黄金の瀬(西方寺)


 西方寺の地区になりますが、木曽川の流れに、川上川が勢いよく流れこんでいるところがあります。その一帯を黄金の瀬といいます。
 黄金の瀬については、いろいろな伝えばなしがあります。

<その一>、木曽川の流れに、川上川が注ぎ込み、流れが会うから会合の瀬といいます。
<その二>、夕方、合流した所へ行くと、夕日に輝き確かに黄金色に輝いて見えます。だから黄金の瀬といいます。
<その三>、昔、大商人が幾人もの家来をつれたくさんの小判を運ぶために鎌倉街道(東山道)の神坂から山口を通り、木曽川を渡って木曽西古道を通って京都へのぼろうとしました。
 木曽川にさしかかり、筏(いかだ)を組んで、大金を積んで運ぶ途中、波にのまれてひっくりかえり、川に沈み、底に沈んだ小判が黄金色に見えるので黄金の瀬といいます。 <その四>、昔、山口村の光西寺で大火がありました。その時に、たくさんあったお金を川へ投げ捨て、底に沈んだ金が光るので黄金の瀬といいます。
 昔から木曽川で材木流しがありました。江戸時代尾州藩の材木流し地図に黄金の瀬は盗難の多い場所に指定されておりました。


木曽川と川上川の合流点▲





参考文献と話を開いた人
原 竜甫(西方寺)
林 彦太郎(握)