お やく し さま
お薬師様(本郷)


 上野の本郷にあるお薬師様は、総欅(けやき)作りの立派なお堂の中に安置され、今でも時折りお参りの人があります。
 まわりには、大洗磯前神社、南無弘法大師堂、それに社務所などが建ち、古ぼけたお墓の横に公孫樹の木と共に、千有余年を数える大杉が天に聳えています。
 薬王山東光寺は、鎌倉時代かそれ以前から建立されていたのではないかと言われております。それは御本尊の寄木漆泊造薬師如来座像が、鎌倉時代の作品であろうと言われているからです。
 今でも「寺の下」などの地名が残されているし、椛の湖遺跡、新田遺跡、薬師口遺跡等が近くにあることから、本郷、樺の木一帯は早くから開け一つの集落が形成されており、人家がだんだん増えていったことでしょう。
 その後、寺として維持していくことは非常に困難で、何時の世からか庵寺や堂として明治の世まで守られてきました。
 明治三年の廃仏毀釈によって、焼払い又は取りこわしを命ぜられ、本堂は打ちこわされてしまいました。

本郷にある薬師堂▲
 その後、薬師堂建立の声が高まる中で、苦肉の策として神社を建て、その中へお薬師様を祀こもうと考え出し、受持ち神宮苗木村水野忠鼎殿へ、薬師神社建立の申請をしましたか許可がおりませんでした。再び明治九年に嘆願したところ、薬師菩薩では仏だから、常陸国鹿嶋郡磯浜村鎮座少彦名神社分社ならよいとのことで、明治十年に申請してはじめて許可がおり、明治十一年旧八月十五日に祭典の運びとなりました。(少彦名は薬の神)そして、本堂打ちこわしの時に、ひっそり隠しておいた御本尊を神社の屋根裏に安置したという話です。
 その後、社の横に小さなお堂が建てられ、天井は草模様の絵を四十八枚張り(一枚は伊勢湾台風で破損)、明治四十一年に名古屋から台座を買って、その上に薬師如来御本尊を安置しました。
 世は大正となり、四、五年に本堂再建の話が持ち上がり、七年に着工の運びとなりました。上野全戸総出、全戸寄付、総工費一万余円、区有林鹿峰と松山の一部処分、上野きっての巨大な事業でありました。

世話人
林 松太郎西尾 金十田口 伊六
古田 銀弥林  治介古田 常吉

大工
  遠藤富三郎(飛騨)及び弟子二名

 二年有余の年月で完成の運びとなり、拝殿には竜の彫刻がほどこされ、建築はすべて組み合せで、天井の梁は境内にあった公孫樹(いちょう)が用いられ、主な材は名古屋の市場から買い入れ、それを坂下駅から馬車で運びました。石段は曽我甚吉氏が積まれ、天井の絵は、古田芳文さんが描かれ、大正十三年十二月完成しました。
 松山から自然石を運び出し、寄付者名簿を先庄屋、西尾二郎氏の手によって銘記されました。
 この時の区長、吉村清氏は非常に御苦労が多かったと聞いております。完成の日、稚児が区長大家より出て薬師堂まで列をなしました。
 祭りは、四月八日と十月八日に挙行され、戦前は各地からのお参りもあり、出店もあったし、くじも出てなかなか賑わいました。私たちは、このすばらしい建築物を何時までも大切に保存する義務があります。
 薬師様の伝えばなしは廃仏毀釈の時のことです。
 折りからの仏像打ちこわしの御触れが出ると、驚いた衆は本郷ばかりではなく、宮の洞や、みんなか驚きました。
こっそりと組頭が幾晩も幾晩も集まりました。長百姓林宗助翁が、
 「焼捨てにするか、打ちこわすか、どうすればいいかのう。」
と問いかけると、
 「そんな事は出来るものか。今まで俺れんたあの命を幾人も守ってくださった仏様ではないか。」
と反揆が返ってきます。林宗助翁は、
 「そんなことはわかっておる。でも命令やでしやないじゃないか。」
と、言うと、組頭達は眉を吊り上げ雁首を振わせながら、
 「そんなことはとても出来ん。俺らにはわからん……。」
幾晩話し合っても同じことの繰り返しでした。期が迫り
 @焼き払いはとても出来ない。
 A打ちこわしも恐ろしくて出来ない。
思案の結果、林宗助翁から、絶対の秘密が持ち出されました。それは、団結がなくては出来ないことで、一人でも漏らす者がいれば守り通せないことです。そこで、代表者の手によって御本尊はひそかにどこかへ隠されました。山の中かもしれないし、どこかの家の中かもわかりません。お互い口が硬く守り続けられました。
 そして幾年月が過ぎると、どこに隠されていたか、それは絶対の秘密であってわかりません。とにかく無事であったことを喜び合い堂字建立の声が叫ばれるようになり、再建されることになりました。
 薬師様には、こんな事も伝えられております。母乳の出ない人は、さらしに綿を入れ乳房にしたり、耳の悪い人は、楮の木できりの形を作り、それを供えてお参りすると、乳はよく出るようになるし耳の病気は早く治ります。
 薬がなく医者のない時代、村人は何かにつけ一心に御参りにきたにちがいありません。

 ※昭和四十年九月十四日
       岐阜県重要文化財指定


参考文献と話を開いた人
鷹の湯……坂中文芸部
前田 守夫(本郷)
田口 精一(本郷)
古田 しず(本郷)
西尾 益太郎(本郷)
曽我 甚吉(本郷)
交告 雄幸(本郷)
田口 干年(本郷)
山内 総爾(小野沢)
桂川 巴(川上村)