"ふるさと坂下"を読んで
            吉本龍司

 僕は夏休みに『ふるさと坂下』という本に出会いました。この本は昔学校の先生をしていらした鎌田宮雄さんという方が僕の生まれ育った町坂下の昔の産業や、伝え話をまとめたもので、今から十五年ほど前に発行されたものです。僕はこれを読むうちに広く一般の人、特に坂下町民にはもっと読んでもらえたらいいと思い、先生の許可をいただいて僕のホームページで公開することにしました。
 全部で百八十ページほどありましたが、夏休みの十日ほどをかけて全文をデジタル化することができました。また今現在この本で紹介されている所がどうなっているのか追跡調査をしてみることにしました。その中で十五年前とは変わっている所がたくさんあったのでこのことも独自取材ホームページとして掲載することにしました。
 まず前半の「坂下の生業」という章では坂下の昔の産業について詳しく書いてありました。生業というのは生活やくらしのもとでを得るために職業について働いたり、家業を継いで仕事に従事して働くことだそうです。今の坂下はそれほど賑やかというわけではありませんが、昔は、木材やそれに関わる産業・蚕・紙漉きなどいろいろな産業が栄えていたということです。
 最初に坂川鉄道という森林鉄道が紹介されていました。これは隣の川上村で伐採された木材を運搬するために作られたものですが、通勤・通学などにも使われていました。とてもゆっくり走るので人間が走った方が早かったとか、荷物が重いと途中で止まってしまって乗っている人みんなで押したとかいろいろなエピソードがあり、とにかくのんびりした鉄道だったようです。この鉄道はもちろん僕の生まれるずっと以前からもうなかったのですが、線路跡は道路になっている所が多いのでその道路へ行って見ました。実際立って見ると鉄道が走っていた時代ののんびりした様子が実感できました。この坂川鉄道の駅は現在の坂下駅の裏あたりにありますが、今ではその面影はまったくありません。
 坂下では養蚕業も盛んだったようです。今僕の家が建っているところには濃信社という製糸工場が建っていたそうですが、今ではその跡はまったくありません。その他、紙漉き・炭焼きも今ではこれを仕事としている人はいないようです。また馬も農耕用などのために一時期はたくさん飼われていましたが今ではそれも農業機械の発達で、仕事に使っている人はまったくいません。
 坂下の生業の章を読んでみて、昔のくらしは長年の知恵とか勘の蓄積で成り立っているように感じました。こういう伝統が失われてしまうということはとても残念ですが、それは時代の流れ仕方ないのかもしれません。そのためにもこういうことを資料として残すことやデジタル化はとても意義があることだと感じました。
 後半『坂下の伝えばなし』では坂下に昔から伝わる話を先生が地元のお年寄りなどから聞いてそれをまとめてあります。これだけたくさんの話がいままで伝わってきたかと思うとても不思議です。地蔵や寺は苗木藩の廃仏毀釈のときに大部分が壊されてしまいましたが、その後に再建されたりして、いたるところにそういったものがあります。本文中にはたくさんの写真が掲載されていますが、本の写真と、今の風景は十五年違うだけでもだいぶ変わってしまっています。
 今回この本を読んで、伝説があるような場所へだいぶ取材に行きましたが、例えば昔は原っぱだったところに住宅ができていたり、道路建設のため移転していたり、取り壊されていたり、田んぼが坂に面してたくさんある『百田』と呼ばれた所は今では農地改革で大幅に姿を変えていました。
 伝えばなしを読んでいて最初に思ったことは、昔は自然をとても大切にしているということです。旧道沿いには旅の安全を祈願する地蔵を置いたり、木曽川に向けて神を祀ったり自然を中心に生活をしていた様子がよくわかります。今はどちらかというと人間中心で川の流れだって簡単に変えることのできる時代だけど、この心は大切にしたいと思います。
 これを読んでいると坂下の人々の暖かさがよくわかります。取材の時も地元の年輩の方にいろいろ場所などを尋ねましたがみんな親切に教えてくれました。こういうところも なくしてはいけないものだと思いました。
 本が書かれて十五年たっただけでも、なくなってしまったものはたくさんありました。たぶん僕が大人になった頃にはもっとたくさんのものが失われていることと思います。 この話がまた次の代へ受け継がれることを祈りつつ……僕はこんな坂下でずっと生きていけたらいいと思います。



※夏休み学校提出・読書感想文をそのまま掲載しました。



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