる前のソフトを、こんな感じですって、無料で公開して、試用してみてくださいって出してるやつ・・・・・今取ってるとこ」
多分こんなような事を聞いていった友達が家の人に、
「龍司はまだ売り出す前のソフトを試しに使っている」
というようなことを話し、その親さんが、また別の親さんにと伝えるうち、伝言ゲームのお笑いとなる。
と書いていると、龍司が横から覗き込み、
「うん、こういうこと、よく言われる、あっ、これも言われる。そうそう、通りがかりの人とか、友達とかもみんな言う・・・いっしょ、いっしょ」
いつも、私の書いたものには、冷たく、他人の振りなのに、今日はやけに親子で意見が一致。
して見ると、大人の世界も子供の世界もインターネットというものに対する認識は、未経験の人(特に高齢の方)にとっては今のところ、大体上記のようなあやふやなものであるということか。いずれにしても、あまり悪いうわさではないので、親としてはまだ安心していられるのですが、真実は、皆さんが、このページをご覧頂ければおわかりの通り、これ以上でもこれ以下でもなく、ぼーっとした、中学三年生が、パソコンに向かうと人が変わったように生き生きとし、気紛れにソフトを作っている、というだけのことです。
このぶんだと、だんだん話は大きくなり、そのうち、
「中津川税務署、いや、国税局がカバン下げてきた」
とか、もしうちの店の経営があぶなくなって夜逃げしたりしても、
「あー、あそこの家は、息子に食べさせてもらえるようになって、都会の方に家でも建てて引っ越したらしい・・・」
なんて言われるかも・・・
まあ、まわりがどんなに騒いでも、大物は動じないと誉めていいのか、ちょっとにぶいと悲観すべきか、朝眠そーな顔して、重そーなカバン下げて、ひょこひょこと、今にも転びそうな足どりで登校する姿は、無名時代(?)も今も変わらない。
それにしても、怪談、奇談の飛び交う今日この頃です。
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