ぜん こう じ さま
善光寺様(小野沢)


 小野沢の公会堂の下、つまり昔の旧道の横に善光寺を始め、弘法大師、南無阿弥陀仏、西東巡礼百番供養塔等が建立されております。信州の善光寺は、いろいろと説はありますが、本田善光の開基説が有力で六五四年(白雉五年)に開いたといわれております。
 善光寺の本尊は、阿弥陀如来でありますが、絶対の秘仏であるため、形状、大きさなどは確かにわかっておりません。
 小野沢の善光寺は、安永四年乙未四月吉日(一七七五)に建立されたものですが、信州善光寺まで交通の便が悪いのに、分霊までしてくるなんて並みたいていのことではありません。いかに村人の信仰の厚かったかがうかがえます。
 今でも、小野沢には念仏講が残っており、寒中に区内を巡礼されますが、昔からの念仏講が廃仏毀釈で打ちこわされても根強く生きのび、心までたたきのめすことは出来ませんでした。
 祭りは、七月十四日に部落中出て営まれています。
 廃仏毀釈で打ちのめされた仏像を、どこかへ捨てれとの命令に困り果てて、打ちこわしの役人は善光寺像を脊おってどこかへ持っていってしまいました。
 けだかい善光寺様を失った村人達は、役人が引き上げていってから、悲しみなげきました。
 こうして月日が流れたある夜のこと、村人が帰りを急いでいると、
 「おい、おい」
と、小さいかすかな声が、小野沢谷の川原のほうから聞こえてくるではありませんか。立ち止まってよく聞いている
と、それは善光寺様で、
 「わしが、ここに投げ捨てられていることを知らせて欲しいのじゃ。」
 そういうと、ぽつりと話は切れてしまいました。急いでそのことを知らせると、みんなは本当にはしませんでしたが、大急ぎでさがしにきました。だいぶん探さぬとわからんと思ったのに、仏力によってすぐ探すことができました。
 帰られた仏を供養するために、盛大ではないけれど、たいそう楽しい祭りが行なわれ、ついでに今年の豊作を誓いあいました。


小野沢の善光寺▲





参考文献と話を開いた人
鷹の湯……坂中文芸部
山内 総爾(小野沢)
山内誉次郎(小野沢)
山内五郎一(小野沢)