
東濃歌舞伎中津川保存会では、昭和12年に上演された完全オリジナル歌舞伎を
65年ぶりに復活上演しました
| 姫街道400年祭 中津川市制50周年記念 「王政復古錦之旗揚 横田元綱勇戦記」二幕四場 全五景 復活公演 2002年6月30日(日) 11時より 東美濃ふれあいセンター 歌舞伎ホール |

横田元綱は現在の栃木県真岡市の人。時は江戸時代元治元年。 筑波山で挙兵した水戸天狗党の一団は、各地で幕府軍と戦いながら信濃の国和田峠へ至ります。 このお芝居はここから始まります。 横田祈綱の息子横田元綱はこの時18歳、松本・高島両藩が峠で天狗党を迎え撃つという知らせをうけ同僚の松井四郎とともに駆け出します。 元綱は2つの首級をあげますが、銃弾を急所に受けもはやこれまで・・・となります。元綱は敵に首をさらすぐらいならばと父祈綱に介錯を頼みますが、戦場といえども息子の首を打つのは不憫なもの、松井四郎に介錯してもらいます。 元綱の首を携え、美濃の国へ入った祈綱は、平田篤胤門下の中津川宿本陣市岡殷政を訪ね首を葬って欲しいと願い出ます。殷政は居合わせた間秀矩と肥田通光とも相談をし宝憧寺墓地へ埋葬することにしますが、尊皇攘夷派は幕府軍から追われる身、見つかればお咎めは免れないとは知りつつも、下男浦吉と長登屋主人松次郎に首を託し埋葬を果たします。祈綱は御礼にと鎧の片袖と脇差しを形見として中津川宿に残し、心おきなく京へと足を運ぶこととなりました。 |
このお芝居は、昭和12年に中津川の振り付け師故市川源童師匠(本名:後藤勇一)が作ったもので、先頃、見つかった台本を補綴し65年ぶりの復活公演となりました。 中山道の中津川宿は東西南北のヒト・モノ・カネの集積地ともいえる場所で、宿場の様子は島崎藤村「夜明け前」に詳しい。 前田青邨画伯は本陣市岡殷政と年寄役間秀矩がこのときの鎧の片袖を扱うところを「郷土の先覚」で描きあげている。 形見の脇差しは現在の料理旅館長多喜(旧長登屋)に現存している。 毎年4月の第4日曜日、市内実戸(さんと)にある横田元綱の墓では地元の人によるお祭りが行われている。 |
横田元綱勇戦記の出来るまで
| 65年前に作られた台本の手直し補綴、 節付けが慎重に進められます。 |
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| 保存会員は夜仕事が終わると集まっては計画をたてます。 この日は公演までのスケジュールを話し合いました。 |
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| 中津川保存会のポスターは全て手作りで 今ではコレクターもいるほどです。 人気が出るのは嬉しいのですが、貼らずに しまい込んでしまう人もいるらしい。 |
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| 横田元綱の大祭の日に 保存会メンバーも 成功祈願に出かけました。 中津川市実戸(さんと)にて |
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| 鎧の製作も保存会でおこないます。 材料はボール紙です。 |
東濃歌舞伎中津川保存会へのお問い合せは
会長 吉田信助 nagataki@takenet.or.jp