しず も ふ どう そん
賎母不動尊(賎母)


 望仙桜を背にした国道寄りの岩壁に、松の大木が悠然と聳え、そこに不動明王(不動尊)が建立され、すぐ真下は木曽川の水がしぶきを上げて流れています。
 不動明王は、眼を怒らし両牙をかみ合わせ、右手には迷いと悪魔を打ちくだく剣を持ち、左手にはいかなる人もとらえる索を持っており、仏の命を受けて火の燃えるような境地にいて、すべての汚れを燃きつくす仏様だと言われています。
 今、奉賛会が中心になって、毎月十八日の午後一時より三時まで、山口村光西寺住職を招き、祈祷祭がおこなわれており、四月十八日は大祭で交通安全の御守りとしても有名で、坂下交通安全協会も毎年一月四日に祈願祭をおこなっています。
 昔、木曽はすばらしい美林に囲まれ、尾張藩の御宝山としてそれはとっても大事な山でした。

賎母不動尊碑▲
 そこから勇ましく伐られた材木は谷川へ落され、本流である木曽川へ流し、日用どもの手によって、「ハーホイ、エイッホイ。」と、掛け声高く鳶(とび)をうまく操りながら、木曽からどんどん流されて、賎母、新田、それから流して八百津の錦織まで、日用の手によって運ばれていくのです。
 ところが、どうしてか毎年践母の曲がりまで流してくると、きまって不思議なことがおきるのです。それは、いくら日用どもが眼をとがらしてうまく材木を鳶で操っても、あの曲がりにさしかかると材木がゆれて、そのはずみで川へ落ちこんで溺れたり死んだりするのです。たまりかねた日用どもは、胸さわぎがしてきて、「あそこは魔物かいて何か崇りがある。もうこりごりだ。」「命を失っては、まったく損や。俺らあもう材木流しはいやになっちゃった……。」
 日用どもは恐しさのあまり、仕事のやる気を失ってしまいました。
 そんな話が、だんだんと木曽へ伝わり、尾張の殿様に通じました。驚いた殿様はこれはなんとかこの危難を防がなければならないと、すぐさま木曽の代官山村氏に命令して、あの賎母の岩壁に不動明王(不動尊)を建立し流木安全を祈祷させました。それは寛保二年八月ニ十八日(一七一七)の夏の暑い暑い日でした。それ以来、不思議にも材木流しで事故をおこす人はなくなってしまいました。
 その後、このあたりは松や桧の大木がおい茂り、小学校の建築用材にしようという声が持ち上がりましたが、伐り倒す人が一人も現われず今日に至っております。
 昭和三十七年に再建された折、不動明王の年代を調べてみたらという話が持ち上ったが、調べる者が一人も現われなくて山口村光西寺住職にお任せしたいという話です。
 交通安全にはたいへん縁が深く、今までにこんなことがあった
と伝えられています。
 @人と馬もろとも木曽川に落ちたが、軽傷ですんだ。
 A子どもがあやまって落ちたが、無事であった。
 B郵便屋さんが自転車共々、途中まで落ちたが助かった。
 C夜、オートバイで落ちたが、明方に意識をとりもどした等。
 今、国道十九号は車が轟音を出して走っています。不動尊は、きっと安全をお守りしてくださるにちがいありません。しかし、お互い運転には気をつけたいものです。



不動尊堂▲





参考文献と話を開いた人
原 吉六(新田)
原 新助(相沢)
古井 敏美(賎母)