こおり もち や
氷餅屋 (寺尾洞)


 高峰山の鎮野林道を約四キロメートルほど行くと、外川の最上流、市の沢という小さな渓谷があります。
 ここは、田立山や山口山が手にとるように見える高い所で、小鳥の声がよく聞こえ、冷たい空気が肌身をさすように吹いてくる大変静かで寂しい所です。
 渓谷をたどって行くと、十メートル四万位に巨石を幾つも並べた平な屋敷の跡のようなものがあります。これが氷餅屋といっているところです。
 氷餅とは、冬の寒い時に作るもので、餅を寒気にさらして凍結をさせ、それを何度も何度も繰返し干し上げて作るものです。
 農家では、戦前、六月の農繁期に、冬作っていた氷餅を凾(かん)から取り出し、茶碗に入れて熱湯を注ぎ込むと、ねちゃっとして、とてもおいしく簡単にいただけます。猫の手も借りたいくらい忙しい時の休息には、簡単にでき、しかも栄養のあるものとして、どこの家庭でも大寒を中心に餅をついて作って保存食としておきました。
 牛乳も栄養剤もなかった昔は、病人や老人に与える最上の栄養食とされた食品でありました。

 苗木の殿様は、氷餅を大変お好みになり、高峰山の一角に氷餅製造用の屋敷をもち毎年ここで氷餅を作らせておりました。
 ある年の夏、お役目大事とばかり氷餅を作っていた人が、小屋の見廻りにくると、どうしたことか、冬とはまるでちがい小屋のまわりは、草がいやというほど生い茂り、あたりの木々も黒味を増し、ひぐらし蝉がつんざくばかりにあたりを鳴き散らしておりました。
 おそるおそる小屋に近づき、きしめく戸をこじあけると、部屋の中は黒々としてよくわからないが、そのうち目がなれてきてよく見ると、三メートル余りの白い蛇が青い眼を開き、真赤な舌をペロペロと出し、天井から、がん首を近よせて来るではありませんか。「あっ。」と驚き全身肌にぼろぼろか出たかと思うと口びるがカタカタとふるえ、もう一目散に山をかけおりて来ました。
 それからというものは、人々は恐れ誰一人寄りつく者がなく、小屋は荒れるがままになってしまいました。


参考文献と話を開いた人
坂下町史
原 恭助(中外)
原 吉六(新田)
原 守男(中外)