首塚(椛の湖)


 首塚は、今は椛の湖の底に沈み水か少なくなっても陰も形もありません。
 椛の湖の建設作業中に、ブルドーザーで押し潰してしまいました。
 旧道(飛信街道)の道ぐろに、小さな石を積み重ね首に見せかけたものがうっとりとする林の中に静かに五、六個すえてありました。
 昔、この飛信街道を旅の人や土地の人が往来しておりました。
 松山の岩穴に悪党か潜んでおり、時々出没して、衣類から食べ物、それに金まで奪ってしまい、このあたり一帯は恐れられておりました。
 時には、大悪戯も手伝って真裸にしてしまったり、反抗する者がいると徹底的に剥ぎ取ってしまい、あげくの果ては切り捨てたりしました。土地の人は、
 「また今年もやられたのか。可哀そうに。」
 「殺すことまでしなくてもいいのにのう。」
 「まったくや。」
そんな事を言いながら、あつく葬ってやるのです。
 こうして何時からともなしに首塚が作られ、とってもおそまつな供養ではあるが土地の人の手によってなされておりました。
 さて、松山に住んでいた悪党は、どうしてか根っからの悪者ではなく、地元の家を荒したり、田畑の作物に手を出したりはしなかったようです。


首塚のあった椛の湖▲



参考文献と話を開いた人
西尾益太郎(本郷)