はじめに

 坂下に住んでいて、坂下のことをあまりにも知らない。これは、以前お世話になった坂下小学校での社会科部会の実感でありました。研究会を積み重ねるにつれて、やはり教師は地域へ飛び出し、五感で受けとめ地域素材を教材化すべきであることを学びました。
 近年、急速に地域が開発され多くの遺跡、石仏、伝説地などが破壊されつつあります。ましてや、昔からの話は明治に生きた古老から聞きとることも少なくなってしまい、このチャンスを逃したら永久に消えうせてしまうにちがいがない。そう心に決めたのは、昭和四十五年頃でありました。
 調査にあたって、私の身のまわりにはたいへん条件のいいことが三つありました。  一つは、坂下中学校文芸部(三戸律子指導者)で収集された伝説、民話の文集が非常に参考になりました。
 二つ目は、私自身が坂下の生まれで青年時代(故古田孫六翁に話を聞く)から興味関心を持ってある程度知っており、生業については体験をしたのもありました。
 三つ目は、当時の坂下女子高校生(小県恵子さん)が非常に関心を持って取材に協力してくれたことでありました。
 昭和四十七年の夏休みを利用して、坂下の石仏、遺跡、神社等々をくまなく調査し写真集を仕上げることができました。一つ一つの石仏を調べていく中で、廃仏毀釈によって苗木藩はどんなに悲惨なものであったかが昭和になってもはっきりわかり、路傍の石仏には鎌で草を刈り、そっと直してやりました。
 古老が、伝えばなしを淡淡と語られるのに耳を傾けていると、体験、労働に耐え抜いた目ざしに心が劈かれんばかりになり、教えられたり力づけられたりしました。
 生業とは、生活やくらしのもとでを得るために職業について働いたり、家業を継いで仕事に従事して働くことであります。
 生業は、非常に重みがあり、必死になって生産にたずさわっている姿に心を打たれ、この奥深さを後世に伝えようと取り組みました。
 こんな労働に耐え、今日の坂下や日本をつくりあげた古老の生業に目を向け、取材活動を続けながら参考書を併用しまとめました。
 不十分なことは多多あり、違いもあるかと思いますが、古老にむくいるためと後世に伝えるためにもと、弱輩ではありますが勇気をもって本にしてみました。