きつね ぼら  たぬき いわ
狐洞と狸岩(中外)


 中外の八幡様から東へ坂を登ると、百田と言ってとても小さな田がだんだんになってたくさんあります。そのすぐ上が狐洞と言って、今でも穴を堀って住みついております。
 狸岩は、高峰山の中腹にあり、こんもりとした森の裏側にあたります。このあたりに狸が、今でも住みついていると言われています。
 狐洞の狐は、中外の鶏は決してとらず、合郷方面、つまり一つはなれた洞のものを失敬してくるそうです。
 狐とか狸は、昔から化かすとか騙かすとか言われておりますが、何故このようなことが言われるようになったかを考えると、狐には足の中央部に小孔があり、そこから特殊の匂を出すそうですし、狸はつかまると、死んだ真似をすると言うことから、こう言われているようです。
 普通、狐は女に化けて、狸は男に化けると言われております。
 さて、中外に伝わる伝えばなしは、明治より少し前に、清兵衛という人が化かされた面白い話が今も語り伝えられております。


 昔、洞穴に雌の子狐と雄の子狸か乳離れして一緒に住んでおりました。二匹とも大きくなるにつれて、穴か小さくなって窮屈になりました。ところが居心地がよくてお互いに出ていきたくありません。或る日のこと狐が、
 「どうじゃね狸公さ、化かし合いをして、負けた方が出て行くことにしようよ。」
と、言いました。その事には狸も簡単に賛成しました。そして、中外の天保銭(明治時代には八厘に通用し、一銭に足りないことから時代おくれの人。知能の低い人)の清兵衛が、明日山へ茸とりに来るから、その時に騙すことに話が決りました。狐は思案したあげく、馬の小便をお茶にして飲ませ、狸はどんぐりを饅頭にして食べさせることにしました。
 次の日の朝早く、狐は馬小屋へ行って、馬の尻に唾をつけて尻尾を引っぱると、馬は小便を出し早速それをお茶に変え、山へ帰って枯葉を集めて家の形を作り尻尾で呪うと立派な家か山来上りました。
 一方、なまけ者の狸はまだ寝ていて、何一つ準備をしていませんでした。狐に起されてあわててどんぐりを拾い、腹をポンポコたたくとおいしそうな饅頭になりました。そして狐の化かした家の中へ入り、金玉を出して
 「狸の金玉、八畳敷。あぶって伸ばせば、千畳敷。」
 と歌いなから、腹をポンボコとたたくと、暖かそうな毛氈(敷物)になりました。
 もうそろそろ清兵衛か来る頃です。狐は葉っぱを頭に乗せて唾をつけて尻尾を振ると、とてもきれいな娘さんになり、狸はかわいい太った男の子に化けました。
 しばらくすると、向うの方から清兵衛がやって来ました。娘さんが、
 「清兵衛さん、清兵衛さん、茸とりかえも。ちょっと家へ寄ってお茶でも飲んでいこまいか。」と言うと、清兵衛は、
 「ああ、有難う。」
そう言ってから、「それにしても一晩のうちにこんな立派な家ができるなんて。」と、不思議に思ったが、天保銭である清兵衛は、娘さんのきれいさに心をひかれて家の中へ入りました。
 娘さんの出したお茶を小便とも知らず、ガブガブ飲みました。狸は饅頭を出したいが、金玉の上に二人も乗っているので思うように動けません。そのうちに、清兵衛は煙草を吸い始めました。そして、
 「すまんかのぅ、煙草盆を貸してくれんか。」
と言いました。娘さんは尻尾がないので、あわててとっさに饅頭に唾をつけて、鼻をヒクヒクと動かすとうまく煙草盆になりました。それを差し出すと、清兵衛は煙管(きせる)の火を払いそこねて毛氈の上に落としてしまいました。さあ、大変な事になってしまいました。
 狸は熱くて熱くてたまりません。はねくりかえると、狐は素早く逃げてしまいました。清兵衛は、
 「騙したな。ちきしょう。」
と、顔を真赤にして怒りました。狸はヒリヒリするので、のそのそしていると、清兵衛につかまりそうになりました。
 我慢して一生懸命に逃げて、岩の陰に隠れました。まだ清兵衛は、その辺をぶつぶつ言いながらうろついています。
 今、出ていけばつかまって狸汁にされてしまいます。じっと、時のたつのを我慢しておりました。
 やがて、夜になり、夕方よりいっそう寒さが身にしみるようになりました。狸は、
 「穴へ帰っていけば、化かし合いに負けたといって穴へは入れてくれないし、狐め、今頃暖かい洞穴でおいしい物をたくさん食べているだろうなあ。」
 うらめしそうにそんな事を考えているうちに、化かし合いの疲れが出て、うとうとと寝てしまいました。
 それからは、狐は洞穴に、狸はこの岩陰に住むようになりました。



▲百田



参考文献と話を開いた人
鷹の湯……坂中文芸部
原 恭夫(中外)
吉村 勇(中外)